この記事は、2016年7月に訪れた時の記事を当時のブログから再編集しています。
ここ最近の「麒麟紀行」とは時代が若干違いますが、大垣城探訪をまとめたらやっぱりこれもあわせてご紹介しておきたいのです。
関ヶ原に行ってきました!
誰でも一度は耳にしたことがある "天下分け目"の古戦場です。
1600年9月15日、石田三成率いる西軍と 徳川家康率いる東軍が戦い、 勝利した徳川家康がその後200年以上、戦のない徳川幕府を築く布石ともなった大きな戦です。
日本を東西二分する地での戦いは、豊臣から徳川へという歴史の転換点にもなりました。
静岡県民の私、なんだか遠くに感じていましたが、考えてみれば岐阜県なんですよね~。(今となれば、伊豆の先端に行くより全然近かった・・・)
名神高速のインターがあるのは知っていましたが、京都や滋賀への通過点であり、わざわざ立ち寄ることのない場所でした。
この年の大河ドラマ「真田丸」にゆかりがある地だと思って行ったのですが、真田家にとっては直接かかわっていないことから”ナレ死”ならぬ1分弱でスルーするという”超高速関ヶ原”が話題になりました。
おまけに、行ったのが夏真っ盛りの7月でした。アホですね(-_-;)
当初は運動不足解消のため歩くつもりでしたが、真夏の古戦場で熱中症とはシャレにもならないので、 自家用車で出陣しました。
さらにその後のコースは、佐和山城、翌日は比叡山延暦寺、石山寺というまったくテーマにまとまりがないといいますか・・・(苦笑)
巡る前の予習は歴史民俗資料館で
入館料はおとな350円。無料駐車場がたっぷりあります。
こちらでは、史跡めぐりの地図や詳しい資料もいただけます。 また窓口では、質問すれば古戦場の巡り方をはじめ、ボランティアガイドさんやスタッフの方がいろいろ教えてくれます。
館内展示について
館内は、合戦の勢力図や流れなどを解説する映像や 武具、絵図などの展示が中心です。町立の歴史館なので規模はそこそこ、といった感じです。
ただ古戦場巡りの情報拠点として事前に立ち寄ると役立つこともいっぱいです。
2020年7月にこの施設に隣接して、関ヶ原古戦場記念館がオープン予定でしたが、新型コロナ拡大にともない秋以降に延期されているそうです。
【追記】(2020.9.17)
オープンが延期されていた岐阜関ヶ原古戦場記念館は、2020年10月22日の開館が正式に発表されました。ただし、当面入場は予約制となります。
詳しくは公式サイトをご覧ください。
battle-of-sekigahara.pref.gifu.lg.jp
というわけで、いざ合戦の足跡めぐりに出陣~
順序が前後しますが、関ヶ原町に到着する前に、南宮大社を参詣してきました。
美濃国一宮という格式をもつ立派な神社です。
南宮大社と聞いて南宮山を思い浮かべる歴史マニアの方も多いと思います。
西軍の毛利秀元の陣があった山で、その麓にあるのが南宮大社になります。
ここまで書いてなんですが、個人的には東軍応援団なので山には行かず(笑)、立ち寄ったのは、南宮大社のある垂井町から関ヶ原町へ入ってすぐの重要スポットへ。
東軍 家康ゆかりの地を巡るルート
徳川家康最初の陣・桃配山(ももくばりやま)


南宮大社と関ヶ原決戦地などが集まる地域の中間、国道21号線沿いにあります。
家康がテーブルや椅子に使ったという岩もありますが、あまり広くない場所に石碑と案内板が立っているくらい。徳川家康に思い入れの強い方だけ立ち寄りましょう(笑)
家康は戦況の変化により 刻々と陣地を変更していったそうです。
このあたりから戦況を判断していたと思われます。
なお、国道沿い(史跡の登り口と反対車線)に8台ほどの駐車スペースがありますが、交通量の激しい道沿いなので停車や横断にご注意ください。
徳川家康最後の陣地
いくら関ヶ原の戦いが半日足らずで終わったとはいえ、もう最後かいっ、てな感じですが、資料館の隣にあったので、いきなりここからご紹介です(笑)


小早川隊へ向け発砲を命じ、戦況を逆転させたのがこの地。
”小早川の寝返り”で戦況が決まったと伝わりますが、家康はそれ以前に多くの武将たちをすでに調略していたのではと言われています。
こんなに芝生のきれいな広場ですが、戦当時は敵方の首実検をしたという場だったしります。怖っっっ
ここでいったん関ヶ原駅へ(なかなか肝心なところへたどり着かないヤツ)
駅前観光交流館「いざ!関ヶ原」
近年できたような情報拠点プラスおみやげショップです。
駐車スペースは5~6台分。電車利用方向けにレンタサイクルも用意されています。
電車で到着した方は、ここで飲みものなどを調達していきましょう。なお、古戦場を歩いてもほぼお店はありませんので・・・


コインロッカーには、各武将の名前と家紋がついています。ご贔屓の武将のところを利用してみたいものですね。
関ヶ原名物にはインパクトのあるおみやげがない一方で、私のツボにはまったのは、どん兵衛(カップ麺)東西の味比べセットでした。(2016年7月の情報です)
食品に関しての販売地域もこのあたりが「天下分け目」だそうです。
車とはいえ、暑くて外をなかなか歩く気にならないので進まないのですが・・・
やっと到着です!
決戦地
石田三成の陣のある笹尾山からほど近いこのあたりでは、 西軍の敗北が見え始めた頃から三成の首を狙う武将たちが 激しく戦ったといわれています。
周囲はほぼ田園地帯
のぼりが立ち、歩いている人(ほぼ観光客)もちらほら見かけるのでわかります。
駐車は比較的”自由”な感じ(笑)ではありますが、田んぼの電気柵にはご注意ください。
そして写真右手の方向に数百メートル進んだあたりが、 関ヶ原古戦場のメイン会場
笹尾山
この日は駐車場の一部を使ってイベントが行われていたようです。
このため係員が誘導してくれた駐車場は、笹尾山交流館の前(旧運動場)でした。
廃校になったと思われる校舎の一部に物販施設が入っています。
休憩スペースもありましたが飲食物は持込みというような感じでした。
※甲冑体験もありますが2020年は休止中
交流館に車を停めて歩きます。
島左近の陣地
音とともに煙が上がっていて臨場感たっぷり(^O^)
そしてさらに進んでいくと、この看板が目にとまります。
草が生い茂る中、不安になりますが「5分」と書いてあったので信じて登ってみます。
この手の案内によく騙されますが、今回は楽勝な山(というより丘?)でした~(笑)
石田三成の陣地
高い山ではありませんが、見晴らしの良い高台です。
ここに立ってみてわかるのは、先に陣を張った 石田三成以下、西軍のほうが立地的には優勢なのです。
しかし、最後は味方の裏切りにあって形勢逆転。
人望の厚さでは、石田三成は家康に到底かなわなかったということも勝負が決まった要因かもしれません。
麓へ下りるルートは3本ほどあり、 真ん中のルートを降りてみたら、先ほどのイベント会場(本来の駐車場?)でした。
煙の上がっていた島左近の陣地付近には立派な馬防柵
長篠(愛知県新城市)にある織田・徳川軍の馬防柵より、ずいぶん立派。
再び車で移動です。駅から西側を巡ります。
後編につづく