おでかけ ももよろず

日本全国北から南、たまには海外へ・・・”よろず”な旅をご紹介

【岐阜】天下分け目の古戦場 関ヶ原(後編)から佐和山城の麓へ

スポンサーリンク

2016年7月に訪ねた関ヶ原古戦場のようすです。 

www.momoyorozu.net

 

古戦場の”メイン会場”笹尾山付近を見た後は、再び車で移動します。

真夏の関ヶ原を徒歩で巡ることは激しくおすすめしません(-_-;) 

 

駅の西北、開戦地周辺を巡ります。

 

開戦地周辺と松平・井伊陣地へ 

開戦地

f:id:momoyorozu:20200911224853j:plain

駅からは1.5kmほど。

松平忠吉(家康の四男)と 井伊直政(2017年の大河ドラマ”おんな城主 直虎”で注目された遠江の井伊家出身の武将。徳川四天王のひとりであり、彦根藩の祖)が 福島正則に抜け駆けしてここで宇喜多陣地に向かって発砲。結果として決戦の火蓋を切ることになりました。

松平・井伊の本陣跡はこの後訪ねます。

 

すぐ傍には、小西行長の陣地、さらに歩けば宇喜多秀家の陣もあります。

f:id:momoyorozu:20200914010655j:plain

西軍には興味がないのでスルーですm(__)m

ちなみに小西行長(肥後宇土城主)のは、西軍の首謀者として石田三成らとともに斬首されましたが、宇喜多秀家(備前岡山城主)は落ち延びて長生きしました。

この周辺は、前編で見てきた決戦地などとは距離があり、さらにそれぞれの史跡も点在しているので、車での移動に向いています。

無料駐車場も用意されています。

f:id:momoyorozu:20200911224945j:plain

決戦地や資料館周辺に比べると人はまばらです。 

 

島津義弘陣跡

f:id:momoyorozu:20200911225110j:plain

f:id:momoyorozu:20200914010739j:plain

西軍に興味はありません、といっておきながら島津家は別枠(笑)

時代は違いますが、大河ドラマでは「篤姫」「西郷どん」と鹿児島が舞台になるとなぜか鹿児島に行ってしまう私・・・ 

幕末には徳川幕府の敵になりますが、なぜか嫌いになれません。

www.momoyorozu.net

 

陣跡には、石碑と解説の看板、目印の幟旗が立っている程度です。

とはいえお目当ての武将のゆかりの地に到達すると達成感がありますね。

私の場合、すでに初っ端(家康最初の陣)で達成しちゃいましたけど(^O^)

 

再び駅の近くまで引き返します。

松平忠吉・井伊直政本陣跡

f:id:momoyorozu:20200914010814j:plain

駅の西側、線路脇にあります。開戦地からは直線距離にして1.2kmほど。

開戦地までの間には東軍の先鋒を任されていた福島正則の陣がありましたが、井伊直政は、家康の四男であり自身の娘婿でもある松平忠吉の初陣にふさわしい場をと考えるあまりに、福島正則に「下見に行くだけ」と言いくるめ、少ない手勢で開戦地まで行き、そこで宇喜多陣地に向かって発砲したところ、開戦の状態になってしまいました。

ちなみに、このお二方とも遠江(とおとうみ)の生まれでございます。喧嘩っ早いのは遠州人だから!?

 

松平・井伊の本陣跡に隣接して物騒な名前の赤い建物があります。

東首塚

f:id:momoyorozu:20200911225201j:plain

その名前だけでゾクっとしますけど、戦場跡ゆえの史跡にも触れておきます。

関ケ原には東首塚と西首塚の2ヶ所に戦死した兵たちが 埋葬されています。

朱塗りの建物は、供養のために名古屋の山王権現社を 昭和になって移築したものだそうです。

 

今回の関ケ原古戦場めぐりはここまで。

巡ったコースを振り返ってみます。

 

徳川家康(東軍)ゆかりの地を巡るコース

今回巡ったのは徳川家康率いる東軍に関連した史跡が中心です。

f:id:momoyorozu:20200914011150p:plain

battle-of-sekigahara.pref.gifu.lg.jp より引用

当時このホームページはありませんでしたが、最近作られたこの案内がわかりやすいのでお借りしました。

私が巡ったのは、これをちょっとアレンジしたものです。

東軍家康♡ゆかりの地をめぐるコース

桃配山・徳川家康最初陣地→関ヶ原町歴史民俗資料館・徳川家康最後陣地→(関ヶ原駅前観光交流館)→決戦地→笹尾山・石田三成陣地→開戦地→島津義弘陣地→松平・井伊陣地→東首塚

 

家康ファン、あるいは東軍ファンのビギナーはまずこのコースでしょうか。

所要は自家用車利用で約2時間(資料館見学を含む)です。

 

この他にも「石田三成」「大谷吉継」「黒田長政」などの武将にちなんだ地を巡るコースが用意されていて、地図はPDFで印刷できるようになっています。

 

関ケ原町役場

給水塔らしきがアートだったので記念に撮ってみました。

f:id:momoyorozu:20200914010858j:plain

ちなみに関ケ原町は人口が約7000人弱という小さな町。

平成大合併の波にも飲まれず単独で頑張っているようです。やはり自治体の地名が消えてしまうことに危機感を感じているのでしょうか? 

