麒麟紀行 つづきです。
岐阜可児大河ドラマ館とあわせて訪ねた史跡です。
まずは、この地がなぜ明智光秀の生誕の地とされているかについてざっくり。
土岐氏と明智光秀
明智光秀の出生については諸説ありますが、土岐氏の流れをくむ「土岐明智氏」の一族であるといわれています。土岐氏は源氏の流れをくんだ土岐光衡を祖とし美濃の守護として力を持っていた氏族です。
(岐阜可児大河ドラマ館のパンフレットより引用)
明智荘に築かれた明智城
14世紀中ごろに土岐頼兼が現在の可児市北東部から御嵩町にかけて存在していた明智荘(あけちのしょう)に城を築き、明智姓を名乗るようになったとされ、この一族が土岐明智氏といわれています。
そのトレードマークであった桔梗紋が明智光秀も使用した紋となっています。
明智城入口付近の看板
明智城址へGo(行き方)
明智城跡は花フェスタ記念公園から徒歩圏内にあります。現在、明智城跡近くの駐車場へ車の乗り入れができませんので、公園に駐車して歩くことになります。
距離は1.5kmほど。20~30分かかります。往復で1時間ちょっとになります。
花フェスタ記念公園のチケット売場付近にいるボランティアガイドさんにお聞きすると、すかさず明智荘の地図入りパンフレットをくださいました。Good Jobです。
花フェスタ記念公園の駐車場からこの道路に出るだけで5分くらいかかります(-_-;)
道路を挟んで明智城跡(及び天龍寺)に続く道への看板があります。
花フェスタ記念公園は広大な緑地ですが、明智城址に続く道は住宅街になっています。
5分ほど歩くと神社があります。このあたりには寺社がいくつか集まっています。
太元神社です。すぐ近くに2005年愛知万博のモリゾー&キッコロの”遺構”を発見して思わずパチリ
その横にある大きなお寺が天龍寺。(日本一大きい明智光秀の位牌があるそうです)
その前を通り過ぎて間もなく明智城址公園駐車場です。
駐車場は閉鎖されていますが、仮設トイレと休憩施設は利用できます。
すぐ横に城跡への入口があります。石畳を進みましょう。(右は民有地)
この先、本丸まで石畳や階段がきれいに整備されています。大河ドラマや100名城などで注目され急ごしらえの城跡も多いのですが、意外にもここは以前から地元の人に愛されている公園(ウォーキングコース)といった感じでした。
歩くこと数分で、ドラマの紀行で見たこの風景が現れます。
明智城址大手門
桔梗坂
坂をひたすら登ります。比較的緩やかですがコロナで運動不足の体に堪えます(泣)
入口付近でひとりすれ違った程度で誰にも会わないので少々不安になりますが、迷うような箇所はありません。ひたすら前進あるのみ!
土塁らしきが見えてくるとゴールはもうすぐ!
二ノ丸曲輪(くるわ)
桔梗坂を登りきるとトイレや休憩施設があるエリア。ここが二ノ丸跡。
散策マップがあります。
U字のように進むと城址を一周できるようになっています。
本丸跡
このあたりに撮影スポットが集中しています。
本丸跡は石碑がいくつかあるのみで基本空き地ですが、なにやら工事中。よく見るとここに銅像を立てようという計画です。6月に完成予定とされていますがその気配がまったくありません。
実は大河ドラマ館(企画展示コーナー)で見たのですが、こんなのが建つ予定。
しかしまだ寄付金集めしている様子。わざわざ金色にしなくても・・・
きっと、コレに対抗していると思うのですが・・・
(2012.3 岐阜駅前にて撮影)
ちょっと敵わないと思う・・・明智光秀の像は滋賀県に任せておけばいいと思います。
琵琶湖のほとり(坂本)にけっこう大きいのがいたので、あれを金にしてしまうってのはどう?
そんなことを思いながら展望台に向かいました(笑)
展望台
ここは、大河ドラマに合わせて急ごしらえした感がありますね。
ここから見渡す景色が、かつての明智荘(あけちのしょう)が広がっていた場所。
関ヶ原で見た風景と似ているような気がする・・・
さすがにここに来たら観光客と思われる方がちらほらといてホッとしました。
この先は散策道が続いていましたが、ちょっと下り始めたら急すぎたので引き返しました。
結局半周する形で、行きと同じルートを戻りました。
光秀どのが、親切に注意してくれているのに階段で滑りました(泣)
桔梗坂の階段は苔(コケ)で滑りやすくなっているのでご注意を。
明智城址散策は これにて終了。
花フェスタ公園から往復してちょうど1時間でした。
新型コロナのお籠りで運動不足気味の方には、程よい運動になるのではと思いますが、これからの季節は熱中症対策(水分補給など)をお忘れなく。
ちなみにトイレ周辺には自販機もありました。
これにて可児の旅は終了です。
2週おいて岐阜の大河ドラマ館と周辺史跡にいってまいりましたので、まだまだ麒麟紀行は続きます。(その間に少々脱線予定です)