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【麒麟紀行3】(愛知県名古屋市・豊明市)2つの桶狭間古戦場跡

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こちらの記事は2017年に訪ねた内容を加筆修正しています。

 

この地を訪ねたのは「おんな城主 直虎」の放映された2017年。井伊家の治める井伊谷(遠江の一部)は今川の配下にあったので、当然桶狭間は描かれると思いきや・・・今川義元(演.春風亭昇太さん)はまさかの「ナレ死」、いや「ナレ死」にもならず扇がひらりと舞って終わりましたとさ。

 

一方で、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、主人公の明智光秀には関りのない戦であるにもかかわらず、主君 織田信長の大きな転機となった戦ということで丁寧に描かれました。

同時に今川義元(演.片岡愛之助さん)の散り際も格好よく描かれ、若干汚名挽回にもなったのかな? 

www.momoyorozu.net

 

というわけで、今一度この桶狭間に関する記事を掘り起こして思い出してみることにしました。

 

桶狭間の戦いとは

1560(永禄3)年に桶狭間(おけはざま・・・現在の愛知県名古屋市から豊明市にかかる地域)で、駿河、遠江(とおとうみ)から三河にかけて大きな勢力を誇った今川義元が、尾張の織田信長に討たれた戦い。

今川義元の大軍に対して、少ない兵ながらも奇襲をしかけた織田信長軍が勝利したことで、駿河の今川は勢力を大きく失い、織田信長が天下統一に進んでいくなど戦国時代の勢力図が大きく変わります。

また、今川家の人質だった松平元康(のちの徳川家康)が今川家から独立し、三河を治めることになります。

 

2つの桶狭間古戦場

桶狭間の戦の場所(古戦場)として名乗りをあげているのは、名古屋市豊明市

そもそも古戦場というのはピンポイントで場所が特定できないことが多く、「多分この一帯」というくくりにされてしまうのです。

そんなわけで「言ったもん勝ち」「作ったもん勝ち」みたいな雰囲気で、史跡や関連の施設ができてしまうわけです。

それぞれに趣向をこらして桶狭間を名乗っている2つの史跡、公園についてご紹介します。 

 

1)桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)

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名古屋市緑区にあります。

名古屋の端っことはいえ一応名古屋なので住宅密集地にあります。近年整備されたと思われる開放的できれいな公園です。

公園なので出入りは自由。入場料も不要です。

今川義元と織田信長の像

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敵同士が並んで立っています。織田信長は若く、まだまだ貫禄はありません。

平日に行ったのでほとんど人は見当たりません。が、看板や資料が用意されています。 

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※2019年に近くに観光案内所が開設されました。

 

今川義元の墓碑(戦死の地)

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若干カジュアルな感じではありますが・・・

 

そして公園内のいちばんのみどころといえるのがこちら

合戦のジオラマ

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城や砦(とりで)など、合戦の位置関係を石と池で表しています。

大高城は、松平元康(のちの徳川家康)が兵糧を運んだお城です。「麒麟」ではここから動きませんでしたね。

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川(海?)の向こうには、戦勝の御礼に奉納したという熱田神宮の信長塀らしきもあります。芸が細かい!

熱田神宮には現存しているホンモノ

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この時は、案内板だけではわかりにくいなと思いましたが、「麒麟がくる」で桶狭間の戦いを見たらかなり理解できそうな気がします。

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この看板とあわせて、三密も避けられる屋外で「桶狭間ごっこ」もできそうな気がします。 いい運動になりそうです(笑)

 

体力がありあまっている方は、周辺のスポットにも目を向けましょう。

戦のみちを歩こう

公園周辺には関連スポットが点在していて、「戦のみち」としてルートが紹介されています。

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すべて歩くのは断念しましたが、とりあえずいちばんわかりやすいところへ

 

今川本陣跡へGo

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着きました・・・が、あまりにも普通の家の前でびっくりです。

関ヶ原のように当時に思いを馳せるような雰囲気はありません。

もうちょっと上れば眺めも違うのでしょうが、あまりにも閑静な住宅街に観光客がうろつくのも、と引き返しました。

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迷惑にならないように散策を楽しみたいものですね。

 

なお、2020年6月現在の情報では、公園近くにはNPO法人による観光案内所と数台分の駐車場が設置されています。

グッズの販売やパネル展示、周辺スポットの案内、歴史ガイドの取次などを行っているようですので、積極的に利用してみましょう。

 

okehazama.net

 

 

名古屋市の桶狭間古戦場公園を後にして、隣接する豊明市に向かいます。

2)桶狭間古戦場伝説地(豊明市)

 

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名古屋市の桶狭間古戦場公園から直線距離で約1Km弱。車で5分ほどのところにあります。

こちらも周囲にはマンションや住宅があり、すぐそばを国道1号線が通っています。

 

石柱に記された漢字を見ると、古くからここに建てられていた感じがします。

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江戸時代中期の1771年には石表が建てられたというのでかなり歴史は古いようです。

七石表(一号碑)

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今川義元の戦死した場所を示す最も古い石碑だそうで、表面の文字はかなり読みにくくなっています。

敷地を取り囲むように七石表(石碑)が立っています。

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今川義元の墓

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道路沿い(西側)にある墓石は、かなり字も読みにくくなっています。

 

七石表(東側)

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このあたりは無名の武士のようで何が書いてあるのかわかりません。

道路を挟んだところにも石碑があるようでしたがそちらまでは行きませんでした。

 

敷地全体は手入れの行き届いた庭園といった感じになっています。ぐるりと歩いても10分ほど。

パンフレットが用意されていたり、私が訪ねた時はいませんでしたがボランティアガイドさんの待機スペースがあったので、予約しておけばガイドをお願いできると思います。

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名古屋の公園に比べて、明らかにこちらのほうが歴史が古く、国指定の史跡にもなっています。それに加え「それっぽい」雰囲気が漂うのは気のせい?

いや、この古戦場伝説地は隣が病院になっています。近くにお寺もあります。

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今はきれいな病院に建て替えられているのですが、20年ほど前の夜にここ(国道1号線)を通った時にその病院の建物の雰囲気と相まって、なんだかゾクゾクっとして「あ〜、ここが有名な合戦場だったのね」と悟ったのを覚えています。

 

toyoake-okehazama.com

 

 

どちらがホンモノ!?

名古屋市と豊明市にある2つの史跡は、以前「本家」争いで対立しているようなニュースを目にしました。

2つの古戦場跡を比較すると、まったく性格の違う歴史スポットだと思います。

 

歴史大好きで、古戦場の雰囲気をしっかり味わいたいという方は豊明市の古戦場伝説地へ。

ちょっとそれはダメ・・・という方(霊感強い方?)やファミリーは、名古屋の古戦場公園に行きましょう。

もちろん両方を比べてみるのも楽しいと思います。

 

 

交通アクセス

いずれも名古屋市のベッドタウンですので、駐車場はほぼありません。 

名鉄の駅からそれぞれ徒歩圏内ですので公共交通機関の利用がオススメです。

 

また、2つの古戦場跡に加え、戦の舞台となっている大高城、善照寺砦、丸根砦の跡などもこの近くにあります。地図などを参考に距離感などを感じながら歴史に浸ってるのもよいと思います。