2020年3月上旬、コロナ自粛の一瞬の休息タイミングで訪ねた滋賀と京都。
大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公 明智光秀のゆかりの地である滋賀県大津市坂本付近の史跡を訪ねました。
【2021.11.21追記】
琵琶湖の水位が下がり”幻の石垣”が現れました!
湖底に沈んだ坂本城跡の石垣が、水位の低下により現れたことがニュースになりました。
この石垣のことを以前お伝えして興味を持っていた知人が、11月中旬に現地にて撮影した写真を提供してくださいましたので追加いたします。
平年比で70センチ近く水位が下がった11月中旬の様子です。
記事内最後の方の写真と比較していただけるとわかりますが、私が訪ねた当時は左の石垣(城跡のものではありません)の際まで水がありましたが、上記の写真では5メートル近く陸地が現れています。
こちらの砂州が見られるのもかなり珍しい光景だそうです。
水位低下が単なる雨不足で、いずれ正常になれば良いのですが。
見たい方はお急ぎください。
【以下本記事です】
坂本城跡の場所
歴史好きな方なら常識かもしれませんが、にわか歴女な私にとっては、つい最近まで明智光秀という人物は本能寺の変で織田信長を討ったという超有名な歴史的事実を除いてほぼ知識はありませんでした。(”家康の国”住みなので・・・)
坂本城は比叡山の麓、現在の滋賀県大津市にあった城です。
Google Mapで見ると関連史跡がいろいろありそうですが、先に結論を申せば、ほとんど遺構が残っていないのです。
実際、地元でいただいた比較的新しい観光案内をもとにカーナビで検索して行ったのですが、住宅街の路地を行ったり来たりすることになってしまいました(>_<)
そんなすったもんだの坂本城跡をたどってきた記録です。
坂本城について
坂本城は1571年に琵琶湖南端に近い西岸、現在の大津市坂本の湖畔に面した場所に築城されました。坂本は比叡山延暦寺や日吉大社の門前町であり、交通の要衝でもあります。
琵琶湖を天然の要塞とした水城で天守や石垣があったと推定されます。
日本滞在中に数々の記録を残したポルトガル人宣教師のルイス・フロイスによれば信長の築城した安土城に次ぐ豪壮華麗な城だったそうです。
その安土城は1576年に築城されたので、その先駆けともいえる城なのです。
しかし、1582年本能寺の変の後の山崎の合戦で明智光秀が討たれた後は、娘婿の明智秀満が火を放って自刃したことにより焼失。
その後、軍事拠点としての重要性から秀吉のもとで丹羽長秀により再建されますが、1586年には城主の浅野長政が大津城に移る際に資材などを移築し、坂本城は廃城となりました。
40年ほど前にはじめて発掘調査が行われ、焼土の層や建物の礎石、石垣の基礎石などが見つかり、おおよその城の縄張りが判明しています。
住宅街にある二ノ丸跡の石碑
思いっきり住宅街に迷い込んで走ること10数分。コロナ禍初期で、当時、私の地元もこの滋賀県も感染も少なかったとはいえ、他県ナンバーでうろうろするのはちょっと憚られましたが・・・
やっとたどりついたところにはこの石碑と案内板
二ノ丸跡
一応幟はあるのでウェルカムな感じですが、駐車場もないので住宅前に路駐。
まさかこれが史跡じゃないよね?
その奥にお寺があるので行ってみたのですが・・・
行き止まりだよ、おいおい。
東南寺というこのお寺は伝教大師(天台宗の開祖・最澄のこと)の開基と伝わる寺院。毎年、延暦寺の高僧による説法が行われる由緒あるお寺らしいのです。
また、坂本城落城の際に亡くなった武将の首塚が近くにあるにはあるのですが・・・
う~ん、これが坂本城跡といわれてしまうと・・・テンション下がっちゃいました(泣)
再度Googleさんに頼ってみると坂本城址公園と検索したほうがそれらしいようです。
仕切り直しです。
県道高島大津線(旧 国道161号線沿い)というけっこうな交通量の道路沿いにある公園にたどりつきました。 県道からの出入りに注意が必要です。
光秀の石像がある坂本城址公園
この石碑のほうが貫禄ありますね。
駐車場もそれなりにキャパシティがあります。私が行った時は、観光用というよりは琵琶湖で釣りをしたり、公園を利用する地元の方ばかりでしたけど。
琵琶湖のほとりまで歩いてみます。
明智光秀の石像
ん?思ったよりぷっくりしていませんか?
現在ドラマで明智光秀を演じている長谷川博己さんが細身なので余計にギャップが・・・
それにしても誰かに似てるな~と写真を見直してたら気づいてしまいました!
五木ひろしさんだ!!!
そしてこちらは光秀ソング?
これメロディもあるんですか?? ボタンを押すとメロディが流れるというしかけはありませんでした(笑)
余談ですが、青森県の龍飛岬には「津軽海峡冬景色」が大音量で流れる歌碑があります。場所が場所なので大音量でも迷惑にならないみたい('◇')ゞ
話を戻して、史跡らしい看板をやっと発見です。
この公園のある場所は、本丸より若干南になり、すぐ近くには日吉大社の遥拝所があります。
山王祭では、ここから神輿が船に乗せられるそうです。
この公園から少し北にある本丸のあった場所と推定されるところに石垣跡があるとのこと。やっと史跡らしいものが見られるかもしれないので行ってみることに。
坂本城の石垣が見られるかもしれない!?
県道沿いを200メートルほど歩いて行くと、畑に通じる道にできたばかりの看板発見。
完全に私有地っぽいあぜ道なのですが、看板の案内に沿って歩きます。
湖のほとりに繁るのは葦(よし)という植物で、琵琶湖の環境を守る大切な役割を担っています。この周辺は保全地区に指定されています。
水際ぎりぎりまで来ましたが、見えるのはこの風景。
左の石垣は坂本城のものではありません。
坂本城の石垣は琵琶湖の水位が下がった時にだけ見られるという幻の石垣なのでした。
ン十年に一度、それも渇水というあまりうれしくない気象条件が整えば見られるかも、というレベルです。
石垣にはあまり期待しないほうが良いですが、光秀も見たであろう琵琶湖の風景に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。
坂本城跡探訪まとめ
敗者の城というのは焼き尽くされ、埋め尽くされてしまうことも多いのが世の常。
近年になって住宅地として開発され、また主要道が通っているため史跡としての遺構はほぼないといっていい坂本城跡には、地元の人たちによって明智光秀の功績をたたえるために近年造られた石碑や公園がわずかにその足跡を伝えていました。
正直これだけをわざわざ見に行くのはおすすめしませんが、坂本周辺には明智家の墓所がある西教寺の他、日吉大社、滋賀院門跡、そしてさらに足を伸ばせば比叡山延暦寺があります。
みどころのある由緒ある寺社が多いので、その一環として立ち寄ってみてはいかがでしょう。