2018年3月の広島の旅、初日に弥山へ登り、最終日に再び宮島に渡り厳島神社へ参拝です。
日本国内にある20ヶ所を超える世界遺産の中でも、観光客数だけでなく満足度も上位にランキングされている厳島神社。フェリーや参道の混雑(オフシーズンの平日でも人が多いです)を目の当たりにその人気を再認識しつつ社殿に向かいます。
海に建つ荘厳な厳島神社の社殿へ
入口 (拝観受付)
上記の写真は日曜日の午後4時ころのものですが、実際に入場した平日のお昼頃はもっと空いていました。
拝観料はおとな300円(宝物館とのセット券は500円) -2018.3.20現在-
廻廊
社殿をつなぐこの廻廊も国宝です。
(養生板が敷いてあるため建物内は土足で歩けるようになっています)
美しい朱色の空間に入ると、ピッと身が引き締まります。
建物内は一方通行となっているので、順路に沿って進みます。
建物をつなぐ廊下ではありますが、ここを歩きながら見る社殿も素晴らしく、主役級の存在感さえ感じる廻廊です。
鏡の池
潮が引くと現れる池。社殿の周辺に3ヶ所あります。
うっすらと池が現れはじめていました。
2日前の干潮の時撮影した様子はこんな感じでした。
きれいな丸い形をしていて、清水が湧き出ています。ここに映る月は厳島八景のひとつにもなっています。
常に修復をしながら海の上に立ち続ける社殿
廻廊を進んで行くと工事中箇所がありました。
「工事現場♥好き」な私、気になって仕方ありません。(笑)
この場では工事の様子が窺えませんでしたが、参拝を終えて桟橋に戻る途中、神殿のちょうど裏側を通ったとき、材木を運んでいる職人さんに遭遇しました。
通常は寺社などは閉鎖された空間で資材搬入や修復工事をすることがほとんどですが、海上に建つ厳島神社では、建物を公開しながら随時脚部などの修復をしていくと聞いたことがあります。大変なご苦労があると思います。
平舞台の近くで見た修復の跡
また、床板には隙間(スリット)があり、この構造により高波や台風の被害を軽減しているそうです。
先人の知恵と現代の職人さんたちの努力によって、美しい姿で維持されているんですね。
拝殿・本殿
厳島神社は、593年に安芸の国の豪族であった佐伯鞍職(さえきくらもと)によって創建されたと伝えられています。
現在の社殿は平清盛の時代に建てられましたが、島全体が御神体と考えられていたため、島内に建物を造るのは恐れ多いとのことからこのような海上に建てられているのです。
ご祭神は、天照大神の子である宗像三女神
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
・田心姫命(たごりひめのみこと)
・湍津姫命(たきつひめのみこと)
ご利益は、海上交通安全、さらには市杵島姫命が神仏習合の時代には弁財天と同一とみなされていたことから金運にもご利益があるとされています。
祓い所
高舞台
平舞台
この行列は、平舞台の先端から鳥居を背景に写真を撮るための列です。
私はできれば人が入らない写真を撮りたい派ですので並びません(^^;
左門客(ひだりかどまろうど)神社
平舞台の両脇に対になって建つ2つの建物「右門客神社」「左門客神社」には、
・豊石窓神(とよいわまどのかみ)
・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)が祀られています。
門を守る神様といわれています。
趣の異なる建築が楽しめる西廻廊の建物
本殿を挟んだ反対側の西廻廊側は、朱塗りではない建物が並び、雰囲気が変わってきます。
天神社
学問の神様・菅原道真をお祀りしています。社殿前には絵馬がずら~り。
長橋
島へ直接つながる橋は、全長33メートル。神饌(神様のお食事)を運ぶために使われたといわれています。(現在は通行不可)
反橋
天神社の奥に見える橋、勅使橋とも呼ばれ、天皇の御遣いが来た時に使われたそうです。
能舞台
江戸初期に広島藩主の福島正則により創建された後、何度か再建されています。
出口
入口が切妻造りであったのに対し、こちらは唐破風造りになっています。
かつては、こちらが入口だったという説もあるそうです。
平安時代の平家の隆盛を残す最大の建造物といえる厳島神社。800年近く海上にそびえ続ける姿には、日本人でなく世界中の方が感動するのもわかる気がしました。
余談ですが、宮島とフランスのモン・サン=ミッシェルは観光提携を結んでいるそうで、広島地区を訪れるフランス人の数は他国をしのぎ圧倒的に多いそうですよ。
厳島神社のご朱印
亀甲紋が象徴的な御朱印です。
拝殿の向かって右側にある御朱印授与所でいただけます。
現在は神社となっている厳島神社ですが、神仏習合の名残のあるお寺が島内にあるので、引き続訪ねて行きます。