2018年6月 京都東山散策 つづきです。
哲学の道を銀閣寺方面から大豊神社へ立ち寄り、そしてさらに南下します。
哲学の道は、相変わらず人がほとんどいません(-_-;)
こちらの神社も実は予備知識はあまりないままに向かいました。
熊野詣の出発点として崇敬されてきた
熊野若王子神社
熊野若王子(くまのにゃくおうじじんじゃ)と読みます。
6世紀頃から人々の信仰を集めた熊野三山。全国各地に熊野神社はたくさんありますが、京都には熊野三山を模した”京都三熊野”があります。そのうちのひとつがこちら。
熊野詣が大好きで30回以上も訪れたという後白河法皇の勅願により、1160年に永観堂(禅林寺)の守護神として熊野権現を勧請したのがはじまりです。
熊野詣でに行く際には、ここでお清めを行ってから出発したとか。また熊野詣でに行かれない庶民たちにとっては、ここが別宮の位置づけでもあったのですね。
ここも境内入口は緑が豊かです。
春には見事な枝垂れ桜が見られそうな感じですね。
近づいてみると石橋が良い感じです。
社殿
若王子神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)の中でも那智大社の位置づけであるそうです。
ご祭神は、国土生成の中心的神とされる国常立神(くにとこたちのみこと)をはじめ、伊佐那岐神(いざなぎのみこと)、伊佐那美神(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)です。
本家の那智大社はどんな建物だったかちょっと昔の写真などを・・・
建物のつくりは違いましたね。
しかし、熊野といえば・・・の象徴でもある八咫烏(やたがらす)が扁額の中に隠されています。
御朱印には「那智」の文字がという文字が記されています。また、3本足の八咫烏の朱印も押されていました。
よく見れば入口付近の石碑にも「那智」の文字があります。
御朱印を書いてくださった神職の方から”京都熊野三山”や那智に関わりがあることも説明をいただいたのですが・・・大事なことを聞き忘れてきました。
那智といえば滝があるはずでは?
完全に予習不足でした(振り返ると写真も少ないです)。次回は滝を見に行きたいと思うと同時に、三山の残り2つ(熊野神社、新熊野(いまくまの)神社)も改めて参詣したいと思うのでした。
また、若王子神社の境内入口付近にはこんな案内板もありました
これも気になる・・・
この若王子神社は、かつては熊野詣の起点でもありましたが、時代は変わり今は「哲学の道」の起点になっています(神社の西にある若王子橋)
私は反対から歩いて来たのでここがゴールです。
次に訪ねる永観堂は、その行き止まりとなった先にあります。
塀伝いに境内の入口へ進みます。
つづく