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【岐阜】令和に造営された一番新しい「岐阜東照宮」

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2022年7月の岐阜の旅。

金華山の麓にある伊奈波神社を参拝し、いよいよ「大本命」の東照宮へ向かいます。

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東照宮とは

徳川家康を神格化し「東照大権現」と祀る神社です。

日光や久能山のように直接家康の御霊を埋葬している地では、豪華絢爛な社殿が有名ですが、今も全国各地に東照宮はあります。

江戸時代には譜代や外様大名らが競って造営し、500社以上があったとされています。しかし明治時代の廃仏毀釈などにより合祀、廃社などが進み、現在のこるのは130社ほど。(出典:Wikipedia)

東照宮が造られた地は、徳川家康や徳川系の大名が治めた地、あるいは縁者が嫁いだ地などです。東照宮として独立している神社もあれば、境内社として祀られているところが北海道から九州の一部に見られ、特に静岡県や愛知県、関東周辺には多々あります。

 

岐阜は家康が治めた地ではありません。さらにいえば、岐阜城主であった織田信長は同盟という名の上司でした。従属していたかのような家康ですが、関ケ原の戦いで城主の織田秀信(三法師)が西軍について負けたため、翌年の1601年に岐阜城を廃城としました。

織田信長の権力の象徴でもあった岐阜城に、家康は”権力の再来”を恐れていたという説もあります。

が、そんな岐阜城の麓にある産土神(うぶすながみ)である伊奈波神社に東照宮が存在するということに正直驚きました。

 

岐阜に東照宮がある理由

岐阜に東照宮ができた理由は、廃城後にこの地を所領としていた尾張藩が設置した岐阜奉行所内に「五ケ条の法度」、家康の発給した「伝馬朱印状」とともに東照宮を祀ったことがはじまりです。

しかし、明治時代に奉行所が廃止されて崇敬が途絶えたことを憂いた地元の人たちによって、伊奈波神社境内に社殿が造られますが、1891(明治24)年に発生した濃尾地震の火災によって焼失。この際、神宝であった書状などもすべて失ってしまいます。

その後は、伊奈波神社に四社合殿として祀られていました。

130年ぶりに地元の方々の寄付によって、社殿が再建され2021年5月に完成しました。

 

”新築”の岐阜東照宮

東照宮がある場所は伊奈波神社の入口付近。

大鳥居の右手、坂を上った先にある駐車場のさらに上になります。

スロープのカーブ付近は車と歩行者が合流するので注意です。その先に木造の建物が見えてきます。

伊奈波神社を訪れて最初に目に入る社殿で、しかも鳥居をくぐる前から建物は見えます。

 

駐車場から続くこちらの鳥居をくぐって進みます。

東照宮まで行く間には、愛宕神社、金山大神、秋葉神社の社殿もあります。

 

岐阜東照宮社殿

拝殿が設けられ、その奥に本殿があります。

こちらが本殿です。

木曽檜の天然木で作られています。

距離があって詳細はわかりませんが、緻密な彫刻が多数見られます。

拝殿上の彫刻は、中国の故事にちなんだもののようです。

社殿を取り囲む塀には三つ葉葵の紋も飾られています。

 

日光東照宮や久能山東照宮しか知らない方にとってはイメージが違うと感じるかもしれませんが、境内社(本殿に祀られている神様と別に、境内の中にある別の社殿に祀られている)の東照宮としては規模も大きいと感じます。

こちらは静岡県内にある境内社の東照宮です。

浜松八幡宮(浜松市)と府八幡宮(磐田市)

2015年に造営された黒石神社(青森県黒石市)内の東照宮

こちらはワケあって弘前東照宮から遷宮されました。

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このような境内社の規模と比較してみると、豪華さも負けていません。

ただ、たくさんの神様が鎮座され過密状態の伊奈波神社の境内。残された少ない空間をなんとか確保したという感じがありました。

通路が狭い部分もありますので、参拝の際は足元にお気を付けください。

 

岐阜東照宮の御朱印

御朱印は伊奈波神社の社務所でいただきました。

伊奈波神社では「伊奈波神社」「岐阜東照宮」「黒龍神社」の3種類の御朱印をいただくことができます。

 

まとめ

織田信長や斎藤道三という”強豪”の足跡が感じられる地に徳川家康・・・とは想像もしませんでした。今となれば社殿の工事中も見ておきたかった・・・と後悔しかありませんが。

このご時世、新たに造営される社殿を見る機会はなかなかありませんので、これは大変貴重なものを見せていただいたと思います。

岐阜のみなさんありがとうございますm(__)m

そして、この付近は昔ながらの風情がある街並み。

寺社も多いのでまた改めてゆっくり歩いてみたいと思うのでした。