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【続日本100名城】信長が築城、そして徳川家が守り続けた「小牧山城」

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2020年7月に、「小牧長久手の戦い」で知られる愛知県小牧市の小牧山城に行ってきました。

このお城も郡上八幡城と同様、通りすがりに何度か目にしていたものの、訪ねる機会がなかったお城でした。

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(photo ACより)

 

実際に城郭として機能していた時期はほんのわずかですが、三英傑が関わった貴重な歴史を知ることのできる興味深い城跡です。

 

小牧山城の概要

1563(永禄6)年に織田信長が美濃を攻略するための拠点として美濃と尾張の国境にある小牧山(標高86メートル)の山頂に築城したのがはじまり。

信長亡き後、小牧長久手の戦いの軍事拠点ともなり、昭和初期までは徳川家の管理下にありました。

現在小牧市は、東名・名神高速、中央自動車道といった大動脈が交わる国内屈指の交通・物流の要衝となっています。

その町の中心部、市役所をはじめとした施設が建ち並ぶ一帯に、緑豊かな小牧山史跡公園として整備されています。

 

 

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旧名古屋空港(現在は県営名古屋空港)からほど近い場所にあることから空港を利用するたびに気になっていたお城なのです。 

 

織田信長の居城としての歴史

美濃攻略の拠点として清洲からこの地に移った信長は、犬山方面を配下に置き尾張を統一。親から引き継いだ那古野城、清須城を離れ、自身で築いた最初の城ということになります。

ご存じのように天下統一を目指し、次々と攻略した新たな地へ城を築いていきます。

わずか4年後には稲葉山城(のちの岐阜城)を攻略して移り住み、この時点で小牧山城は廃城となります。

 

小牧長久手の戦いとそれ以降の歴史

1584(天正12)年、織田信長の次男・信雄と徳川家康の連合軍と羽柴秀吉軍による小牧長久手の戦いが勃発。信長が築いた城郭を改修する形でここに織田徳川軍の本陣が築かれました。

この戦は、織田徳川軍が勝利をおさめました。(ただし、その後羽柴秀吉は狙いを信雄に定めたため、信雄は秀吉と和睦)

徳川家康にとって勝利をおさめた縁起の良い陣であることから、江戸時代以降この地は尾張徳川家の管理となり一般立ち入り禁止に。

明治以降もその管理は続きましたが、昭和初期に徳川家から小牧市(当時 小牧町)に寄附されます。

1967(昭和42)年には、小牧城と称する城郭風建造物(模擬天守)が建てられました。

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「THE 徳川」という風貌の天守閣です

 

小牧山公園の様子

公園入口(南口)

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市役所正面に大手口がありますがこの日は工事中で利用できず南口へまわりました。  

 

れきしるこまき(小牧山城史跡情報館) 

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南口からほど近いところにある展示施設。

2019年オープンしたばかりの施設で、デジタル技術駆使し、石垣の発掘調査のようすをバーチャルで再現したり、信長、家康、秀吉を中心にしたお城のシアターなどがあります。

現在こちらの体験コーナーは休止中ですが、個人的にはかなり好きな分野♡

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入場料は、頂上の歴史館と共通でおとな100円。とても良心的です。

シアターでは春風亭昇太さん(静岡県出身)がお城の巡り方を紹介してくれます。

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山頂へ向かう「信長コース」と土塁を巡る「家康コース」があります。

 

なお、天守閣を目指す方は、ここを見学してから山頂へ向かうことをおすすめします。予習になることはもちろん、公園内の道が複雑すぎてここに降りられない可能性があるからです。

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私の場合、天候が怪しかったため先に山頂に向かいましたが、全然違う場所(西側のバス駐車場口)に下山してしまい、公園の外を半周して再びここへ戻ってくる羽目に・・・(泣)

今、地図を見ても"迷宮”です。

 

山頂への道

「れきしるこまき」からしばらくは道幅も広くしっかり舗装されたゆるやかな坂

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眼下には小牧市役所が見えます

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が、案内に沿って進むうちに自然豊かな道に入ってしまいます。

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岐阜でも岐阜公園にたどり着くまでに同じような境遇だった気が・・・ 

www.momoyorozu.net

 

石垣発掘の跡

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山頂に近づいてくると、信長が築いた石垣の跡(発掘現場)があります。現在は埋め戻され再び草が生えているところも多く、写真での確認になります。

これを見ると、岐阜城を訪ねたタモリさんがおっしゃっていたように、信長という人はかなりの地質マニアだったと確信せざるを得ませんね(笑) 

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小牧山城天守(小牧市歴史館)

天守閣は鉄筋コンクリート3層4階建てになっています。

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入口付近に見える銅像は、この地を寄贈した尾張徳川家19代・徳川義親氏。

なお、建物は名古屋市の実業家の寄附により建てられました。尾張の人々の”城”を愛する熱い思いには感服します。

名古屋城の本丸御殿再建も多くの市民と企業の寄附で実現しています。 

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歴史館入口とコロナ感染対策の案内

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ソーシャルディスタンスは、信長と明智光秀の”光(みつ)です”パロディーでした~

館内展示は撮影禁止ですので、ざくっと展示概略を。

・1階は城下町の歴史や石垣発掘調査の解説コーナー

・2階は小牧長久手の戦いを映像や絵巻で解説するコーナー

・3階は地域のまつりなどを紹介するコーナー

ここまで登ってきたのなら小牧長久手の戦いの映像は必見です。

 

・4階は展望室

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木目を活かしたの上品な内装になっています。

実は階段もすごいんです!コンクリート造りを感じさせない高級感。

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写真では見難いのですが、ところどころに織田と徳川の家紋があしらわれています。

 

小牧山山頂からの風景

名古屋駅の高層ビル群が望めます。

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標高100mですが、周囲を遮るものがありませんので遠く鈴鹿山脈や岐阜の山々も見渡せます。

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建物の外へ出て一周します。

若干露出しているのが石垣の遺構。

主郭には上下2段または3段の石垣がめぐらされていたことが判明しています。

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建物の裏手には大きな石垣が放置展示されています。

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長年、徳川家の管理下におかれ一般の立ち入りができなかったことで石垣や曲輪など遺構が手付かずで残されていたのは幸運なことでした。

ある意味、天皇陵の墳墓のような手厚い保護を受けていたということでしょうか。

 

この後、雨を気にしながらあわてて下山した挙句、道に迷いました。

さらに・・・なんということでしょう!続100名城スタンプを押してくるのを忘れました~(泣)

途中で気づいて、きっと「れきしるこまき」にもあるだろうと行ってみたら「山頂の歴史館にしかスタンプはありません」と言われてしまいました。

雨は本降りになってきたし、とてもじゃないけど2往復はムリでした。

 

また、今回は途中から雨が降り出し、家康の時代に改修したという土塁などを巡る余裕がありませんでした。

いただいてきた資料をしっかり復習して、桜の季節にリベンジしたいと思うのでした~

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小牧山公園の駐車場 

平日に訪れましたので、公園の南側にある市役所の無料駐車場が利用できました。

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右側の新しい庁舎の地下に駐車場があります。

また公園北側の駐車場は2時間無料(以降30分100円)です。

 

komakiyama.com