11月末に鎌倉の大河ドラマ館を訪ねました。
鎌倉市内にはたくさんの寺社がありますが、今回は鶴岡八幡宮のドラマゆかりの地に絞りこみ、源頼朝の墓など徒歩で回れる範囲をサクッと巡りました。
所要時間は大河ドラマ館、鎌倉国宝館、鶴岡八幡宮とあわせて4時間ほどでした。
鶴岡八幡宮東門からスタート
↓↓↓↓↓ 鶴岡八幡宮の境内案内図を拝借してご案内。
地図右端の鳥居から散策スタートになります。
主なスポットは鶴岡八幡宮の東側に集中しています。
流鏑馬馬場を進み東入口から境内の外へ。
鳥居を出たあとに境内を振り返ったようす
畠山重忠邸跡
鳥居を出たすぐに石碑があります。
石碑のみですが・・・演じた俳優さん(中川大志さん)の影響もあり人気スポットになっていました。
しかし、この石碑が大河ドラマにあわせて造られたものではなく、大正時代にすでにあったということに驚きます。おかげでビミョーに解説がわかりにくいのです(苦笑)
進んでいくと、比較的新しい案内表示があります。
史跡や寺社がけっこうあります。当初は(北鎌倉の)建長寺にも立ち寄ろうと思っていたのですが、時間的にも天候的にもそんな余裕はありませんでした・・・
歩いていると、いい地図見っけ!
地元の商店会が作成したイラストマップですが、ナイスジョブ!
大河ドラマ館にも駅前観光案内所にも目ぼしいマップがなかったのですが、これ紙バージョンでほしかったなぁ。
大蔵(大倉)幕府跡
ここがいわゆる鎌倉幕府の御所(政治の中心)跡。
鶴岡八幡宮から歩いて5分ほどの場所にあり、現在は清泉小学校の敷地になっています。
歴史の教科書では「鎌倉幕府」ですが、地名から「大倉幕府」とも称されるのは初めて知りました。
小学校の角にある石碑が幕府の敷地の中心にあたります。
が、相変わらず石碑の説明が古文すぎて意味不明・・・
でも安心してください!(古っ)
学校の周囲には児童のみなさんが作った図入りの解説などが多数掲示してありました。
ナイスジョブ!
残念ながら校内へは入れませんので、その雰囲気や規模などを空想しましょう。
なお(撮影禁止ですが)大河ドラマ館に大蔵幕府(御所)のジオラマが展示されているのでそちらでイメージをつかんで行くと良いと思います。
清泉小学校の東端まで行ったら左折して北上します。
東御門跡
これに対して西御門跡にも石碑があります。(省略)
このあたりまでは住宅街ですが、少し歩くと木々に覆われた丘の麓へ到着。
白旗神社
もとはここに源頼朝の亡骸を葬った法華堂があった場所とされていますが、明治時代の神仏分離によりここに神社が建立されました。
隣は公園になっていて、イチョウの大木が見事に色づいていました。
なお、同じ名前の神社が、鶴岡八幡宮境内にもありますが、こちらは源頼朝と実朝が祀られた摂社です。
法華堂跡
旧法華堂のあった白旗神社の横にある階段を上ります。
50メートルほど離れて40段ほどの階段が2つあります。
左が源頼朝の墓、右が北条義時の法華堂(ほっけどう)跡とつながっています。
法華堂跡(源頼朝の墓)
鎌倉幕府初代として鎌倉の町を見下ろす高台に法華堂が造られたものの、17世紀ころにはなくなり、現在の石塔が建てられたそうです。
戦国武将なら比較的お墓やお寺が残っているものの、やはりその間の400年の差は大きいのだと感じます。(中尊寺金色堂に眠る奥州藤原氏は別格ですが・・・)
それぞれの法華堂跡はつながっていないので、いったん階段を下りて、東側の(鳥居のない)階段を上ります。
法華堂跡(北条義時の墓)
源頼朝の墓があった場所より広い空間になっています。
鎌倉幕府の成立と創建を支えてきた北条義時が源頼朝の隣で眠るというのはなんとなくわかる気がします。
しかしそこは源頼朝を気遣ってか、頼朝の墓所より数メートル低くなっているそうです。
法華堂の建物は残っていませんが、2005年に行われた発掘調査により法華堂の遺構が見つかっています。
