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【宮崎】神武天皇を祀る「宮崎神宮」

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2021年秋の宮崎・大分旅行記です。

1日目は青島神社を巡った後、高千穂に向けて北上します。

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途中、宮崎市の中心部を抜けて宮崎神宮へ向かいました。

バイパスが整備されて爽快なドライブが楽しめる宮崎市ですが、途中ちょっぴり渋滞。

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まあ、停車中にこんな景色をパチリとできるのも旅の楽しみのひとつ。

 

宮崎神宮に到着です。

駐車場がわかりにくくてちょっと迷いましたが、車で鳥居をくぐった先、西神苑に駐車スペースがありました。トイレもあります。

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※記事の最後に駐車場情報をまとめています

 

神話のふるさととして名だたる神社が多い宮崎県。その中でもこの神社が気になった理由は、神武天皇を祀る神社ということから。

神武天皇を祀っている神社として有名なのは奈良県の橿原(かしはら)神宮。

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(2014.3撮影)

荘厳な雰囲気が漂う神社です。こちらとどんな関係があるのだろうと気になりました。

 

神社 概略

【名 称】宮崎神宮

【主祭神】神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと=神武天皇)

【創建年】不明

【創建者】健磐龍命(たけいわたつのみこと=神武天皇の孫)

【文化財】神殿・拝所、徴古館他

【所在地】宮崎県宮崎市

 

神武天皇と東遷

幼名を狭野命(さのみこと)と名乗っていた神武天皇は、15歳で皇太子になり、宮崎に都を定めました。しかし、この国の人々が豊かに暮らせるように新しい都を求めて、45歳の時に大和(現在の奈良県)へ向かいます。

それから7年目の1月1日(現在の暦で2月11日)に畝傍山(うねびやま)の麓に宮殿を立てて即位しました。それが現在の橿原神宮になります。

 

宮崎神宮の創建

その後、九州の鎮守となった神武天皇の孫 健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、祖父の遺徳を讃えるために創建したと伝わるのがこの宮崎神宮です。

なお、健磐龍命は阿蘇神社の祭神として祀られています。

現在の宮崎神宮は、住宅街の一角の広い緑地の中にあります。宮崎神宮の他に、護国神社や総合博物館、民家園がこのエリアに含まれます。

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宮崎神宮の境内

境内に駐車場がある神社では、本来の表参道を歩かず社殿に到着することが多いです。

歩く距離も少なく楽なのですが、せっかく訪れたので参道の雰囲気を味わいたいたく、可能な限りそのルートをたどって”出直し”をしています。

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表参道への入口(南側)にある大きな鳥居をくぐります。

まっすぐに伸びる参道は、木々に覆われていて清々しい空間です。

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もうひとつ鳥居をくぐります。

手水舎

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鳥居をくぐってすぐ、左手にあります。

コロナ対策で使用を中止している神社もありますが、”新しい様式”への変化や工夫をしているところも増えてきました。

その反対側には祓所があります。

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神門

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神門の左に表記されている紀元という表現(皇紀と表されることも)。神社で時々見かけます。

紀元と皇紀

国家や民族の歴史を数える基準となるものを紀元といい、世界的にはキリストの生誕を基準とした西暦が広く利用されています。

日本では1872(明治5)年に神武天皇即位の年を元年とする紀元「皇紀」が定められました。

第二次世界大戦後に廃止されていますが、日本の伝統のひとつとして神社の一部での表記が見られます。日本独自の元号も含め、末永く続いて欲しいと思いますが。

今年西暦2021年は皇紀2681年にあたります(西暦に660を足せば皇紀が算出できます) 

皇室とのつながりが深いと感じられる装飾などが多々あります。

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社殿

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七五三シーズンでちらほらと家族連れも見かけました。

一般の参拝客は上の写真の拝所からの参拝となります。

さらにその奥には、幣殿、渡殿、神殿が続き、遠目にも荘厳な雰囲気が感じられます。

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現在の社殿は明治末期に建て替えられたもので、地元産の狭野杉を用いた神明造となっています。

境内や社殿の雰囲気全体が、名古屋の熱田神宮に似ていると感じました。

この周辺、良い香りがすると思ったら社殿の左右に巨大なキンモクセイが満開でした。

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境内にはまだまだみどころがありますので、駐車場に戻りながら寄り道です。

旧徴古館

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伊豆の松崎町で見かけたようななまこ壁の建物です。

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社殿と同時期に建てられたもので、設計は築地本願寺の設計者としても知られる伊東忠太氏です。

参拝者休憩所

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休憩所内の掲示を見ると、こちらも多くのスポーツ選手が必勝祈願に訪れているようです。

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神武天皇がご縁で奈良県橿原市と友好が結ばれています。

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神池

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大きな鯉が泳いでいます。亀もここに棲んでいるそうです。

この近くには、400年以上の樹齢といわれる大白藤がありました。4月に花をつけるそうですが、この季節はあまり映えないので写真は撮りませんでしたが・・・

 

その一方で、ここも神社?というような常夏感あふれる風景が見られましたが、よく見ると注連縄に囲まれた何かがあって、境内だということに納得します。

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五所稲荷神社

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駐車場に戻る手前には大きな舟を発見!

古代船 おきよ丸

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神武天皇が東遷の際に乗ったと伝わる古代舟を再現したものです。

神武天皇は、出航に備えていたところ急遽天候が回復したため出航するべく、寝ていた村人を「起きよ、起きよ!」と 起こしてまわったところからこの名が付いたそうです。(神社なので「清い」が語源と思っていた私は、「えっ、そっちなの?」と笑えましたけど・・・)

この「おきよ丸」は、全長12メートルもありますが、毎年秋に開催される「宮崎神宮大祭」では市街地を曳かれ、行列の目玉にもなっているそうです。 

 

宮崎神宮の御朱印

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駐車場と参拝所要時間

境内の駐車場は西神苑にあります。駐車場へは境内の西側のこちらから。

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(Google Mapより)

よそ者の私は、護国神社の鳥居(この写真の左)があるここに停めていいものかしばらく悩みました。

さらに宮崎神宮の駐車場という看板があるものの、鳥居を車でくぐるのが憚られ、しばらく様子を見ていたところ、この鳥居をくぐっていく車を見つけてそれに倣いました。

その結果、冒頭の駐車場というわけです。

参拝ですが、社殿へのお詣りだけなら20分くらい。

さらに境内をぐるりと歩くと30~40分といったところです。

miyazakijingu.or.jp

 

この後は、宮崎西インターから東九州自動車道経由で高千穂へ向かいます。