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【麒麟紀行】ここにも麒麟がいた!「滋賀院門跡」と「慈眼堂」

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2020年3月に「麒麟紀行」として訪ねた滋賀県大津市坂本周辺。

明智家の菩提寺である西教寺を訪ねたときに、地元のスタッフさんから情報をいただいたイチオシスポット 滋賀院門跡を訪ねました。

www.momoyorozu.net

 

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大河ドラマ関連の「光秀大博覧会」のイベント窓口の方が紹介してくださった史跡です。

西教寺内の大河ドラマ関連の展示は新型コロナで延期になっていましたが、滋賀院門跡では展示があるとのこと。また庭園が素晴らしいのでぜひ行ってみてくださいと薦めてくださいました。

事前にサイトやクチコミで調べた情報より、やはり地元の方のオススメは外すことがありません。最近はその”余白”を残して計画を立てるようにしています。

 

滋賀院門跡について

1615年に慈眼大師天海が、京都白川にあった法勝寺を後陽成上皇から下賜され移築して創建した寺院。後水尾天皇より滋賀院の号を受けました。

門跡(もんぜき)とは皇族や公家が住職を務める寺院の格式をあらわしています。

江戸時代末期まで天台座主(比叡山延暦寺のトップである貫主)を務めた皇族の住まいとなっていた格式の高い寺院です。 

広大な敷地には内仏殿、宸殿、書院、庫裡などの建物がある他、庭園の美しさでも知られています。

 

滋賀院門跡の駐車場とアクセス

日吉大社や坂本ケーブルにほど近い通り沿いにある無料駐車場(看板は観光駐車場となっています)を利用します

20台ほど駐車できるスペースがあります。 

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写真左手にある看板にそって階段を下ります。

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1~2分歩くと通用口のような門が見えたので、そちらから入りました。

滋賀院門跡の境内

境内に入っても見えてくるのは石塔ばかり。すれ違う人もなく、本当にここでいいのか不安になりました。

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代々の座主供養塔の他、創建に関わった後陽成上皇、後水尾天皇、さらにわれらが徳川家康の供養塔もあります。文字が読めないのでどれかわかりませんでしたが・・・(>_<)

その先に立派なお堂が見えてきます。

慈眼堂

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滋賀院門跡を創建した慈眼大師すなわち天海大僧正の廟で、1643(寛永20)年に徳川家光の命により建造されたものです。

比叡山の復興にも大きく関与したほか、日光東照宮や上野寛永寺などの創建にも関わっています。

ここで歴史好きならもうお気づきでしょう。天海と言えば、徳川三代に仕えたブレーンとしても知られた僧侶。一説には明智光秀は(山崎の戦いで討ち取られず)生き延びて天海になったともいわれます。

光秀大博覧会の会場のひとつに選ばれていることに何か縁を感じてしまいます。

個人的にはこの説を信じたい派なのでちょっとテンション上がりました~

苔むした庭も上品な佇まいです。

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天台宗務庁

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比叡山延暦寺などを統括する場がここにあるということは、天台宗にとっての重要スポットと位置付けられていることに間違いありません。

 

ここまでご紹介した内容は、まだ本丸(滋賀院門跡)ではありませんので・・・

やっと到着です。

 

滋賀院門跡を拝観

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建物の外観も御所風な高貴な雰囲気です。 

拝観料は500円。(『比叡山坂本と光秀展』(~2021.2.7)を含む)

 

しかし、ここに来る頃にみぞれ混じりの雨に見舞われ寒い寒い・・・ 

建物に入るとストーブがたかれていてホッ。受付の方とちょっぴりお話をしつつ御朱印帳を預けて建物内の見学へ。

なんと、時期が時期なだけに帰るまで館内貸し切り状態でした(^^)v

平地でこの寒さ。比叡山にある延暦寺の真冬の寒さを思うと座主がここに居を構えるのも納得です。

 

パネル展示

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大河ドラマ「麒麟がくる」の滋賀県エリアのパビリオンのひとつとなっています。

