2017年9月に参加したペルー周遊ツアー旅行記です。
マチュピチュ遺跡の展望スポットで感動の景色と対面の後、(下の遺跡に向かって歩くかとおもいきや)ガイドさんの説明を受けながらさらに上をめざして登ります。
一番高い場所 見張り小屋へ
遺跡内のいちばん高い場所を目指します。まだここからもうしばらく登ります。やれやれ…
そんな疲れも吹っ飛ばしそうな動物発見!
リャマです。
この遺跡エリアではリャマとアルパカが放牧されています。
この先もあちこちでリャマやアルパカが出没することになります。焦って撮らなくてもよかったのです。
見張り小屋
外敵の侵入を見張るために設けられた施設。日本のお城でいう、櫓(やぐら)ですね。
遺跡の中でもいちばん高いところにあり、標高は2500mです。(入場口から100m上がっています)
正面のワイナピチュ登山などを除けば、遺跡が見える最も高い場所ということになります。再びここでのんびり撮影タイムです。
見張り小屋からの眺望
見てください!どうですか?この完璧なまでの絶景。
前年のカナダに続き、私の晴れ女パワーは健在でした(^^)v ホント、これは運がよかったとしか言いようがありません。
この写真がお気に入り過ぎて、旅から5年以上経過した今も、私のiPadの待ち受けは(機種変更しても)ずっとこれです(≧▽≦)
儀式の岩
遺跡の中心へ下る
そして、ここから下って遺跡の中心方面(市街地)に進んでいきます。
歩道は歩きやすく整備されていますが、柵がないところも多く、そこは「自己責任」。
至れり尽くせりで整備されている日本とは違うということを心していきましょう。
どの角度から見ても感動します。
石積みの建物が並んでいるのが人々が日々生活していた市街地です。
マチュピチュ遺跡の概要
1440年頃に建設がはじまり、インカ帝国スペインに征服されるまでの約80年間人々がここに暮らしました(一説には800人くらい)
皇帝や神官、技術者などの住居の他、さまざまな作業場や儀式に関する施設などがここにはありました。
遺跡(中核部分)の面積は5平方キロメートルです。
わかりやすく例えると、東京ディズニーリゾートが2平方キロなのでその2.5倍です。
インカ帝国滅亡後は、スペイン軍によってことごとくインカ帝国の町や建物は破壊されましたが、密林に覆われたこの場所は原住民の一部しか知らないまま時が過ぎ、探検家 ハイラム・ビンガムによって発見されたのが1911年のこと。
遺跡として発見されてからわずか100年です。
マチュピチュの「市街地」を歩く
市街地入口
今は石積みだけですが、かつてはここに扉があったと思われます。
このあたりから一気に人が増えてきました。
遺跡内は迷路状態
遺跡内は重要スポットへの矢印など簡単な案内しかありません。
遺跡のマップがもらえると思って楽しみにしていたのですが、そんなものも用意されていないのです(入場料高いんだから作ってくれてもいいよねぇ)
まあ、日本で買うガイドブック(るるぶなど)がいちばんわかりやすく説明されているのではないかと思います。
しかし持っていたところで、ガイドさんがいなければ確実に迷うと思いますけどね(苦笑)
日本の城郭にも通じるものがある遺構
日本のお城の構造でもいえますが、いきなり入口を入って高貴な人が住むエリアということではありません。
いわばこのあたりは、三の丸から二の丸へ向かっている感じでしょうか?
城好きなもので、どうしても例えが日本のお城になってしまいます(苦笑)
また、見れば見るほど石積みが日本のお城のものに見えてきます。
このような巨岩は日本の城郭の目立つところにある「鏡石」にも似ています。
日本と同様に築城者の権力を誇示しているのでしょうか?
謎だらけのマチュピチュでは、想像力がたくましくなります。
石切り場
建物のほとんどはこの地で採れた石を加工して建築に利用したそうですが、その加工技術もさることながら、「文字」も「車輪」も持たないといわれたインカ文明で、どのように巨石を運んだのかはナゾ。
謎だらけすぎて、今度は頭が痛くなりそうです。
日本人ガイドさんが詳しく説明してくれているのですが、団体行動なのでそれについていくのと、写真を撮るので精一杯です(;^_^A
さきほど通ってきた見張り小屋(右上)と段々畑を下から見上げます。
住居内部(皇帝の部屋?)
