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【青森】本州最北端の東照宮は”ワケあり”だった

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2021年7月の函館~青森旅行記です。

弘前城をあとに向かったのは、我らが徳川家康公を祀る東照宮めぐりです。

しかしその東照宮はちょっとワケあり・・・空っぽの建物のみが残る東照宮跡でした。

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この旅では、函館で国内最北端の東照宮に行くことを楽しみにしていたのですが、交通機関の乱れで叶わず、この本州最北端に全力投球!です(笑)

カーナビを頼りに走りますが入る道がわかりづらく、住宅街を進んでいって到着。

 

弘前東照宮の今

しかし、最初に目に飛び込んできたのがこの看板。

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駐車場らしいものは見当たらないのでその奥に・・・(路駐ではないです)

事前情報で、ここの東照宮はワケありだと知っていましたので、この状況でもなんとか受け入れられました。

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建物は存在しているのですが、周囲はご覧のとおり。

参道もなければ、社務所ももちろんありません。

東照宮がいったいどう扱われているのか、”家康推し”としてこの状況を見過ごすわけにいかず、わざわざ足を運んだのです。

 

現在「弘前東照宮」は存在していませんが、在りし日の名称であえて紹介いたします。

弘前東照宮について

弘前城を築城した2代藩主 津軽信枚(のぶひら)によって1617年に弘前城内に勧請されました。信枚の正室である満天姫(まてひめ)が、徳川家康の養女という姻戚関係があったのが大きな理由です。

その後、弘前城の北東にあたるこの地にいわゆる鬼門除けとして1624年に遷座され、1628年に社殿が造営されました。

この社殿は当時のもので、重要文化財にも指定されています。

国内最北の東照宮建築として価値ある建物なのです。

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小ぶりな建物ではありますが、約400年もの長い間、自然条件の厳しい地域でよくぞ生き残ってくれたと称賛したくなります。

 

ところが!

東照宮を管理していた神社が結婚式場などの事業運営に失敗して2013年に破産。

土地など競売にかけられましたが、唯一重要文化財に指定されている東照宮本殿だけは弘前市が2015年に収得し、政教分離の理由からご祭神は黒石神社に遷座されました。

ということで、建物のみが残された形となっています。

そんなわけで、現在Google Map上では、ここは東照宮本殿という表記になっています。ご祭神の住まわれる神社としては存在していないのです。

なんてこった・・・こんな東照宮はもちろん全国でここだけ(のはず)。

周辺はすでに新しい家が建てられ住宅街になりつつあります。

それなら、天守大移動のついでに、元々あった弘前城内に移築してくれたらいいのに・・・(悲)

 

遷座先の黒石神社に行ってみた

ならば、ご祭神のいらっしゃる黒石神社を目指すしかありません。

こういう時レンタカーで良かった~と思いました。

弘前市内からは約15kmほどの距離があり、車で約30分ほど。

大鳥居

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神社 概略

【名 称】黒石神社

【主祭神】津軽信英(つがるのぶふさ)

【創建年】1879(明治12)年

【摂 社】東照宮

【文化財】太刀など

【所在地】青森県黒石市

 

ご祭神の津軽信英は、黒石藩(弘前藩の支藩)の初代藩主。

明治時代に津軽信英の廟があった黒石陣屋(黒石城跡)の廃止に伴い、家臣たちが藩祖の遺徳を伝えるために造営を願い出て建立されたのが黒石神社です。

 

黒石神社の境内のようす

さほど境内は広くなく、神門、拝殿、本殿、摂社(東照宮)が配置されています。

神門

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黒石陣屋にあった江戸時代に造営された廟門を移築したものだそうです。

拝殿・本殿

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拝殿でお詣りをして、その右手にある建物に向かいます。

東照宮

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2015(平成27)年に造営されたばかりの新しい社殿です。

日光や久能山のような東照宮を期待していくと、その小ささにビックリですが、あくまでも摂社なので・・・

なお、徳川家康に縁の深い三河(愛知県)や遠州(静岡県)の神社内には、このような摂社として設けられた東照宮がけっこうあるんです。

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黒石神社の東照宮より新しい東照宮はこちら

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家康公が無事遷座されたのを確認できて、私としてはミッション達成!(笑)

ここで、弘前市内から離れたこの地になぜ遷座されかについて触れておきたいと思います。

黒石神社に東照宮が遷座された理由

摂社 東照宮に家康公と一緒に祀られているのが養女であり、津軽藩2代藩主 信枚の正室となった満天姫です。

黒石神社のご祭神である津軽信英は、信枚と満天姫の間に生まれた子です。

そんな背景からこの神社には東照宮が遷座され、祖父、母、子と三代にわたって祀られることとなりました。

ちなみに、信枚には石田三成の娘で辰姫という正室がいました。この2人の間の子は嫡男として津軽藩3代藩主となりますが、この結婚により辰姫は側室に降格となりました・・・

戦の勝敗で女性の運命が激変する世知辛い時代です(T_T) 

 

脱線ついでに・・・この満天姫の父親である松平康元は家康の異父兄弟にあたります。

父親は松平(久松)俊勝、母親は家康を生んだ於大の方です。

於大は家康を生んですぐに離縁させられたので、家康には同じ父母を持つきょうだいはいませんが、母 於大が再婚した先で誕生した異父兄弟は多いのです。

松山藩の初代藩主 松平定行も松平俊勝と於大の孫にあたります。

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家康が子だくさんというのは有名ですが、再婚した後の”家康ママ”も徳川家の子孫繁栄に尽力していたのです。

家康は嫡男 信康と正室 築山殿を失いながらも、徳川ファミリーが多くいたことで、200年以上も徳川幕府が続いたのです。家康ママ強し!

 

せっかくここまで足を運んだので、当然ご朱印をいただきに社務所へ

ところが!

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残念すぎっっっ(泣) 

神社の規模からすると常駐ではないのかもしれません。

ご朱印をいただきたい場合は、あらかじめ宮司さんがいらっしゃる時間を確認してから行きましょう。

 

黒石神社へのアクセス

弘前方面からは国道102号経由、青森方面からは東北自動車道でのアクセスが便利です。

神社の駐車場はなさそうだったので、すぐそばの市役所の駐車場をお借りしました。

市役所が近いということで街の中心?という感じの場所です。

神社前の道は交通量も多いので急停車しないようにお気を付けください。

公共交通機関では、弘南鉄道の起点となる黒石駅から徒歩15分(約1km)です。

 

 
黒石市には、B級グルメの黒石つゆ焼きそばというのがあるので、次はぜひ。
また、黒石市のお隣には田んぼアートで有名な田舎館(いなかだて)村があります。
通りがかりにどんな様子か見たかったのですが、この2年ほどはコロナ禍で中止(一部規模縮小で実施)となっていました。
またいつか津軽地方リベンジしたいと思っています。