2024年秋のクールで軍艦島を題材にしたドラマ「海に眠るダイヤモンド」が放映されています。
ドラマはNHKの大河ドラマくらいしか見ないのですが、軍艦島が気になって視聴しています。
実はワタクシ世界遺産に登録される前の2010年の11月にすでに上陸しました。
そのようすをお蔵入りしていたブログから掘り起こしてみました。
なぜ今さら?ですが、軍艦島は残っている建物群が激しい自然環境の中で年々崩れています。
あえてそれを修復することなく自然にまかせていると聞き、14年前の写真に今はもう見られない貴重な風景を記録しているかも・・・と思ったからです。
当時のツアーの様子と現在とを比較しながらまとめてみました。
軍艦島の一般公開は2009年からスタートしました。
廃墟マニアではありませんが、その歴史的背景が私の好きな分野(黒部ダム建設物語とか・・・)だったりします。
ブラックダイヤモンド号で軍艦島へ
軍艦島への上陸は個人では不可。
長崎の海運会社が催行するツアーや旅行会社のツアーに参加することになります。
私は長崎国際観光コンベンション協会が催行していた現地ツアーへ参加しました。
現在ほど選択肢は多くない中、このツアーでは軍艦島の元島民で、世界遺産へ向けて活動する団体の理事さんがガイドとして同行するということ、軍艦島の隣にある高島(現在も有人の島)にも立ち寄るという理由で選びました。
乗船したのは船体カラーが印象的なブラックダイヤモンド(BLACK DIAMOND)
現在、この船でほぼ同じコースを運航しているのが高島海上交通さんのツアーのようです。(出発時刻や料金は変わっています)
10時50分に約20人の乗客と10数名のスタッフをのせて出航です。
運航や上陸基準が厳しい軍艦島ツアー
軍艦島へのクルーズや上陸は、風速や波の高さなどの条件がクリアできないと中止になります。
出航しても、上陸できずに島の周囲を眺めるだけになることもあります。
お天気が良いだけではダメなんです。とにかく風が敵。
私が参加したのは11月中旬、すっきり青空の広がる日でしたが、とにかく風が強い!
出航すら危うい状態でしたが、とりあえずは出航。
船長さんのお話では、上陸については島に近づいて判断するということでした。
なお、軍艦島への平均上陸率は約60%ほど。
季節によって変動もあります。
こちらから上陸実績のデータがご覧いただけます。
軍艦島は長崎港から約17.5キロの沖合にあります。
造船所などを眺めながら、開通直前の伊王島大橋をくぐります。
湾を出ると船は揺れる、揺れる。
私は酔いやすい体質ではありませんが、ちょっぴり不安になるほどでした。
約30分ほどで同じく炭鉱の町として栄えた高島へ入港します。
旧炭鉱の町 高島へ上陸
軍艦島に上陸する前にこちらで炭鉱について事前学習。
屋外の模型や石炭資料館で炭鉱の知識や島民の生活について見学。
内部は自由見学でしたが、ガイドさんや船長さん総出でツアー客の質問に丁寧に答えてくれました。
現在では長崎港近くに最先端技術を駆使したミュージアムがあるようです。
この一帯の炭鉱開発を手掛けたのはあの三菱財閥。
ということで島には岩崎彌太郎の立派な銅像がありました。
高島炭鉱を同郷の(土佐藩)後藤象二郎から譲り受け、採掘に成功。
これによって三菱財閥の基礎をつくりあげました。
高島炭鉱は端島より遅れること12年、1986年に閉山しましたが、現在も300人以上の島民がおり、マリンレジャースポットの島として人気だそうです。
なお、この高島炭鉱も「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとなっています。
軍艦島へ接近&上陸
お天気もいいので船の2階のデッキに出てみました。 (上の写真)
揺れる船上でカメラを構えて必死に撮影する人は私くらい。
船が揺れるので危険を察知したのか スタッフのお兄さん達が私のSPのような状態に。
と思ったら軍艦島上陸の準備でデッキにいただけだったみたい(苦笑)
高島からは10分ほどで足らずで軍艦島が見えてきました。
