2018年3月広島の旅のつづきです。
再び宮島に行く前に、徳川家康関連の史跡として気になっていた地を訪ねました。
西軍大将・毛利氏が治めた”敵地”に造られた東照宮
東照宮といえば徳川家康を祀る神社です。東照宮は全国各地にあり、ひそかに徳川家康ファン?な私は、西軍の大将でもあった毛利氏が治めていた地(関ヶ原の後は、福島正則が治めています)に東照宮があったことにビックリ&興味津々です。
広島まで来てこのまま帰るわけには行きません!
広島駅のインフォメーションセンターに立ち寄ったところ、バスで行くより歩く方が早いかも、とのアドバイスをいただき、15分ほど歩きました。
【名 称】広島東照宮
【主祭神】東照大権現(徳川家康)
【創建年】1648年
【創建者】広島藩2代藩主 浅野光晟
【文化財】広島市重要文化財:唐門、翼廊 他
【所在地】広島県広島市東区
寺社の集まる「二葉の里歴史の散歩道」を歩く
広島駅の北、小高い山の麓周辺は歴史の古い寺社が集まるエリアで、二葉の里歴史の散歩道として整備されています。
案内板を素直に見ればいいものを、Google Mapを頼ったばかりにまた騙されて曲がる道を間違えてしまったようです。
少々遠回りをしつつ、境内の奥から入ることになってしまいました。
正面から入れば、こんな感動的な光景が迎えてくれたんですけど・・・
原爆の被害から逃れた重要文化財のある広島東照宮
唐門と翼廊
近年修復されたばかりのようで、鮮やかな朱色の建物です。
翼廊の奥には神輿が見えます
東照宮らしい透彫
本地堂
かつては薬師如来を祀っていた建物ですが、神仏分離により現在は神輿が保管されています。神仏混合時代の貴重な遺構です。
境内では、ちょうどしだれ桜が咲き始めていました。
ここまでが江戸時代の建造物。この他に手水舎、神輿などが現存しています。
広島(正式には廣島)東照宮は、家康薨去後三十三年忌にあたる1648年に創建されました。当時の藩主は浅野光晟(みつあきら)。その生母は家康の三女・振姫なのです。
関ヶ原の戦い後、毛利氏の領地であったこの地は、尾張の福島(正則)氏、紀州の浅野氏と藩主は徳川と関わりの深い大名の配下となっていたのですね。
正直、アウェイ感たっぷりで入った境内でしたが、それを知ったら居心地もよくなりました(^^ゞ
拝殿及び本殿
拝殿及び本殿は残念ながら原爆の熱風により焼失し、戦後再建されたものです。
安産、子育て、厄除けなどにご利益があるそうです。
社殿の奥にもお社が建ち並んでいるので、巡ってみます。
御産稲荷神社と福禄寿
御神井
さらに道路を挟んだ山の斜面へ続く道を登ると、いくつかのお社が並び、奥宮につながっています。
社殿全容と広島駅方面を見渡せます。駅から至近距離なのがわかります。
金光稲荷神社
その名前からも金運アップにご利益がありそうですが、こちらは商売繁盛、家内安全にご利益があるそうで、地元の方と思しき方たちがお詣りしておられました。
さらに赤い鳥居が続く参道を登ります。
家康公の遺訓が掲げられた御遺訓参道です。
出世稲荷
家康が出世した地に縁ある私としては、やはり出世観音はお詣りします。
ちなみに”出世の街”として売出し中の浜松市にはこんなのありますけど~(苦笑)
奥宮までは行きませんでしたが、「敵地」でも家康公は手厚く祀られていることを確認し、安心して東照宮を後にしました。
広島東照宮 ご朱印
拝殿向かって左側の窓口でいただけます。
ちょうど担当の方がご祈祷中とのことで、書置きでいただいてまいりました。