「どうする家康」はいよいよ奥三河で武田との決戦を迎えました。
信玄亡き後も武田に苦しめられる家康にとっては、この戦が大きな転機になります。
先日、予習を兼ねながら長篠城をはじめ、長篠設楽原の戦いに関する史跡を巡ってきましたのでご紹介します。(またしばらく旅行記は渋滞です)
長篠城について
1508年、今川氏の命をうけて菅沼氏によって築城された奥三河の城。
現在の愛知県新城(しんしろ)市にあります。
豊川と宇連(うれ)川の合流点近くに位置する断崖絶壁の城は、信濃・三河間の戦略拠点として、徳川と武田の間の攻防が繰り広げられました。
1573年、この城に籠城して500の兵で城を守った奥平貞昌(のちに信昌)は、戦功を認められて、徳川家康の長女 亀姫を正室として迎えます。
国指定史跡として土塁や本丸跡などが整備され、日本100名城にも指定されています。
長篠城の立地
入口の看板
このインパクトのある看板は、この長篠城の危機を救ったことで語り継がれる鳥居強右衛門の磔の姿をイメージしたもの。
今までは、歴史好きと地元民しか知らないようなマニアックなものでしたが、大河ドラマ「どうする家康」で岡崎体育さんの名演で全国区になりそうな予感。
無料駐車場があります。
ちょうど「長篠合戦のぼりまつり」の期間中。静岡県の県境付近から幟(のぼり)旗が各所でなびいていました。
長篠城址史跡保存館
お城の形をした建物は資料館になっています。
【住所】愛知県新城市長篠市場22-1
【営業時間】9:00〜17:00
【定休日】火曜日
【入館料】おとな 220円 小中学生 100円(設楽原歴史資料館との共通券あり)
【Webサイト】
https://www.city.shinshiro.lg.jp/mokuteki/shisetu/shiryokan/nagashinojyoshi/yokoso.html
入館料割引きについて
通年、設楽原歴史資料館との共通券が用意されています。
また、2023年は「どうする家康」の大河ドラマ館との相互割引もあります。
私は設楽原歴史資料館で共通券を購入したのですが、この共通券も割引してもらえました。
愛知県の史跡は相互割引が多いので、半券またはパスポートを持って行きましょう!
昭和の香りただよう鄙びた感のある館内ですが、地図なども多く、わかりやすい展示になっています。ここを見学した後、馬防柵など合戦跡の屋外史跡に行きましょう。
刀や甲冑などの展示もそこそこにあります。
鳥居強右衛門の磔の絵もあるのですが、館内のものは撮影禁止でした。
城主 奥平家の子孫は江戸時代以降中津城藩主となっているので、そちらでも鳥居強右衛門の絵をはじめ、長篠の合戦に関する資料や奥平家のお宝を見ることができます。
長篠城跡や長篠・設楽原の戦いに関する資料も無料でいただけます。
これを持って周辺の史跡巡りをするのがおすすめです。
ということで、GWの五月晴れの中、本丸周辺を歩いてみました。
国指定史跡 長篠城跡
上の城内地図で、遺構をしっかり確認できるのは主郭の部分となります。
左上の野牛曲輪は線路で分断され、帯曲輪は駐車場になっています。
内堀跡
帯曲輪のあった現在の駐車場から続いている内堀跡です。
土塁
主郭に入って左手の小高い場所です。古そうな石碑があります。
主郭
いわゆる本丸。「長篠のぼりまつり」の直前のようすです。(通常は幟旗は立っていません)
5月5日には火縄銃実演や武者行列などが開催されます。
普段はただの広場な主郭ですが、幟のおかげで雰囲気アゲアゲですね~
本丸跡の青々とした芝生を進んでいくと、金網に到達します。
この先はJR飯田線の線路になっています。
線路で分断された野牛曲輪
なんということでしょう!史跡の中に線路があります。
この先には野牛曲輪があります。(大回りすれば行けるかも!?)
平城京跡の近鉄線ほど頻繁には通過しませんが、史跡を突っ切る鉄道はインパクトあります。
今回は列車の通過を見られませんでしたが、以前撮影した写真にて
10年以上前の写真ですが「長篠のぼりまつり」の当日に飯田線の車内から撮影した写真もありました。
この時は、なんだかわからずすごい人だなと思わずシャッター押したんです。
飯田線の秘境駅を巡る特別列車に乗車していた途中のことでした。
話がどんどん脱線するので戻します(笑)
金網付近には武田方の砦(とりで)の解説もあります。
徳川家臣の酒井忠次たちが武田軍に奇襲をしかけ、設楽原の戦いの火蓋が切られた鳶ヶ巣山(とびがすやま)がここから見えます。
同日、近くまで(車で)行ってみたのですが、道が細くて不安になり断念しました。
長篠城跡の主郭を中心とした遺構はさほど大きくありませんが、ここまで来たら足を延ばして見ていただきい重要スポットがあります。
天然の要害を実感できる「牛渕橋」からの眺め
ここから見る長篠城がまさに「天然の要害」です。幟の立っているところが主郭です。
高さ50メートルほどの断崖の上に建つ長篠城。
この断崖は中央構造線の一部でもあり、城好きだけでなく、地質マニアもワクワクすること間違いなし!
鳥居強右衛門は、この川を渡って(泳いで)城を脱出し、岡崎城へ向かったと伝わり、そのシーンが先日の大河ドラマで再現されました。
この景色は、宇連川と豊川が合流する地点にかかる橋の上から見られます。
長篠城跡からは車で5分ほど(川に囲まれているため大回りになります)。
橋の上はすれ違いもギリギリな幅になっているので停車不可。また、橋の先は踏切です。
かろうじて「この橋の銘板の右側に少し広い路肩があります」という情報を付け加えておきます。
そしてこの橋からほど近いこちらにも行ってみました。
鳥居強右衛門(すねえもん)磔死之跡
新東名高速の側道近くから入りましたが、入っても大丈夫か心配になりつつ前進。
未舗装のあぜ道の手前に車を停めて歩きました。
周辺の田畑には電気柵が張られているので立ち入らないようにご注意ください。
写真中央に長篠城の幟がちらりと見えます。
三河武士の鏡として手厚く葬られた鳥居強右衛門。ここから1.5kmほどの鳥居駅近くの新昌寺にお墓があるそうです。
この後は、織田・徳川連合軍が武田軍を打ちのめした地である設楽原歴史資料館と馬防柵の方面へ向かいます。