これでも軍艦っぽいっと思いますが、帰りにはもっと「軍艦」に見える角度から眺められます。
どうやら上陸ができそうな雰囲気になってきてホッ。
軍艦島は周囲から直接高波を受けるため港を作ることができない地形のため桟橋から上陸となります。
デッキにいたスタッフたちが上陸準備に慌ただしく動き始めました。
係留のためのコンクリート柱(桟橋)にロープを投げかけます。
桟橋があるのは島の南側。
この時期(11月)は北から風が吹くので島が風よけになってくれて上陸できました。
逆に、夏場は南風を受けやすいため上陸の確率が下がるとのこと。
スタッフが上陸して島の安全確認後、私たちの下船サポートしてくれます。
※写真の一部は保存に失敗したため画質が粗くなっています。
軍艦島ガイドツアーがスタート
南北480m、東西160mという小さい島に最も多い時期で5000人を超える人が住んでいました。人口密度は当時の東京の9倍。
この小さな島に住居や学校、炭鉱のオフィスなどコンクリート建造物が並んでいました。
島内は崩壊の危険のある建物が多いため自由に立ち入ることはできません。
ガイドさんの説明のもと、島の南部に設けられた見学通路からの見学になります。
下船した桟橋からほど近い第1見学広場から
ガイドさんから当時の写真や体験談を交えた説明が聞けました。
水(真水)に苦労した話など、最近ドラマを見ていて「あ~、こんな話を聞いたな」というシーンがありました。
左の高層の建物は、端島小中学校。7階の建物に1200人ほどが通っていました。
右は石炭を貯蔵したり運搬船に積み込む時に使った ベルトコンベアーの支柱です。
見学用通路
上陸は私たちの船だけなので余裕で見学ができました。
第2見学広場から
総合事務所として使われていたレンガ造りの建物が見えます。
右奥には坑道への入口となる第2竪坑入口が一部残っています。
波や潮の影響を直接受け、建物は年々崩壊しています。
先日テレビで見た映像では、総合事務所跡には崩壊を防ぐために足場が組まれていました。
なお、灯台は島が無人になってから造られたものです。
第3見学広場から
最奥の見学スポットからは国内最古の鉄筋コンクリート(7階建て)アパートが見えます。
行くことはできませんが、この奥(北側)には映画館やパチンコ店などの 娯楽施設が整備されて大変にぎわっていたそうです。
無人になって36年(2010年当時)の軍艦島(端島)。
ガイドさんの楽しい思い出話だけでなく、実は産業廃棄物(を受け入れる)の島になる寸前に食い止めたことなどもお聞きしました。
ガイドさんが最後に「これが日本の未来の姿」という新聞記事を紹介してくれました。
経済発展の陰で進む自然破壊や資源枯渇など・・・日本全体の縮図のような島がここにあるのだ、と。
当時は緑のない島だった軍艦島は、人がいなくなり、鳥によって運ばれた種により緑が戻りました。
ボタ(石炭の捨石)により、当時は真っ黒だったという海も 今は青く輝いています。
近年ではドローン映像で紹介されることも多い軍艦島ですが、当時は一眼レフカメラの望遠で「今しか見られない」その瞬間を撮ってきました。
比較の参考になればと思います。
激レアショット!?(2010年当時)
端島神社
つい先日放映された「帰れマンデー見っけ隊‼」という番組でこの神社のことを元島民の方が話されていて、その映像も公開されました。
この写真から14年経過しても祠(ほこら)はしっかり残っていましたね。
まとめ
出航から帰港までトータルで所要は2時間半ほど。
そのうち軍艦島の滞在時間は約50分でした。
その後、軍艦島をぐるりと航行して長崎港に戻りました。
内容の濃い素晴らしいツアーでした。
何よりも一度のチャレンジで上陸できたのはラッキーでした(晴れ女です(^^)v)
日本の戦後復興から高度経済成長を象徴するようににぎわった端島。
今はこのような姿で、いつ崩壊してもおかしくない状況の独特の環境。
数年後には姿が変わり、状況によっては立ち入りができなくなる日も来るかもしれません。
上陸は季節と運によるということを覚悟して、ぜひ早めにお出かけください。