GoToトラベルを利用した2020年10月の愛媛の旅 つづきです。
松山城を後に市電(路面電車)に乗って向かったのは湯築城(ゆづきじょう)です。
よほどの城郭マニアか近県の人でなければ知らないであろう100名城の中でもちょっとマニアックなお城だと思います。
私も存在を知ったのはつい最近のことでした。
同一の市町村で100名城が複数あるのは全国でも数えるほど(甲府市、近江八幡市他)ですが、松山市にいたってはいずれも公共交通機関でのアクセスも良いのが特徴です。
温泉街にほど近い市民憩いの道後公園へ
市電で道後温泉ひとつ手前の駅を降りたところにある道後公園。道後温泉を訪ねる観光客でわざわざ行く人は少ないと思います。
どちらかといえば市民の憩いの場。
私が訪ねた日も湯築市(湯月市)が開催されていて、ライブステージやキッチンカーの出店などでにぎわっていました。
そんな市民憩いの場へ突入する城マニア(笑)
天守がないお城は足を運ぶ人が少ないのですが、ここはにぎやかな公園です。
松山城をどっぷり見学したので、到着したのは午後4時近く。屋外だけならまだしも、資料館を見るためには閉館時間も考慮しないといけません。
屋台を横目に食べ歩きするヒマもなく先を急ぎます。
湯築城の概要
(リーフレットの写真より引用)
上空から見るとなるほど~というくらいお城っぽい構造なんですよね。
湯築城は14世紀から16世紀末まで、伊予国の守護であった河野氏が居城としていていました。
国内に現存する三古湯のひとつでもある道後温泉がすぐそばにあることが築城に影響した定かではありませんが、地形にも温泉にも恵まれたこの地は城主にとっても一石二鳥なんでしょうね(笑)
当初はなだらかな丘陵を活用した山城でしたが、16世紀前半には外堀や土塁を築き平山城になったと推定されています。
天守も石垣も持たない城ですが、近年の発掘調査の結果、土塁などの縄張りの遺構も良い状態で残されていることから国史跡となり、その後100名城に指定されました。
河野一族について
河野氏は12世紀初頭の源平合戦で功績をあげ、鎌倉幕府の有力御家人になりました。その後、元寇でも活躍。勢力を拡大し、河野郷からこの地に本拠地を移しました。
14世紀には伊予の守護としての地位を確立し、一時は村上海賊との関係も強化。
しかし離反した後は徐々に勢力が衰えていき、全国統一をめざした豊臣秀吉の四国攻めにより、400年の支配の歴史に幕を閉じることとなります。
ここを訪ねるまで河野氏の存在を知りませんでした。
戦国時代の四国は長宗我部氏や三好氏の攻防が繰り返されるイメージで、伊予国はなぜか空白地帯というイメージでした(勉強不足ですね・・・)
湯築城跡をぐるりと散策
入場無料の資料館は必見
天守のない城跡なので、ただ歩くよりもサクッと資料館で予備知識を得ると面白さ倍増。
入場無料というのもありがたいです。
新しい施設で、発掘調査の出土品やジオラマ、パネルなど資料展示も立派です。
100名城スタンプはここの受付でいただくことができます。
ボランティアガイドさんも常駐していて質問に答えてくれますが、あまりにも予備知識がなさすぎて質問できませんでした~(T_T)
松山城では石垣や天守のこと、松平家のことなど聞きたいことばかりでガイドさんを質問攻めにしてしまったのですけど・・・
ただ、せっかく来たのでどうやって巡ったらよいかお尋ねしたところ、子供向けのスタンプラリーの用紙をいただきましたのでこれを目安に一周することにしました。
巡るポイントがわかりやすくまとめてあります。
100名城スタンプ収集で訪ねる方なら、このスタンプラリーにも収集欲が湧くのは間違いなし!(裏面がスタンプ押印用紙) 達成すると記念品もいただけますよ~
湯築城の復元建物めぐり
武士の居館や庭園、排水溝跡などの遺構も発掘された湯築城跡では、遺構から建物の規模や間取りを推定し建造物を復元しています。
土塀
こういう復元ってどこかで見たことがあるかも・・・と思い返してみたら福井県の一乗谷朝倉遺跡がよく似た復元方法でした。
一乗谷朝倉遺跡は信長に滅ぼされた後、埋め尽くされて数百年の間田畑となり、そっくりそのまま遺構が出てきたという遺跡です。
私が訪ねたのは、ソフトバンクのCMで「お父さん」のふるさととして注目を浴びた頃でしたが(笑)
武家屋敷
武家屋敷の復元建物は2つあります。
1つはこのように人形などで当時の生活のようすを再現しています。
もう1つは発掘調査や復元に関する資料館になっています。
上記の建物は家臣団の居住区。
この湯築城は武士の身分よって麓のエリアでの居住区がはっきり区分されていたようです。
庭園区・上級武家居住区
池のある庭園を見ると、雅な平安貴族をイメージしてしまいますが、中世城郭なのでそんな時代もあったのでしょうか?
土塁と土塁展示室
高さ5メートルほどの土塁がきれいに残っています。
その途中に土塁の構造を内側から見られる珍しい展示室があります。
さながら地層見学室といったところでしょうか。
これの石垣バージョンがあればぜひとも見てみたい!(崩壊するからムリですよね~)
遮蔽(しゃへい)土塁
内堀と外堀が隣接した場所に作られた防御のための土塁です。
お城好きでも看板がなければ気づかないと思います。私も天守や石垣は若干理解できるのですが、土塁を理解するまでにはまだまだ修業が必要です(-_-;)
湯築上資料館のある西口(搦手-からめて-)からこの遮蔽土塁のある東口(大手)までがちょうど半周になります。
城跡の展示施設はこの半分に集中しています。
もう少し時間があれば山城のあった部分にある展望台まで登りたかったのですが今回はここで時間切れ。
閉館間際の湯築城資料館まで戻り、スタンプラリーの記念品をいただいて湯築城跡の見学終了です。
道後公園の北口を出て道後温泉へ向かおうとしたところ正岡子規の記念館がありました。
松山市内にはこの他に、「坂の上の雲ミュージアム」「伊丹十三記念館」といった通好みのミュージアムがあります。
また、道後公園から徒歩圏内には四国八十八か所霊場の石手寺や伊佐爾波(いさにわ)神社といった寺社もあり巡る予定でしたが、残念ながらその時間もありませんでした。
無理に詰め込むよりも納得して1か所ずつ巡ろうと最近は旅のスタイルを改めました。
翌日は大洲・宇和島方面へ、翌々日は今治方面へ・・・と愛媛県のお城めぐりが続きます。