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【年に2日間のみ公開】徳川家康が幼少を過ごした静岡 臨済寺

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2015年10月に訪れた静岡市にある臨済(りんざい)寺の記事です。

臨済寺は徳川家康が人質時代を過ごした寺として知られていますが、年に2日(春・秋それぞれ1日)のみ特別公開されています。

 

臨済寺(りんざいじ)について

静岡市にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は大龍山。

1530年頃、義元の父親である氏親(うじちか)が出家した義元のために自身の母親の別邸跡に善得院が前身となります。義元の兄・氏輝が若くして急死したため、その後義元は家督を継ぐことになります。

氏輝を祀り、その後義元もここに祀られています。

また、二代目の住職として招かれた太原雪斎(たいげんせっさい)は、僧侶でありながらも今川家の軍師としても活躍した人物。

岡崎城の松平家の嫡男として今川家に人質として預けられた幼少の徳川家康(竹千代)がここで手習いを受けたことでも知られています。

 

臨済寺は年2回のみ公開

この臨済寺は修行寺であるため、日常は非公開となっており年2日のみ一般公開されます。その2日は下記のとおりとなります。

・5月19日 今川義元命日

・10月15日 摩利支天祈祷日

私が訪ねたのは、2015年10月の摩利支天(まりしてん)祈祷日にあたる日でした。

 

【2020年2月現在の情報】

公開日以外でも境内には入ることができました。

また御朱印は公開日(特別拝観期間)以外いただけませんのでご注意ください。

詳細はこの記事の最後に記載しています。

 

臨済寺の場所

臨済寺は駿府城跡(今川氏の館もほぼ同じ場所)の北西の住宅街にあります。

臨済寺の背後には賎機山(しずはたやま)がありそこには今川家の詰城である賎機山(しずはたやま)城がありました。

また、臨済寺の南1キロほどのところに静岡浅間神社があります。この神社と臨済寺は相互に結び付きも強いので、一緒に訪れることをおすすめします。

 

臨済寺 一般公開の様子

今回の参拝は地元発のツアーで参加。県内では徳川家康公没後四百年にあたる記念行事の多い年で、この他にも徳川家康ゆかりの寺社をガイド付きで巡るツアーでした。

一般公開日は個人で参拝することももちろん可能です。

開門前の山門

午前10時の開門を数十人が待っていました。

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山門には徳川家の家紋の幕がかけられています。 今川家の菩提寺ですが、現在の本堂などの建造物は徳川家康により再建されたという経緯があります。

開門と同時に正面の階段を人の波が動いていきます。

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本堂(方丈)外観

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江戸初期の建物で重要文化財に指定されています。

扁額には勅願寺(天皇などの発願による祈願寺に指定された寺)であることが記されています。

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二度の戦火(武田信玄と徳川家康)によって焼失しており、この建物は徳川家康によって復興再建されたものです。その後、幕府直轄領となった駿河では手厚く庇護されました。

(2015年10月当時)拝観は無料でした。

建物内への入場(順路)は本堂に向かって左手にある禅堂からとなります。

禅堂

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この日の”主役”でもある摩利支天(まりしてん)像が安置されています。

徳川家康も信仰していた軍神で、静岡浅間神社に安置されていたものですが、明治の神仏分離によりこの臨済寺に移されました。

摩利支天像

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写真撮影も自由な雰囲気でした。

この後、正午頃から行われる摩利支天祈祷会の貴重な場にも立ち会うことができました。大勢の僧侶たちが大声で経典を読み上げながらパラパラと翻す「転読」は圧巻でした。

 

禅堂の奥にある開山堂を見て、本堂へ入ります。

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臨済寺本堂内の展示

開山の大休宗休と二代目住職太原雪斎像

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今川義元と氏輝 木像

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ここには義元だけでなく、若くして急逝した義元の兄・氏輝も祀られています。この他に位牌も公開されていました。

今川家は戦国大名としては義元亡き後、義元の子 氏真の代で滅亡することになりますがその後、徳川家に庇護されて明治時代まで存続していたそうです。

山岡鉄舟の書

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幕末の無血開城で「影の立役者」となった人物。静岡駅の近くには、西郷隆盛と会談したという場所に石碑も残っています。

徳川慶喜の書

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山門の扁額にも使われている「大龍山」 の文字。

15代将軍・徳川慶喜は大政奉還後この静岡市内で余生を過ごしました。達筆として知られ、東京にある「日本橋」の文字も有名です。

この他にも書や古文書、絵画などが本堂内に所せましと並べられています。僧侶の方も質問に対応してくださいます。

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本堂側からの眺め

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整然とした白砂と歩道、鐘楼が見えます。

 

本堂の右手にある書院へ向かいます。ここには徳川家康ゆかりの品々が多数展示されています。

書院と茶室

書院

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竹千代手習いの間

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写真映りがよろしくないのですが、天井絵や障子の格子のデザインも必見です。

当時のものは戦火で焼失したため再建されたものですが、竹千代と呼ばれていた幼少時代の家康が、このような部屋で書を読んだり、雪斎から手習いを受けていました。

人質といえども手厚く教育を受けていた家康は、ここで過ごした12年の歳月が後の人生に大きく役立ったといえます。

今川家は義元の敗北、そして氏真の生きざまなど歴史上の評価はあまり芳しくないのですが、太平の世を作り上げた徳川家康の素質を見極め、育てたという点では、先見の明のある大名であったことも忘れてはなりません。

なお、雪斎は清水区にある清見寺(せいけんじ)中興の祖でもあることから、そちらにも同様に手習いの間が再現されています。

 

竹千代「虎」の書

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この当時はは、まだ子どもですね(;'∀')

庭園

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池泉回遊式の庭園は国の名勝にも指定されています。

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斜面を活かした庭園のつくりも必見。 

さらに書院の上に見える茶室に向かいます。小さい建物なのと階段が多いため人数制限があります。書院の中で整理札をもらって10分ほど待ちました。


無想庵(茶室)

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この建物は大正時代の建造。

茶室からの眺めは良いけれど、たどり着くまでにクタクタになりそうです。これを和服で移動はつらいかも・・・

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臨済寺のご朱印

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左はご本尊、右は摩利支天の御朱印です。

 

余談になりますが、私は今から20年ほど前、静岡市に数年住んでいました。静岡浅間神社や久能山東照宮はもちろん知っていましたが、臨済寺のことは当時は知りませんでした。なんだかもったいない・・・

しかし、徳川家康公没後四百年記念の年にはじめて参詣できたことで感動も大きく、さらには、今まであまり身近に感じていなかった今川家ですが、自分の住む遠江(とおとうみ)も含めこの地域一帯を治めていたその功績を知る良い機会となりました。

 

さらにおまけ

ゆるキャラ 今川さん(非公式)

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(2015年ゆるキャラグランプリにて)

日本一の弓取りと称された義元にちなんで弓を持っています。左目からの涙は、負けた武将として歴史上評価されなかった悔し涙だそうです(苦笑)

 

追記(2020.3.1)

冒頭にも記載していますが、公開日ではなくても境内に入れるようになりました。

2018年5月落成の今川神廟についての記事はこちら

www.momoyorozu.net

 

ただし、摂心という厳しい修行の期間は門が閉ざされ立ち入りができません。

また、臨済寺は日頃から修行道場であるため、拝観される際には僧侶の修行の邪魔にならないよう配慮しましょう。