平和記念資料館を見学した後、出て原爆ドームに向かい公園内を歩きます。
慰霊碑は原爆ドーム保存を先読みして設計されていた
慰霊碑前の広場
広いスペースです。8月6日に戦没者慰霊の式典を行うのがここ。
慰霊碑の先、直線上に原爆ドームを見る
慰霊碑を設計したのは丹下健三氏。東京都庁舎なども手掛けた有名建築家です。
のちに原爆ドームと呼ばれるようになる建物が、まだ保存されるか結論が出ていないときからこれが保存されることを確信して、慰霊碑の中から直線上に臨めるように設計したといわれています。完璧な角度です。
横から見ると、屋根のようにも見えます。
原爆の犠牲者たちが雨にさらされないように「家型はにわ」を模しているそうです。
石碑に刻まれている文字は
”安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから”
平和の灯
慰霊碑の反対側にまわると火が灯っています。1968(昭和43)年からずっと燃え続けているこの火は、「核兵器が廃絶されるまで燃やし続けよう」との思いが詰まっています。雨でも消えません。
前日、弥山の霊火堂で見た火が元火のひとつになっています。
地下に設置された国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
2002年に造られた比較的新しい施設です。
入口のモニュメント
原爆が投下された8時15分を表すデザイン。
手前には戦災で焼けた瓦などが並べられています。
地下に向かって続くらせん状のスロープを進みます。
ボードの切れ目にはメッセージが記されています。
地下2階までスロープを降りると、そこには円形の「祈りの空間」がありました。
壁面には、タイルで描かれた広島のまち。
部屋の中心には、8時15分のモニュメントがあり、壁に沿って椅子も用意されています。
この部屋を出ると、最新式?の遺影コーナーがありました。ディスプレイに犠牲者のお名前や顔写真が映し出されています。またタッチパネルで名前などを検索することもできるそうで、今の時代らしいというか・・・どうなんでしょう?
原爆で犠牲になった方は、正確にはつかめていないそうですが昭和20年末までに亡くなられた方の数で推計14万人。爆心地から1.2km圏内では、その日のうちに半数の方が亡くなっているそうです。
原爆の子の像と折り鶴
原爆で犠牲になった子どもたちの慰霊と平和を願うために全国からの募金により造られた像です。
像のすぐ脇には、平和のシンボルとされている折り鶴が飾られたブースがあります。
千羽鶴だけなく、折り鶴で描かれた絵などもあります。国内だけでなく世界中から集まる日も近いのかもしれません。
対岸に原爆ドームとおりづるタワーが見えてきました。
おりづるタワーは2016年に完成。展望フロアや飲食施設、ギフトショップが入っています。
戦後70数年、変わらぬ姿で立ちつづける世界遺産・原爆ドーム
鉄骨がむき出しになったドーム、焼け落ちたレンガなどが原爆の凄まじさを伝えています。1996年に世界遺産に登録されています。
原爆により不名誉な名前になってしまいましたが、元々は広島県物産陳列館という建物でした。当時としては斬新で町を象徴する建物だったはずです。
戦後70年以上経っても今なお、広島に多くの人が訪れ、原爆の悲惨さや平和について考える機会を持つようになっているのは、何よりも原爆ドームの存在が大きいと思います。
負の遺産というのは、それを見るたびにつらい思いをするため残したくないという意見もありますが、その被害を直接知らない後世に伝承していくためには、必要なことなのかもしれません。
雨が降り続く中、徒歩で平和記念公園から広島城へ向かいます。