 

関ヶ原を巡るおすすめのシーズン(⇔避けたいシーズン)

今回巡ってみての感想は、一度では巡り切れない史跡であるということ。

そして、夏は極力やめましょう、ということです(苦笑)

日本が亜熱帯化しているこの気候の中で真夏に歩くのは非常に危険。私はこの翌年、39℃を記録した日に名古屋城を歩き回って熱中症になりそうになりました。

魅力的なお城の多い地域ですが、岐阜と名古屋の暑さを舐めてはいけません。

 

その一方、冬も厄介な関ヶ原。

東海道沿線にお住いの方ならご存知かと思いますが、温暖な太平洋岸を走る東海道新幹線の中で、雪で度々ダイヤが乱れる原因がこの関ヶ原付近。

f:id:momoyorozu:20200914012346j:plain

(2010.2撮影)

 

夏は暑く(日陰は少ない原っぱを歩く)、冬は雪に見舞われるということで、真夏と真冬は避けるべき。

その代わりに、ウォーキングに最適な春や秋のシーズンは、JRや自治体などがウォーキングイベントを開催することもあります。

関ヶ原の合戦が行われたのは旧暦9月15日。新暦では10月21日にあたります。このあたりには毎年合戦イベントも開催されています。

ただし昨今のコロナ禍でイベントが自粛されていますので、最新情報をご確認の上、お出かけください。

 

-----最新情報-----

オープンが延期されていた岐阜関ヶ原古戦場記念館は、2020年10月22日の開館が正式に発表されました。ただし、当面入場は予約制となります。

 

battle-of-sekigahara.pref.gifu.lg.jp

 

 

ここで関ヶ原は終わりますが、この後、石田三成の居城である佐和山城へ向かいましたのでそちらもご紹介します。

関ヶ原から佐和山城に向かってみた

西軍を率いた石田三成は、この関ケ原の戦いの首謀者として小西行長、安国寺恵瓊とともに市中引き回し後に、京都の六条河原で斬首されました。

自分の居城に戻ることなく生涯を終えてしまうことになった石田三成に代わって、関ヶ原からの足で佐和山にGO!

 

国道8号線を滋賀県方面に30分ほど走っていたら「佐和山トンネル」という表示が目に入りました。このトンネルは、まさに佐和山城跡の下を抜けるトンネル。

普段滋賀方面へは高速道路経由なので、実は偶然の産物でした。

 

奥にあるのは井伊家ゆかりの寺 龍潭寺(りょうたんじ)です。

f:id:momoyorozu:20200914011132j:plain

この地に立ち寄るのは二度目。以前は地元遠江の龍潭寺が近江にもあるというのを知り、それを目的に訪ねました。

ここに佐和山城があったことはその時に知りました。

 

関ヶ原の合戦の後、佐和山18万石は徳川四天王のひとりである井伊直政の所領となります。しかし、戦の傷が原因で直政はこの佐和山城で生涯を終えます。

(そんなこともあり、その後、井伊家は琵琶湖藩に彦根城を築城し、ここは廃城に)

 

龍潭寺の参道には井伊直政ではなく、石田三成の銅像があります。

f:id:momoyorozu:20200914011236j:plain

三成ファンにはたまらない場所のようです。

しかし、直政の立場は・・・(悲)

 

ご安心ください

龍潭寺の隣にある清凉寺が井伊家の菩提寺でした。

f:id:momoyorozu:20200914011250j:plain

 

龍潭寺の境内を奥に進むと左手に拝観受付があります。それをスルーして ハイキングコースの看板に沿ってまっすぐ進んでいくと・・・

お堂の右手に道が続いています。 

f:id:momoyorozu:20200917012717j:plain

 

実はこの先に、佐和山城へ続く道があるのです。 

しかし看板には、午後5時でお寺の門が閉まると書いてあるし、人気がまったくありません。さらに所要時間もわかりません。(後で調べたら片道30分ほどだそうです)

 

とどめはこれ(爆)

f:id:momoyorozu:20200914012017j:plain

関ヶ原の熱中症も洒落になりませんが、 猿に襲われたなんていったら笑いものになってしまいます。

ということで、前回に引き続きまたまた佐和山城跡にたどりつくことはできませんでした~

 

タイトルには「佐和山城の麓」と記したのでお気づきいただいたかもしれませんが・・

佐和山城跡までの紀行を期待してここまでお読みいただいた方、ごめんなさい。

 

石田三成ファンならとっくに実施済かもしれませんが、関ヶ原の合戦前に籠城した大垣城から関ヶ原、そしてこの佐和山城、あるいは出陣したルートで佐和山→大垣→関ヶ原という流れでたどってみるののもありかなと思います。

 

www.momoyorozu.net

 

2020年は関ヶ原の合戦から420年。

岐阜関ヶ原古戦場記念館も間もなくオープンしますので、戦後マニアの方はぜひ。