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【長野】武田信玄の終焉の地は?(2) 駒場「長岳寺」

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2022年のGWに、長年気になっていた長野県根羽村にある史跡 信玄塚を訪ねました。

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もうひとつの有力な終焉の地

武田信玄が亡くなった場所はおおよその範囲は絞られているものの諸説あります。

信玄塚と並んで有力といわれているのが、信州 駒場(こまんば)

御宿監物の書状や松平忠明によって寛永年間に編纂された「当代記」など、複数の文書にも登場する地名です。

長野県南部に位置する昼神温泉や花桃で有名な阿智村にあります。

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また国道153号線と256号線が交差し、中央自動車道も通るなど下伊那の交通の要衝でもあるのです。

 

武田信玄終焉史跡 「長岳寺」

武田信玄は、三州(伊那)街道を進む帰途(根羽、平谷付近)で亡くなり、この地で火葬されたという説、あるいは駒場の山中で亡くなったという説などとあわせて、終焉の地が駒場とされているようです。

寺 概略

【名 称】広拯山 長岳寺(こうじょうさん ちょうがくじ)

【ご本尊】十一面観世音

【創建年】828年

【開 基】伝教大師

【文化財】十一面観音 など

【所在地】長野県下伊那郡阿智村

創建後は争乱などにより一時衰退しましたが、14世紀になって復興しました。

ただし、信玄を火葬した弔った時代から何度かの移転を重ねています(旧地には、現在国道153号や中央高速道路が通っている)。

よって、それらの痕跡があるわけではありませんが、武田信玄の遺品や供養塔があります。

また日本画家 吉川優氏が手掛けた四季を描いた襖絵が本堂に彩りを添えています。

 

長岳寺の境内

山門

鐘楼

成就門

もう1ヶ月早く来ていたら、見事な開花を見られただろうしだれ桜などがありました。

長岳寺本堂を拝観

境内はとてもコンパクトです。

山門から入ってすぐ、本堂の向かい側で受付をします。拝観料は200円です。

受付をしてくださったご住職さん自ら案内してくださいました。

本堂内の仏像などの写真はありませんが、ご本尊は十一面観音。この他に(木槌)薬師如来像、不動明王、大日如来などの仏さまが祀られています。

いずれも平安、鎌倉、室町時代のものと伝わります。

長岳寺の襖絵

仏像の説明の後、こちらの襖絵についての説明がありました。

阿智村在住の日本画家 吉川優 氏による襖絵です。(襖絵のみ撮影可)

地域の四季を表したもので、2012年に奉納された作品です。

(秋)天竜川の深い緑の流れと赤く燃えるような山々の紅葉

(夏)南アルプスの残雪と緑

この反対側にそれぞれ春と冬の風景があります。

ご住職のお話では、名だたる展覧会や個展などで、高い評価を受けている画家さんだそうです。(美術系にはめっぽう疎いのでスミマセン)

新しい絵なので発色もきれいです。本堂に入るとちょっと驚きますが、しばらく見ていると本堂の雰囲気にいい感じに溶け込んでいるように感じました。個人的には天竜川の渓谷の風景が好きです。

ここまで見てきてやっと本題!?へ向かいます。

本堂のさらに奥に進むと、武田信玄の遺品(兜の前立)が展示されていました。

小さいものですが、表裏の状態がわかるように工夫されています。

武田信玄が自身の領地でもなく、戦地でもない場所で、道半ばにして命を落とした無念さを想像するための数少ない貴重な品だと思います。

本堂はさほど大きくないのですが、複数の歴史ある仏像、新進の画家さんによる襖絵、そして武田信玄の遺品・・・とぎっしりと見どころが詰まっていました。

ゆっくり見ていたらあっという間に20分ほど経過。

午後3時ころに行ったこともあり、貸し切りでゆっくり拝観させていただきました。

(拝観は17時までとなっています)

 

さらに本堂を出て庭を歩くと、季節の花々や木々が生育する中、歌碑や供養塔などが多数建っています。

武田信玄灰塚供養塔(十三重塔)

1972年の400年忌にあたり建立されたものです。

その隣には、馬場美濃守(馬場信春)の供養塔もあります。

長篠の戦いで討死した側近(武田四天王のひとり)ですが、彼だけなぜここに?

この他にも新田次郎や野田宇太郎といった作家や詩人たちの句碑が複数あります。

名だたる詩人たちも武田信玄の無念さをここに来て感じたのでしょうか?

 

日中友好関係の石碑

成就門のある近くには日中友好や開拓団と書かれた記念碑などが複数ありました。

ここを訪ねた後で知りましたが、前住職である山本慈昭法師は「残留孤児の父」と呼ばれる方だそうです。

第二次世界大戦終戦間際に「満蒙開拓団」として当時の満州に家族や地域の人々と赴き、その後、ご自身の家族を含めた残留孤児捜索に人生を捧げました。

長岳寺の御朱印

拝観受付時に御朱印帳を預けました。

ご住職さんは本堂の案内と御朱印と並行してこなされていました。

さらに武田信玄の資料室でも(できあがった御朱印を持ってきてくださった際)さらに丁寧なご説明や私の拙い質問にも対応してくださり恐縮です。

お寺のパンフレット、また自治会作成の「駒場探訪案内」という資料も大変わかりやすくつくられています。

阿智村へは何度足を運んでいますが、もうちょっとこの地について知りたくなりました。

 

長岳寺の場所と駐車場

阿智村役場からほど近い場所、阿智川の流れるそばにあります。

中央自動車道・飯田山本インター、園原インター、飯田インターからのアクセスもそれぞれ15~20分ほどです。

駐車場はお寺の前に10台ほど停められます。

しかし私はナビの案内で満蒙開拓平和記念館の前に出たので、その隣にある駐車場を利用しました。こらちにも10台分ほどあります。

奥の建物が満蒙開拓記念館。

こちらも長岳寺の正式な駐車場ですが(車では進めないので)ちいさな橋を渡って少し坂を上ることになります。

 

あわせて訪ねたい「満蒙開拓平和記念館」

第二次世界大戦時に国のすすめで満州国の開拓に渡った人々の歴史を記録・紹介する施設です。

長野県は全国の中でもっとも多くの開拓民を送っていました。

終戦後に日本に無事に帰ることができたのはそのうちのほんのわずかです。

戦地で戦った人や原爆や空襲で被害を受けた人だけでなく、満蒙開拓団の人々も戦争の大きな被害者であることを忘れてはなりません。

実はこの施設、知人から聞いて数年前に訪問しています。

当時は長岳寺(前住職 山本慈昭法師)との関連を知らずに見学していました。

武田信玄の時代とは違いますが、この地に伝わる重要な歴史として、長岳寺とあわせてぜひ多くの人にこの施設も訪れていただきたいと思います。