大河ドラマ「麒麟がくる」にちなんだ史跡を巡る 麒麟紀行 つづきです。
正確には、今回記事にするスポットは「麒麟がくる」のストーリーには登場していません。
ドラマでは、桶狭間の戦いで今川軍が敗退。(今川軍の)元康は織田信長のはからいで難なく岡崎城に戻ったことになっていましたが、実はそこにもドラマはあったのです。
松平元康(のちの徳川家康)が主役ではないので当然ですが、家康オタクの私としては、ナレーションだけでも登場させて欲しかったなと思いつつ、未練タラタラでこの史跡をご紹介したいと思います。
松平家の菩提寺 大樹寺
愛知県岡崎市にある浄土宗のお寺で、正式には成道山松安院 大樹寺(だいじゅじ)。
徳川家康の先祖である 松平家四代当主の親忠(ちかただ)が16世紀中頃に創建。松平家の菩提寺となっています。(徳川家康は当主としては9代目になります)
松平元康時代の家康と大樹寺
桶狭間の戦いの当時、松平元康は今川家の人質でした。
心の内には”今川が敵”というのは秘めていたと思いますが、それを隠しながらも今川軍として参戦します。しかし、その今川軍の大将・今川義元は織田信長により討たれてしまいます。
「麒麟がくる」ではさくっと大高城から岡崎に戻ったように描かれていましたが、大樹寺の伝えるところによると、元康はわずかな家臣と命からがら菩提寺である大樹寺に逃げ込みました。しかしそこも取り囲まれ、先祖のお墓の前で前途を悲観し自害しようとしました。
そんな元康に救いの手を差し伸べたのが住職の登誉上人です。
その時に登誉上人が元康を説得したことばがこちら。
厭離穢土 欣求浄土
(おんりえど ごんぐじょうど)
苦悩(戦乱)の多い穢れた(けがれた)この世を厭い離れ、心から欣んで(よろこんで)平和な極楽浄土を願う という意味です。
その後、元康は(家康になってからもずっと)、このことばを旗印などにも掲げ、戦乱のない徳川幕府の幕開けに生涯尽くすことになるのです。
これこそ「麒麟」ですか~?
おっと、それでは「麒麟がくる」の主役が成り立たなくなっちゃいますね(笑)
徳川家康の遺言と大樹寺
大樹寺には家康の残した遺言があります。
「遺体は駿府の久能山に埋葬し、葬儀は江戸増上寺で行い、
位牌は三河の大樹寺に建て
一周忌を過ぎたら日光に小さなほこらを建てて鎮守として祀ること」
(正確な文章ではありませんが、だいたいこんな意味になっています)
そうです、ご先祖さまを大切にする家康の配慮が感じられる素晴らしい遺言!
で、これらが二代・秀忠、三代・家光によって実行されました。さらに、家光はおじいちゃん大好き♡なので、日光東照宮をはじめとして家康にかかわりのある寺社をさらに豪華に造営することに力を注いだというわけです。
ということでさっそく境内へ。
大樹寺の建造物
山門
冒頭の写真は、徳川家光の時代に建造された山門です。その貫録に圧倒されます。
総門
見た目は小さい門ですが、現代に受け継がれる大樹寺のすごさがこの門の先にあります。
総門越し、正面に岡崎城が見えるようになっています。
ビスタラインというカタカナの名前がついてはいますが、江戸時代からずっと守られているこの景色。岡崎城までの距離は約3km。徳川家康の出生地です。
この粋な計らいの立役者はもちろん家光。徳川家康の十七回忌にあわせて、本堂から岡崎城がのぞめるようにと、本堂、山門、総門を一直線に配置する形に伽藍を整備したのです。ホント、おじいちゃん好きすぎて頑張りました!
