2020年2月に静岡浅間神社を参拝しました。
今回は、1キロほど北に位置する臨済寺とあわせ、静岡市のボランティアガイドさんの案内により解説付きで巡ることができました。
静岡浅間神社について
三社の総称が『静岡浅間神社』
静岡市民からは「おせんげんさん」と呼ばれて親まれている神社です。
正式には神部(かんべ)神社と浅間(あさま)神社、さらに大歳御祖(おおとしおみや)神社の三社から成る神社の総称としてこのように呼ばれています。
(記事内では、総称「静岡浅間神社」でご紹介する部分が多々あります)
この他にも境内社があり、いずれも重要文化財となっている漆塗りの豪華な社殿が境内に建ち並びます。その数26棟。
それゆえに、”東海の日光”とも称されています。
境内では20年にわたる修復工事の真っただ中でした。
次々に建物が美しく復元されていきます。現在は楼門の工事が進行中でした。
徳川家康とゆかりの深い神社
なぜこんなに豪華な社殿があるかといえば、それは徳川家康のおかげ。
駿河国総社という古代からの続く歴史もあるのですが、徳川家康が今川家の人質として過ごした時代に、ここで(今川義元が烏帽子親となり)元服しました。
それ以来徳川幕府の崇敬も厚く、家康をはじめ幕府からの強大な支援のもと江戸時代に造営された社殿が現存しているのです。
賎機山を背に建ち並ぶ社殿
神部神社・浅間神社
総門
麻機街道沿い 東に向かって建つ門です。
楼門
(左)2020年2月撮影 (右)2015年10月撮影
完全にシートで覆われています。
日光東照宮の陽明門の時にあったようなサプライズ(修復工事で、今まで隠れていた絵画が現れ公開された・・・)があったらいいけど、残念ながら・・・ないそうです。
【名 称】神部神社-かんべじんじゃ-(駿河国総社)
【主祭神】大己貴命-おおなむちのみこと-
【創建年】約2100年前(登呂遺跡の時代)
【名 称】浅間神社-あさまじんじゃ-(冨士新宮)
【主祭神】木之花咲耶姫命-このはなさくやひめのみこと-
【創建年】10世紀初頭
手水舎
楼門をくぐってすぐに手水舎が両側にあります。
社殿は二社同殿ですが、手水舎は独立した珍しいつくりです。
舞殿
建物はひとつ、それぞれの社紋が記されています。
彩色はないものの緻密な彫刻が施されています。
拝殿
比翼三間社流造の建物で、高さは25メートル。出雲大社と並ぶ高さです。
高さの迫力が今いちなので、以前撮影した写真にて
合いの間をはさんで向かって右が神部神社。左が浅間神社。
現在の社殿は19世紀初頭に60年かけて作られたものだそうです。
拝殿の中には、(日光東照宮の「眠り猫」に対して)通称「目覚め猫」の彫刻があり、不定期で一般公開されています。
向かって右の神部神社には徳川家康も祀られています。
本殿(特別見学)
今回は団体ツアーで拝殿奥にある本殿の(外観)見学をさせていただきました。
通常立ち入ることのできない聖域内へ入り、解説付きで30分近く見学することができました。
ここでお祓いを受け、襷をかけて聖域に入りました。(この先写真撮影禁止)
漆塗りが施された社殿には、動物や植物など神様に関連した多くの彫刻を見ることができました。
本殿は富士山がのぞめる位置にあります。残念ながらこの日は富士山は見えませんでしたけど・・・
経年劣化で建物はかなり色褪せています。楼門に続く修復に期待が膨らみます。
静岡浅間神社を構成するもうひとつの神社
大歳御祖神社
【名 称】大歳御祖神社-おおとしみおやじんじゃ-
【主祭神】大歳御祖-おおとしみおやのみこと-
【創建年】3世紀頃
こちらは、南に面して神門が建てられています。
主祭神の大歳御祖はお稲荷さんの母神様です。
鳥居の先は商店街につながっており、地元の方たちが参拝に出入りしていました。
神門
社殿修復が2年前に完了したばかり。朱色の漆が輝いています。
拝殿
本殿
