<2017.10に参加したペルーツアーの旅行記です>
マチュピチュ遺跡の全貌が見えるスポットに到着し、
感動の景色と対面の後、さらに上をめざして登ります。
遺跡内の最も高いところに位置する見張り小屋へ
リャマ?アルパカ?
耳の形で見分けるとリャマかな?(長いのがリャマ、丸っこいのがアルパカ)
この先、あちこちでリャマやアルパカが出没することになります。焦って撮らなくてもよかったんです。
見張り小屋
日本のお城でいう、櫓(やぐら)ですね。
外敵の侵入を見張るために設けられた施設のため、遺跡の中でもいちばん高いところにあります。
標高は2500mです。(入場口から100m上がっています)
再びここでのんびり撮影タイム
前年のカナダに続き、私の晴れ女パワーは健在です(^^)v
儀式の岩
そして、ここから下って遺跡の中心方面(市街地)に進んでいきます。
歩道は歩きやすく整備されていますが、柵がないところも多く、そこは「自己責任」
どの角度から見ても感動します。
マチュピチュの「市街地」を歩く
石積みの建物が並んでいるのが市街地。
市街地入口
今は石積みだけですが、かつてはここに扉があったと思われます。
このあたりから人が増えてきました。
マチュピチュ遺跡(遺跡中核部分)の面積は5平方キロメートル
1440年頃に建設がはじまり、インカ帝国スペインに征服されるまでの80年ほど
人々が暮らしたそうです(一説には800人くらい)
皇帝や神官、技術者などの住居の他、さまざまな作業場や儀式に関する施設などがあります。
日本のお城でいう「本丸」もそうですが、いきなり高貴な人が住むエリアには行けません。いわばこのあたりは、三の丸→二の丸というエリアでしょうか?
城好きなもので、どうしても例えが日本のお城になってしまいます(苦笑)
また、見れば見るほど石積みが日本のお城のものに見えてきます(^^ゞ
清正石(名古屋城)や真田石(上田城)のような巨岩。建設に関わった人の権力を誇示しているのでしょうか? 謎だらけのマチュピチュでは、想像力がたくましくなります。
石切り場
この周辺で採れた石を加工して建築に利用したそうですが、その加工技術もさることながら、「文字」も「車輪」も持たないといわれたインカ文明で、どのように巨石を運んだのかはナゾ。もう謎だらけ・・・
日本人ガイドさんが詳しく説明してくれているのですが、団体行動なのでそれについていくのと、写真を撮るので手一杯な私。
遺跡内部は、まるで迷路のよう。重要スポットへの矢印など簡単な案内しかありません。遺跡のマップがもらえると思って楽しみにしていたのですが、そんなものも用意されていないのです(入場料高いんだから作ってくれてもいいよねぇ)
まあ、日本で買うガイドブック(るるぶなど)がいちばんわかりやすく説明されているのではないかと思います。しかし持っていたところで、ガイドさんがいなければ確実に迷うと思いますけどね(苦笑)
さきほど通ってきた見張り小屋(右上)と段々畑
住居内部(皇帝の部屋?)
石組みも下部から上部に向かって、変化が見られます。
実際には、屋根や扉、梁(はり)などもあったと考えられていますが、現在は一部を除いてそれらは復元されていません。
10月のペルーは春ですが、陽射しが強く、サングラスと帽子、日焼け止めは必須。
そしてもっとも重要なのは水分補給。このシーズンでも1リットルくらいは必要です。若干荷物にはなりましたが、リマのスーパーで安く買ったものを持参しました。
一時はペットボトル持込み禁止との情報がありましたが、この時は大丈夫でした。
また、食べ物も飴程度ならOK(私はカリカリ梅持参しました~)
もちろんゴミは「すべてお持ち帰り」を守りましょう!
このあたりで、入場してから1時間ちょっと経過です。
リャマ&アルパカがたくさんいます
太陽の神殿
自然の巨石を活かしつつ、人工的に組んだ石を見事に組み合わせています。
曲線の美しさからも技術力の高さがうかがえます。
段々畑の向こうには屋根が復元された貯蔵庫が見えます
水路(水汲み場)
この秘境にこのような「天空の都市」が建設できたのは、水路がしっかりできていたからだそうです。
生活のための水を引くことはもちろんですが、雨量の多い熱帯雨林にもかかわらず段々畑がきれいに残っているのは、排水の技術が優れていたからなんだそうです。
こんなにすごい文明を持った人たちが、滅びてしまうとは切ないですね。
マチュピチュ編、まだまだ続きます