その後、町をあげて400年近くもこの景観を維持していることもすごいのです。(電線が目立たなければ、なお良いのですが・・・)
現在、総門は大樹寺小学校の敷地内にあるので立ち入りはできませんが、山門からでもばっちりこの風景を確認することができます。(望遠レンズがあると良いです)
ちなみに、この小学校の児童たちは、家康の遺訓「人の一生は重荷負いて・・・」を唱和しているというのをテレビで見ました。カッコイイ~
山門と総門だけでも十分満足してしまいそうですが、本堂へ向かいましょう。
本堂
家光時代のものは江戸時代後期に焼失したため、こちらは再建されたものとなります。
屋根は三つ葉葵の瓦がぎっしり(@_@)
ご本尊は、阿弥陀如来、如意輪観世音菩薩。
祭壇の両脇には、金色に輝く「厭離穢土 欣求浄土」が掲げられています。
本堂内にあがって無料で参拝ができます。
本堂に入って、有料拝観エリアとなるのが宝物殿です。
拝観料はおとな400円(2020.7現在)
宝物殿(位牌堂)
家康の遺言である位牌が祀られている建物。
ここには、14代家茂までの将軍の等身大の位牌が並んでいます(15代・慶喜だけ位牌がない理由は・・・現地にて)。
徳川家康は159cm(ほぼ私と同じ身長です)当時の平均からすると男性でも160cmあれば大きいほうです。いちばん小さいのは、犬公方の5代・綱吉が、なんと124cm!
有料ですが解説書が用意されています。将軍の紹介など読み応えのある資料でした。
※上記の資料は2015年7月にいただいたものです
また、有料エリアにある収蔵庫では冷泉為恭(れいぜいためちか)作の襖絵(重要文化財)も見ることができます。こちらも芸術的に素晴らしいものですが、等身大位牌という他の寺院ではほとんど見られないものにすっかり心奪われてしまったというのが正直な感想です。
というわけで、ビスタラインだけ見て帰らないでください。ここを見ずして大樹寺はあり得ません!
御朱印
厭離穢土欣求浄土の文字と三つ葉葵の朱印入りです。
宝物殿の拝観料を支払うところでいただけます。
実は初回はここまで見て納得して帰ったのですが、その後、まだ見ていない重要なみどころがあったことに気づき再訪しました。
境内西側エリアは、家康の祖先である松平家のみどころが集まっています。
多宝塔
徳川家康の祖父にあたる七代・松平清康が天文4(1535)年に建てたもの。家康の生まれる少し前です。
一層は方形、二層は円形という造りになっていて、小ぶりながらも落ち着いていて品を感じる建造物。この地から江戸や駿府を見守っていてくれたんですね。
位牌や山門、総門が重要文化財指定されていないのですが、この多宝塔は唯一の重要文化財に指定されている建造物です。(内部は立ち入りできません)
境内西側は檀家さんの墓地になっているのですが、その中を北へ進みます。
松平八代墓(松平家墓地)
徳川家康が先祖の墓地を1615年に再建したものです。
手前が初代。奥に行くほど新しくなります。
真ん中の少し大きいのが大樹寺を創建した四代・親忠の墓。
そしていちばん奥。
でかっ。どのご先祖さまより圧倒的に大きいのが家康の墓です。
といっても家康は神様(東照権現)だし、日光と久能山に墓があるのにいいのですか???
正確には、これは地元の有志の方によって建てられた石碑とのこと。建立の経緯や趣旨などが細かく案内板に記されていました。三河人の心意気が感じられます。
徳川宗家や東照宮などとは調和がとれているようですので安心してお詣りください。
鐘楼
家光の時代に建立された鐘楼。
境内東側にあり、駐車場に隣接しています。またバス停などもこの付近になります。
大樹寺の駐車場について
境内東側に20台ほどの無料駐車場があります。大きな行事がない限りは停められると思います。
ここに停めると西側の墓地(松平八代墓)の方に気づかない方も多いと思いますが、境内はさほど広くありませんので、ぜひ墓地のほうに足を運んでみてください。
松平から徳川家の歴史がぎゅっと詰まって眺望も素晴らしい大樹寺は、岡崎城からは車で10分ほどの距離にあります。
※拝観料や時間、その他制限など最新情報をご確認の上お出かけください