少し高いところにあるので社殿の壁面は見ることができませんが、漆黒の屋根と金色の装飾が輝いていました。
境内社もみどころたっぷり
八千戈(やちほこ)神社
社務所のすぐ近くにある境内社。境内社にもかかわらずかなり立派な建物です。
その理由は、ここを訪れる前に訪ねた臨済寺にある摩利支天(武運にご利益があり徳川家康も信仰)は、元々ここに祀られていたものでした。
以下の記事は2016年に参拝した時のものです。
神仏分離によって摩利支天が臨済寺に安置された後、神部神社の主祭神である大己貴命の荒御魂(あらみたま)である八千戈命(やちほこのみこと)が祀られました。
動物や植物、中国の故事にまつわる彫刻の数々
少彦名(すくなひこな)神社
2年前に修復が完了したばかり。
かつては薬師十二神を祀っていましたが、これらも臨済寺に移され、現在は医療や病気平癒の神 少彦名命が祀られています。
この建物は、蟇股に十二支が彫刻されていることで知られていますが、正面が「虎」になっているのは徳川家康の生まれ干支に配慮しているのでしょうか?
ところで、屋外には10の干支しか見られません。あと2つはどこに?
銅板葺きの屋根にも漆が塗られています。側面から見ると鮮やかに蘇った彫刻と、光沢のある漆塗りも確認できます。
境内の建物の彫刻で印象的だったのは、青い波の彫刻が随所にみられたことです。
玉鉾(たまぼこ)神社
他の建物に比べると地味ですが、伊勢神宮(遷宮での)古材で造営された社殿です。
本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)ら国学者たちが祀られ、学問の神様としてご利益があります。
麓山(はやま)神社
八千戈神社の横にある階段。ここを登った先に社殿があります。
こちらは前回の写真にて・・・
賎機山(しずはたやま)の山宮であり、主祭神は大山衹命(おおやまつみのみこと)。浅間神社の主祭神・木之花咲耶姫命の父神です。
この賎機山には賎機山城があり、この地を巡って今川と武田の熾烈な戦いが繰り広げられたといわれます。
また静岡という地名はこの賎機山に由来しています。
静岡浅間神社の御朱印
「三社の総称」の御朱印となっています。
神部神社をはじめとした境内社の御朱印もいただけます。
まとめ
静岡浅間神社は、久能山東照宮のように社殿全体が公開されていないため、地元の方以外にはその規模や豪華さがあまり伝わっていないのではと思いました。
ガイドさんから聞いたところでは、国内で漆塗りの建物の所有では日光東照宮を有する栃木県がトップ。それに続くのが静岡県なのだそうです。
さらに県内では36棟あるうちの26棟がこの静岡浅間神社の境内にあります。
久能山東照宮をしのぐほどのこれだけの建物があることに県民ですが初耳でした。
また、静岡浅間神社は臨済寺と関わりも深く、これらの連携により明治の神仏分離の流れの中で貴重な文化財を失わず後世に残すことができたことも感慨深いです。
時間が許せば、臨済寺とあわせて訪ねることをおすすめします。
そして今回訪ねてみて、日常は公開がされていなけれども、不定期に社殿が見られる機会が多いことも知りました。
静岡浅間神社ではSNSでも積極的に情報を発信しているので、こまめにチェックをしていれば情報がキャッチできます。
そして、境内では20年がかりの大規模修復が順次進んでいます。
工事用の幕に覆われて見られない建物もありますが、修復が終わったばかりの美しい状態で見られる建物もあるので、プラス思考で参拝しましょう。
徳川家康の成長をこの地で見守った神社であることに加え、工事中が大好きな私にとっては、しばらく目が離せないところです。
【2023.7.12追記】
2023年夏より拝殿が工事に入ると案内されています。
静岡浅間神社のシンボルでもある社殿がしばらくの間見られなくなりますのでご注意ください。