この坂本という地が戦国時代に戦乱に巻き込まれ、その後復興していった歴史や、三英傑の時代と町の移り変わりなどが2部屋ほどにパネルで紹介されています。

大河ドラマ館といえば近年は既存の博物館や資料館を活用するところが増えていますが、歴史ある寺社を展示施設にしているのは古刹の多い滋賀県ならではですね。

パネルよりもこの建物内の調度品などを見逃さないようにしないと・・・

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建物は明治時代に再建されたものだそうです。

狩野派による襖絵が並ぶ部屋、さらには天海大僧正が着用したという甲冑、仏具などお宝の数々が展示されており、みどころ満載。来てよかった~

最奥には仏殿(本堂)がありご本尊の薬師如来が安置されています。

延暦寺が焼失し再建されるまでの一時期、重要な役割を担っていたという歴史があります。このため、建物は延暦寺の根本中堂と同じ向きに建てられており、現在でも延暦寺の僧による法要などが定期的に行われているそうです。

 

滋賀院門跡の庭園

宸殿に面する庭園は小堀遠州 作による池泉式庭園。

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宸殿の長い廊下どこからでも眺められるように配されています。

奥の山中にある石は仏を表現しています。

石組みで「鶴」「亀」を配置しているそうですが、それは自分で見つけてね、というスタイルになっていました

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もうちょっと暖かければ、誰もいないこの縁側で無限にボーッとしたい気分でしたが、寒いので長時間じっとしていられませんでした~(>_<)

勅使門

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勅使(ちょくし)とは天皇の使者のことで、天皇からの勅書などを持参する際に使われる門としてこのような高貴な門が造られました。

屋根の一部が残念な感じになっておりますが・・・

滋賀院門跡の紹介でよく使われているのがこの門です。

実際には外側から見たものが使われており、周囲は穴太衆による石組みと塀に囲まれ、地域独特の風景を醸し出しています。

が、これも寒すぎてゆるりと周辺を散策する余裕もなく・・・ 要リベンジです。

 

滋賀院門跡にも麒麟がいた!

天台座主接見之間

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高貴な雰囲気が漂う空間ですが、床の間に飾られた掛け軸になんと!麒麟が描かれています。

この絵は明治以降に描かれたものとされていますが、すぐ近くにある明智家の菩提寺 西教寺にあった麒麟とあわせて、ここに「麒麟」がいるということは???

 

滋賀院門跡の御朱印

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ご本尊は延暦寺根本中堂と同じ薬師如来です。

一緒にいただいた「天海大僧正ご遺訓」を見ると、徳川家康の生き様そのまんまです。

晩年の家康にとって天海は多大な影響を与えた人物で、また徳川幕府を盤石にした功労者といっても過言ではありません。

 

大河ドラマ「麒麟がくる」最終回に向けて

大河ドラマはこの記事をアップしている時点ではあと残り1か月となりました。

信長と光秀をはじめとした周囲との軋轢が広がり始める中、最後はどんな理由で信長を討つのか期待が膨らむところです。

また、前回の放送では家康さえ信長に対して距離を置くかのような発言もありました。「信頼できるのは光秀だ」と。

さらに一昨日明智光秀は「本能寺のあの場にはいなかった」という古文書が発見されたというニュースがありました。

これらを伏線と考えれば、山崎の戦いで光秀が討ちとられることなく、家康のもとで麒麟を呼んだという結末(あるいは”想像におまかせします”的な)になるのでしょうか?

ここまできたら、数年後に天海大僧正を主人公にしてスピンオフやってほしいわ~

※まったく的外れな記述ならここ1ヶ月後には削除しちゃいます(苦笑)

 

周辺のおすすめ情報

滋賀院門跡だけならば所要30分~1時間もあれば十分です。ここから比叡山延暦寺に向かうと時間が足りないかもしれませんが、里坊周辺(このあたりです)で時間がとれるならば、あわせて日吉大社と日吉東照宮を訪ねることをおすすめします。

かつての延暦寺がどれほどの規模か、そして武家社会に対する影響力力もどれほどだったか想像してみるのもおもしろいと思います。 

 

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