その範囲をあらわした杭が打たれているので、おおよその規模がわかります。
そして、2022年11月現在そのようすを体現できるアプリが用意されていました。
オススメ!「北条義時法華堂AR」で当時の様子を再現
アプリをインストールし「現地でAR」メニューからカメラをかざすと・・・
周囲の景色の中に在りし日の法華堂の姿が合成されます。建物内の仏像にも注目。
Android、iOSどちらにも対応アプリが用意されています。北条義時法華堂アプリで検索してみてください。
パケ代が発生するので自宅でのインストールがおすすすめですが、現地でも電波状態は悪くありませんでした。
【補足】Androidをインストールしたら「Google開発者なんちゃら・・・」がでてきてうまく起動しませんでした(端末はGoogle純正のPixelなんですけど)
ピンチヒッター用のiPad(mini 6th)で利用することができました。
解説なども充実していて、現地にいかなくとも「お家で見る」で予習復習もできるのがGoodです。
昨年、大分県の岡城ではじめてARアプリを利用してみましたが、すっかりこの面白さの虜になりそうです。
ムリに「箱もの」を復元しなくても、これでいいじゃんと思えるようになりました。
三浦氏のやぐら
法華堂跡のすぐ横に目を向けると洞穴があります。
三浦氏とは、大河ドラマで山本耕史さんが演じたあの三浦氏です。
義村の代は、13人の御家人の中でのらりくらり絶妙な距離感で北条家とかかわってきましたが、息子 泰村の代に北条氏と敵対し、1247年の宝治合戦で敗れます。
北条氏に攻められた一族は、源頼朝の法華堂に立てこもり自害したと伝わります。
ここは三浦家一族供養のために造られたものです。
ここでいう「やぐら」は横穴式墳墓を指しています。
このエリアにもうひとつ気になる箇所が。それが法華堂跡の奥にある鳥居とその先の階段です。
この地の主は島津家!?
この階段を上ると・・・
大江広元の墓
鎌倉幕府の重臣 13人のうちのひとり。
ドラマでは有能な文官でしたが、政子にゾッコンでしたね~(笑)
そして、その隣には・・・
毛利季光の墓
この時点で???なのですが、毛利季光(すえみつ)は、大江広元の四男。
この家系から後に毛利家の始祖となる毛利元就が出ています。
さらにその隣に再び謎。
島津忠久の墓
鎌倉幕府の御家人であった 惟宗忠久(これむねただひさ)は、源頼朝から島津荘(薩摩国・大隅国・日向国)の地頭職、守護職に任じられて島津氏をを名乗ったことが起源で、島津家の藩祖となります。
また 惟宗忠久については、源頼朝の御落胤だとする伝説もあります。
これらの3つの墓はもちろんのこと、先述の源頼朝の墓の整備も島津氏、毛利氏の子孫たちが江戸時代に行ったものです。
ということで・・麓にあった案内板はこのとおり。
島津がいちばん偉いらしい・・・(苦笑)
それを一番物語るのがこの景色。
島津家の墓がある場所から見下ろした景色です。
階段の下が北条義時の法華堂跡です。それらより数十メートル高いすべてを見下ろすかの地に、島津と毛利が祀られているとは・・・いやはや恐るべし薩摩&長州。
巡り巡って幕末には、東国に中心をおいていた徳川幕府を滅ぼすんですからね。
まとめ
鶴岡八幡宮から徒歩圏内で、源頼朝や北条氏以外も網羅した歴史ワールドが広がっていました。
鎌倉を散策していて、まさか薩摩と長州の史跡とは予想外でした。
なお、鎌倉に北条義時の墓は残っていませんが、伊豆の国の北條寺にお墓があります。
そして、この法華堂跡から少し離れていますが、電車に乗ればすぐの史跡をひとつ付け加えておきます。
和田塚
江ノ電の和田塚駅から徒歩1~2分の住宅街の小さな公園のような場所にありました。
こちらもドラマで壮絶な最期が印象に残っている和田義盛に関する史跡です。