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【岐阜】再開発エリアと昭和レトロな繊維問屋街の境界

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2022年7月の岐阜への旅行記です。

”金尽くし"の岐阜駅周辺は、高層ビルが建ち、今なお建設中のビルも数多くあります。しかし歩いてみると、タイムスリップしたような懐かしい風景がありました。

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空色にペイントされた壁が続く謎のエリア

今回宿泊したドーミーイン岐阜駅前に向かう途中に、気になる風景がありました。

それは、JR岐阜駅北口を出て西方向に延びるペストリアンデッキを進みます。

横断歩道や地下道などを歩く煩わしさがなく、各所にエレベーターも設置されています。

駅前の大通りを渡ってさらに北へ進み、突き当りを左へ曲がると・・・

水色にペイントされたビルの風景が突然現れます。

この歩道の終点がドーミーインへの入り口になっていました。

ホテル入口側からの風景

ホテル2階出入り口へ到着した時に撮影した風景です。

廃墟のようなビルと空色のペイントが施されたビルが並ぶこの一角は、日本ではないどこかアジアの国にいるような感覚です。

というと聞こえはいいのですが、再開発の進む町から取り残されたような感があり、さらに言うと、ここは夜歩いても治安は大丈夫?という感じを受けてしまいました。(実際は深夜出歩くことはありませんけど)

 

翌朝、金神社に向かう時に謎を確かめるために地上に下りてみました。

この角度から見るとまた雰囲気が違います。

そしてさらにこの北側に行ってみるとその正体が判明!

戦後から岐阜市の発展を支えてきたアパレル(繊維)関連の問屋が立ち並ぶ地域でした。

岐阜駅を中心として最盛期には1800超の店が軒を並べるほどの規模がありましたが、今では100店ほどを残すのみ。

このような通りが何本かありましたが、シャッターの閉まった店も多く、人通りはあまり見られませんでした。建物の老朽化も進んでいるようです。

ペイントされたビルを境に南側は再開発が完了した地域だったのです。

《問屋町西部南街区》

本地区はJR岐阜駅前に面する位置にあり、アパレル企業が密集する地区でありましたが、建物の老朽化や空き店舗が目立つ状況となっていました。
こうした状況を改善し、駅前のポテンシャルを活かした快適で利便性の高い都心居住空間と賑わい拠点の創出を目標に事業が推進され、平成24年8月に完成に至りました。(岐阜市公式サイトより引用)

 

再開発エリアの中心となるのが、無料展望フロアを楽しませていただいた「岐阜シティタワー43」でした。宿泊したホテルがあるビルもその一角だったのです。

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そして、さらに地域活性化の一環として問屋町の壁をアートするという事業が行われました。

岐阜問屋町二丁目協同組合~「全長130mのレトロ壁をみんなの楽しい壁に!」プロジェクト~

この町では、年に4回ほど「せんい祭り」という地域イベントも開催されているそうです。

 

駅正面にも残る繊維問屋商店街

このような名残は、JR岐阜駅前から北に延びる金華橋通りにもありました。

再開発が進む町では、伝統的な街並みや地域産業との共存というのはどこでも課題となっています。

気になる岐阜駅前の再開発

岐阜と同様に、私の住む浜松市もかつては繊維(織物)産業が盛んな町でした。

郊外には”のこぎり屋根”と呼ばれる工場だった建物も残っています。

高度成長期に作られた卸問屋の集まったエリアも、建物の老朽化や空き店舗が課題になっていましたが、近年はレトロな雰囲気を残したままリノベーションが進みつつあり、飲食店や雑貨店など新しい風が入り始めています。

立地の違いはありますが、産業の背景が似ているので岐阜駅前の再開発にはとても親近感を覚えたのです。

しかし人口の多さでは浜松ですが、名古屋を通勤圏に持つ岐阜の開発力にはとうてい叶いません。(新幹線なんかより名鉄の存在が大きく、浜松に延伸してほしいです)

 

岐阜駅前の昭和レトロな雰囲気を残す繊維街が今後どのように変遷していくのか、駅前再開発の今後が気になるところです。

また数年後に信長殿にご挨拶がてら(笑) 見に行ってみようと思うのでした~