2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の岐阜大河ドラマ館を巡る旅。
その途中で、豊臣秀吉の出世のきっかけにもなったと伝えられる墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)に行ってきました。
墨俣一夜城はどこにある?
私は比較的最近まで墨俣一夜城ってどこ?な状態でした。
愛知県か岐阜県、もしかして滋賀県くらいにあるかな、程度。もともと歴史オンチな上に、家康さんに守られていた地域住みなので秀吉はどちらかといえば嫌いでした。
そんなわけで、今回もまったく頭の中になかったのですが、宿泊地をさがしている地図上でたまたま”墨俣”という地名が目にとまってしまいました。
墨俣は長良川沿いの西岸にあり、その対岸は岐阜市。
美濃攻めの拠点だと考えれば合点がいくのですが、想像していた風景とは(良い意味で)ずいぶん違いました。
現在合併して大垣市となっていますが、旧墨俣町は飛び地合併しており、どちらかといえば岐阜市のほうが近いのかなという印象です。
最寄りのインターも、名神高速岐阜羽島インターになります。
墨俣一夜城とは
1566(永禄9)年の織田信長による美濃攻めに先立ち、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間(一夜?)にて築いたと伝えられる砦(とりで)です。
犀川が長良川と合流する地点にあり、輪中といわれる堤防で囲まれた集落の一角にあります。多くの人やモノが行き交う交通の要衝であり、軍事上も重要な地であったといわれています。周辺には寺社が多いところからもそれが伝わってきます。
秀吉の出世城として伝説のように語り継がれてきましたが、40年ほど前に愛知県江南市の旧家・前野家から古文書によりその全貌が明らかになってきたそうです。
本来は天守はないお城ですが、秀吉の偉業に敬意を表して模擬天守が造られています。
史実無視なので”ありえない”と批判する方もいるとは思いますが、率直な感想を述べると、川と緑に囲まれ景観も良く、予想していたより面白い!と思えるお城でした。
墨俣一夜城の建物
駐車場から向かうと橋越しに見える天守閣のある風景
橋は「太閤出世橋」 秀吉リスペクトなネーミングです^_^
橋の先にそびえる天守閣というシチュエーション。こんな風景をどこかで見たことがあると思ったら・・・
織田家ゆかりの清洲城がこんな感じでした~
(2013.7撮影)
ちなみに墨俣一夜城の建物は、大垣城を模したものだそうです。
入口
入館料はおとな200円です。
天守内部
料金のわりに見ごたえある展示でした。
パネルが中心ですが多くの資料で地域の地理や歴史から秀吉の足跡まで、一部映像や模型も交えてしっかり作られていると思います。
私の地元をディスりたくはないのですが、続100名城に指定されている浜松城内の展示よりずっときちんとしています。(浜松城は石垣はホンモノですが・・・)
↓こんなの作るなら城内の展示をもうちょっとなんとかしてちょうだい by住民
※秀吉が信長に仕える前に各地を放浪した中、遠江(とおとうみ)の松下家屋敷で奉公していたという史実に基づいた像です。
話題を墨俣一夜城に戻します(-_-;)
4階に展示されていたこちら
私が”なんちゃって”歴女になるきっかけを与えてくれた恩人!?竹中直人さんです。
秀吉自体に関心はないのですが、ドラマとして面白く、はまってしまいました。
そしてこの時信長を演じた渡哲也さんは、私の中では永遠の”強く美しい信長”です。
5階(最上階)展望室
左のアーチ型の鉄橋がかかっているのが長良川
堤防に囲まれた地域(輪中)のため、ここにたどりつくまでに堤防道路をグルグル走りました(>_<)
一夜城から稲葉山(岐阜)城方面
この日はあいにくのお天気でしたが、晴れたら見えそう・・・
天守の周囲には、豊臣秀吉のトレードマークのひょうたんがいっぱい(笑)
ここは桜の名所として人気スポット(犀川堤の桜)ですが、6月は紫陽花が満開でした。
出世橋の下も歩いてみました。
墨俣一夜城は、100名城に選定されていない城(砦)跡ですが、地域の方々に大切にされ、学習の場としても活用されているそうです。
実際訪れた時も、紫陽花満開ということもあり地元ナンバーの車が大半でした。
もちろん地域外の方でも興味を持てる展示、さらに花の季節に行けば周辺散策も十分楽しめると思います。
なお、出世橋の近くに5台ほどの駐車場があります。 犀川の堤近くにも駐車スペースがありました。