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【鹿児島の旅6】西郷&島津家ゆかりの地めぐり3~鹿児島城

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2018年12月の鹿児島の旅 つづきです。 

 

鹿児島城跡の名残はどこに?

引き続き雨の中を歩き続け(容赦なく雨が降り続きます)鹿児島城跡と思われる地に着いたはずですが、図書館や博物館のような建物だらけでまったく城跡らしさがありません。

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照国神社から歩いて行ったので、西門から入ってしまったようです。

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お堀や石垣の遺構は主にバスの通る国道側にあります。かなり遠回りしてますが、運動不足解消のためひたすら歩きます。

その前に、せっかく日本100名城に来たのでスタンプをいただかなくては!

 

100名城スタンプは鹿児島県歴史資料センター黎明館で

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巨大なこちらの建物は鹿児島県の歴史研究施設だそうです。

無料エリアで懐かしの「篤姫」のドラマ衣装などが展示されていました。

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有料エリアの歴史展示施設もあるようですが、時間の都合もあったのでパスしました。

鹿児島市内には幕末の志士たちをテーマにした「維新ふるさと館」、島津別邸の「仙厳園」及び世界遺産(明治日本の産業革命遺産)の 構成資産にもなった「尚古集成館」などもあり、観光客としてはそちらに足を運んでしまいがちです。

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この広い玄関ホールの一角にある受付横に100名城スタンプがありました。

 

いまだ城跡に来た実感がまったくないままスタンプをもらってしまいました(-_-;) 

これではいけません!スタンプのデザインにもなっている場所へ行ってみましょう。

 

外へ出ると北御門の付近に新しく造られたと思われる篤姫の銅像があります

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鹿児島城跡の敷地内は絶賛工事中

敷地内に積まれた多数の石は、調査あるいは修復中の様子。

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お堀の外に出たいのですが、工事による通行止めだらけで、またまた大回りしてしまいました。

どうやらこちらの工事が大掛かりに行われているようです。

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やっと外に出た~

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全然お城の石垣っぽくないんですけど・・・

鹿児島城は西軍が敗北した関ヶ原合戦の後、1601年から10年の歳月をかけ島津家久によって築城されました。しかし当初から櫓も天守もありませんでした。薩摩藩は戦国時代に築かれた外城(出城)が領内に多く、鹿児島城自体を要塞化する必要がなかったためです。藩主の住む屋敷などはあったそうですが、現在残るのは御楼門の遺構などです。

 

鹿児島城の遺構

しばらく歩くと、本丸と二ノ丸の境界となる石垣が見られました。

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江戸時代の比較的新しい石積み(切り込みはぎ)ですね。美しい積み方ですが、無骨な野面積みが私は好きです♡

 

御楼門の石垣が見えますが通行止めです。

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2020年3月末の完成予定だそうです。明治維新150年に間に合っていないのが残念・・・

この奥には、城内へ向かう枡形の通路があるそうですが残念ながらここも立ち入り禁止。ということで北東の角まで歩いてみます。

 

鹿児島城跡を象徴する鬼門除けの石垣

ありました!スタンプのデザインにもなっている石垣です。

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角に凹みが見られるこのつくりは、災いを避ける「鬼門除け」のひとつの形です。江戸城では鬼門除けとして上野寛永寺が建てられたという話は知っていましたが、石垣の凹みは鹿児島城ならではのようです。

 

予想していたほどお城らしさを見られなかった鹿児島城ではありましたが、この先にそびえる城山周辺には、幕末の歴史を残す有名なスポットがあります。

雨の中で感覚が麻痺してしまった私は、このまま西郷隆盛終焉の地などを徒歩で巡ったのでした。