岐阜県関市にある道の駅 平成(へなり)を出てしばらく走っていたら看板を見つけたので気になって寄り道。
岐阜県最古のお寺ということにあわせ、看板には2018年末から2019年始のNHK「行く年来る年」で本堂、鐘楼などから中継が行われたそうで、ミーハー根性半分で訪ねてしまったのですが歴史ある素晴らしいお寺です(-_-;)
【名 称】大日山 日龍峯寺(高澤観音)
【ご本尊】千手観音菩薩
【創建年】5世紀前半(仁徳天皇の時代)
【開 基】両面宿儺(りょうめんすくな)
【文化財】多宝塔 他
【所在地】岐阜県関市
寺伝によれば、5世紀前半の仁徳天皇の時代、美濃国に日本書紀にも登場する両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がおり、この地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、龍神の住んでいたこの山に祠を建立したのが始まりと伝わっています。
境内の様子
駐車場から境内へ
境内案内図
私が駐車したのは第1駐車場(20台ほど)で、境内東側のお堂が建ち並ぶ道を進み本堂へ向かいます。駐車場から本堂まではゆっくり歩いて20分ほどです。
鐘楼
昭和11年建立(再建)された鐘楼。
不動堂
18世紀後半の寛政時代に建立された修験道場
立地のわりに境内は多くの人が訪れていました。美濃西国三十三ヶ所一番札所であり、またハイキングコースなどとしても人気のスポットなため老若男女が訪れています。
薬師堂
薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩が安置されています。
多宝塔
重要文化財に指定されているこの多宝塔は、鎌倉時代に北条政子が再建に寄与したと伝わるものです。
当時、干ばつによる飢饉で多くの人々が苦しんでいたところ、北条政子の夢枕に神龍が現れ、お告げのとおりに寺の池に法華経を書写して供養したものを入れたところ雨が降るようになったそうです。
4メートル四方、高さは約15メートルの檜皮葺(ひわだぶき)。鎌倉時代を代表する建造物となっています。
鐘楼から多宝塔までの参道は若干の起伏はありますが、歩きやすく整備されています。間もなく本堂というところで石段(下り)になります。
本堂
山頂の本堂は傾斜地の岩山に建てられていて、京都の清水寺のようなつくり(舞台造り、懸造り)に似ていることから、美濃清水とも呼ばれています。
本堂の右側には籠堂(こもりどう)が並んでいます。その間の階段を登って本堂に上がります。
多宝塔とともに北条政子が寄進した本堂は焼失し、現在の建物は江戸時代に再建されています。
籠堂(こもりどう)
信者や行者が籠って祈願するお堂です。
後で知りましたが開放されるのは毎月第3日曜日のみだそうで、幸運でした。
本堂内
本堂舞台
本堂天井絵
時代を感じさせる天井画や額が残っています。
拝観の後は、反対側の屋根付き階段から降ります。
どちらの階段もかなり急です。寺社を訪ねる度に思うのですが、あと20~30年後にも難なくこういうところを歩き回れるよう心身あわせた健康維持に努めたいものです。
御霊木 千本桧
根元から複数に枝分かれしているようすから”千本桧”と呼ばれています。
同じルートで駐車場へ戻る途中、展望広場に寄ってみました。
展望広場
本堂の舞台よりここからの眺めの方が良かったです。
境内をぐるりと歩いて約40分ほどでした。
仁王門
駐車場から反対側に車で下ったところにあります。年代を感じる門は享保3年の建立で、仁王様が構えています。門の前には弘法大師の像です。
ここから本堂へ登る階段もあります。(ただし駐車場からは遠回りになります)
御朱印
本堂内(右手)で御朱印をいただいたところ、角にかわいい千代紙を添えてくださいました。
御朱印は庫裡(くり)にある納経所でもいただけるそうです。
まったく下調べせずに参拝した日龍峯寺でしたが、奇しくもこの日は月に1回だけ庫裡にてお蕎麦を提供する日でした。きちんと下調べしていくべきだったと後悔・・・
場所とアクセスについて
これも下調べをしていかずちょっと後悔したので記しておきます。
私は「道の駅 平成」の近くの看板で知り、それに沿って山道を上りました。こちらは裏参道にあたる道で、道幅が狭く、普通車のすれ違いがギリギリという場所がいくつかあります。私は運転が苦手というわけではありませんが久しぶりにちょっと怖い思いをしました。
対して表参道はバスでも余裕の道幅となっているので、そちらから行かれることをおすすめします。
とても良いお寺で歩きごたえもあったので、次回はお蕎麦もいただきに訪れたいと思います。