2021年7月の函館~青森旅行記です。
世界遺産登録直前というタイミングで青森の三内丸山遺跡を訪ねました。
函館から北海道新幹線に乗って新青森駅に到着。駅でレンタカーを借りて三内丸山遺跡へ向かいました。
のどかなエリアなのでドライブも楽々。新青森駅からは車で10分ほど。東北自動車道青森インターからもすぐです。
駅もいんたーも青森屈指の観光スポットとなる遺跡にあわせて造られたのでは?と思うほどです。
三内丸山遺跡とは
さんないまるやまいせき と読みます。
この写真を見たことがある方もいらっしゃるかと思います。が、いったいこれは何?
私もそういうひとりでした。ここに行くまでは。
ちなみに上記は、掘立(ほったて)柱建物と、大型竪穴(たてあな)住居(いずれも復元)です。
縄文時代といってもその期間は今から15000年ほど前から約12000年近く続いています。そのうちのちょうど真ん中あたり、約1700年くらいの期間に人々が暮らした集落跡です。時系列が壮大すぎてなんだか頭がクラクラしますが・・・
私のような方には子供向けのこちらがわかりやすくておすすめ。
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群跡」
この三内丸山遺跡を含む北海道から青森、岩手、秋田県の18の遺跡が、2021年7月27日に世界文化遺産に登録されました。
世界遺産登録のニュースで紹介された写真でよく見るのが冒頭の写真。複数の構成要素の中でも最大規模を誇る遺跡がここです。
私が訪ねたのは世界文化遺産に登録される直前の7月上旬でしたが、コロナ禍でも予想以上に人々が訪れていました。
訪ねるまでは、縄文遺跡なんて全国各地にあるし(わが家の近くにもあります)、数千年も前のことなんて理解できそうにないし・・・(苦笑)
”世界遺産になりそうだから見ておこう”くらいの気持ちでしたが、実際に行ってみたらその規模や解明された事実などに驚き&感動の連続でした。
三内丸山遺跡へ入場
縄文遺跡なのでメインは屋外展示施設。発掘資料を展示する縄文時遊館とあわせて見学することをおすすめします。(ただし冬季や雨天時の見学はご自身でご判断を)
縄文時遊館
建物内の券売機でチケットを購入します。おとな410円です。
屋外の遺跡を見学する場合もこの建物が通路となっているので入場料が必要です。
失礼ながらこんなに大規模な施設だとは想像していませんでした。
見学するなら無料ガイドツアーをおすすめ
よほどのマニアでなければこのような遺跡はなかなか理解ができません。何も知らずに歩きまわってもダイエットにはなりますが、無駄に疲れるだけです(笑)
というわけでガイドツアーに参加します。
「毎時開催」「予約不要」「無料」と三拍子揃ったガイドツアーです。
集合時間までの待ち時間は、この手前にあるシアターで遺跡の紹介映像を見ました。予習にちょうど良い感じのボリュームです。
そしてジオラマで遺跡の全体像を把握してから出発です。
縄文時代へのタイムトンネル!?
ここ最近のコロナ禍で観光客もそんなに多くないかもと思っていたのですが、日曜日でもあり総勢15名ほどでのツアー出発です。
ガイドさんは初老の男性で”縄文初心者”にもわかりやすい説明でした。質問にも諸説交えて興味がわくような回答をしてくださいました。
ガイドツアーは1時間しっかり歩きます。休憩する場所はほぼありませんので、しっかり歩けるような準備をしていきましょう。
三内丸山遺跡の広さと規模は?
全国津々浦々にある縄文遺跡を想像していくと完全に裏切られます。
その広さは42ヘクタール。お約束の”東京ドーム換算”で9個分です。
このエリアに約500人が住む集落が形成されていたといわれています。
江戸時代からその存在は認知されていたそうですが、手つかずのまま時が過ぎ、その全容が明らかになったのは比較的最近です。1992年からこの地に野球場建設のために発掘調査を始めたら、出るわ出るわ・・・というわけで野球場を断念(他の場所へ代替え)、遺跡の保存を決定したということです。
掘ったら次々に出てきた土器などの量ですが、その数ダンボール40000箱!
縄文のムラを歩く
要所に案内板も設置されていますが、ガイドさんの説明があると理解度が違います。
道路と墓