石組みも下部から上部に向かって、変化が見られます。
実際には、屋根や扉、梁(はり)などもあったと考えられていますが、現在は一部を除いてそれらは復元されていません。
このあたりで、入場してから1時間ちょっと経過です。
リャマ&アルパカがたくさんいます。ここなら足元も安定して撮り放題です。
太陽の神殿
自然の巨石を活かしつつ、人工的に組んだ石を見事に組み合わせています。曲線の美しさからも技術力の高さがうかがえます。
段々畑の向こうには農作物などを保管していた貯蔵庫が見えます
水路(水汲み場)
この秘境に「天空の都市」が実現したのは、水路がしっかりできていたから。
生活や農耕のために水を引くことはもちろんですが、雨量の多い熱帯雨林にもかかわらず段々畑がきれいに残っているのは、排水の技術が優れていたからなんだそうです。
こんなにすごい文明を持った人たちが、滅びてしまうとは切ないですね。
しかし、これが破壊されずに400年近く秘境に眠り続けていたという事実が、世界中からマチュピチュへ人々がやってくる大きな理由でもあります。
実際に歩いてみると見た目以上に広く、暑さもあいまって疲れてきます。
ガイドさんが景色の良い場所や安定した場所を選んで休憩をとってくれます。
ミニ植物園でブレイクタイム
この植物園は近年作られたものですが、アンデス特有の珍しい植物が栽培されています。
コカの葉
なんだか日本茶の葉っぱに似ています。といってもこれを日本で育てたら捕まっちゃいますね。
これはアルパカかな?
とにかく案内板が少ないので、帰ってきてから写真の整理がた~いへんなのです。
看板を見つけ次第撮影してみたものの???なものがいっぱいです(泣)
こうしてみると日本は多言語対応で解説も細かく、至れり尽くせりですね。
遺跡の「本丸」聖なるエリアへ
この看板、スペインのサグラダ・ファミリアでもおなじみの「SAGURADA」と書いてあります。
「SAGURADA」は「神聖な」という意味です。
すなわち次に向かうエリアは 「神聖な広場」。 神殿など祈りをささげるための施設が集まったエリアです。
主神殿
右が崩れかけてはいるものの(地震による地盤沈下が原因)、他の建物の比べると石組みの緻密さが際立っています。
このエリアがいかに重要であったかを物語っています。
3つの窓の神殿
主要な施設が集まった広場の全体像はこんな感じです。狭い場所に集中しています。
この広場からさらに階段を上ります。
インティワタナ
日時計といわれる岩ですが、暦を知るために? 何かの儀式に使われた? これも謎です。
再び下ります。石段を上り下りの連続。普段鍛えていないので、翌日の筋肉痛を考えると恐ろしいです。(国内での城めぐりが役立っているのか、思ったよりは軽かったですけど)
まるで日本の城跡のような石垣を眺め
復元された小屋(ワイラナ)付近でちょっと長めの休憩
この小屋の向こう側にワイナピチュへの登山口があります。
聖なる岩
パワースポットといわれる巨岩です。
パワーがあるかどうかはよくわかりませんでしたが、山を借景にしたひとつの絵のように見えるのは素晴らしい!
この付近には、人が多く集まっているせいか、リャマたちが大挙してやってきました。
動物たちは人間馴れして基本的にはおとなしいのですが、気まぐれに寝転がったと思ったら突然走り出したりすることもあるので撮影は大変でした。
なんとか撮れた苦労の1枚です。
暑いし、お腹がぺこぺこなのでこの先はもう惰性で進んでいきます(苦笑)
誰かの住居(←もうこのあたり、わからなくなってます)
遺跡の端から見下ろすと、今朝バスで登ってきたジクザグの道が見えました。
段々畑の高低差を見たら、一気に疲れました〜
天体観測の石
太陽の光がここに映ることで天体観測をしていたらしいそうです。
コンドルの神殿
↑ これは翼の部分。手前に頭部がありますが1枚に収まりませんでした~(泣)
翼と頭でコンドルをイメージしてください(笑)
段々畑に沿って入場口のほうに戻ります。
歩道としては歩きやすいけど、ここで畑作業は怖いわ〜
貯蔵庫は、すっかり「休憩所」と化していました~
ここでマチュピチュ遺跡観光 午前の部は終了です。
この後は昼食をはさんで、午後の部(インカ道のトレッキング)に向かいます。
マチュピチュ遺跡散策の注意事項など
10月のペルーは春。日本でいうと4月くらいのはずだったのですが、この日の日中は25℃を超えていました。湿気はないものの陽射しが強く、サングラスと帽子、日焼け止めは必須です。
そしてもっとも重要なのが水分補給です。
このシーズンでも最低1リットルは用意しましょう。私はツアー最初に立ち寄ったリマのスーパーで安く買ったものを持参しました。
一時はペットボトル持込み禁止との情報がありましたが、この時は大丈夫でした。
また、食べ物も飴程度ならOK(私はカリカリ梅持参しました~)
ゴミは「すべてお持ち帰り」を守りましょう!
なお、この遺跡は標高2400〜2500mのエリアにありますが、心配だった高山病については周囲を見てもほとんどありませんでした。
こちらからツアーのダイジェスト・リンク集がご覧いただけます。