道路の遺構が見つかったところを見学用の通路に舗装してあります。その道路沿いにはおとなの墓が多く見つかったそうです。
5分ほど歩くと建物が見えてきます。
7月ですが曇天で涼しかったのが救いでした。
南盛土(もりど)


土器や装飾品などが堆積していた場所。丘に掘られたトンネルの中で発掘のようすが見られます。
竪穴(たてあな)式建物


地面を掘って造られた住居。各地の遺跡でよく見られる茅葺き(かやぶき)に加え、土葺きと木(樹皮)葺きで造られた建物があります。内部に入ることもできます。
掘立柱建物(高床式)


食料などの保管庫。正倉院の元祖モデルみたいです。手前にも柱の穴の跡が多数あります。
大人の墓(土杭墓)
この周辺の道路をはさんで500体くらいのおとなの墓が発見された場所。
ミイラや人骨でも出て来たの?と誰もが疑問に思いますが、さすがにそれはありません。墓からは副葬品(ヒスイなど)も発見されているそうです。
北の谷
いわゆるごみ処分埋め立て地といった場所。
湿気が多く空気からもさえぎられていたため、種子や動物の骨、木製品などが発掘されました。当時の食生活を解明する手掛かりにもなったそうです。
魚介類などの骨も多く発見されていて、食材に恵まれていたことも判明しています。
しかし、この雪深き土地で?と思いますが、現在よりも気温が2~3度高く、あまり雪も降らなかったと聞いて納得です。
子どもの墓
子どもは土器に入れて埋葬されていたそうです。この時代、人間の寿命は30歳くらいだったとか・・・
ここからがこの遺跡のクライマックスです。
大型掘立柱建物跡
三内丸山遺跡のシンボルともいえる掘立柱の復元建物の手掛かりとなった発掘現場。
直径2メートル、深さ2メートルほどの柱跡の穴が6本。
穴の中からは、炭化した柱も発見されています。
ここにあるのはレプリカですが、展示施設で本物が見られます。
そして、この柱の規模に基づいて、”多分、こんな建物が建っていたんじゃないか” という推測で屋外に復元されたのがこちら
高さ20メートルほどの木組みのやぐらのような建物です。
見張りのためのやぐらだったとも、祭祀(お祈り)目的とも、いろいろな説はありますが真相はわかりません。
5000年も前の遺跡なので、当然文字の記録なども当然ありませんから想像力を膨らませてみるしかありません。
同様に、約500年前くらいの遺跡でありながら文字の記録を残さなかったペルーのマチュピチュ遺跡も、謎が多く、楽しむには想像力が必要でした。
大型竪穴住居
最後の見学は掘立柱の横に建つ大きな竪穴住居です。
日本最大の竪穴住居で、柱は19本あります。共同作業所や集会所として利用された説などがあります。
長さは約32メートル。柱に使われているのは栗の木です。
丈夫で腐らない、実は食料になるといった長所などを生かしてこの当時から重宝されていたようです。
この建物の感じはどこかで見たことある、と思ったらまるで合掌造りのよう。
これが日本家屋の原点なのかもしれませんね。
ガイドツアー終了後
あまり想像力が豊かでない私でも、ガイドさんの説明でいろいろと想像力をかきたてられながら遺跡を楽しむことができました。
この建物の外でガイドツアーは解散となります。
ここからはもう一度気になる建物を見るのもよし、すぐに引き返すのもよし・・・と自由です。
私は10分ほどこのあたりで写真を撮影して、縄文時遊館の中にある展示施設「さんまるミュージアム」へ向かいました。
この展示施設もディスプレイが工夫されていて映えるスポットが満載で楽し~い。
続きます。