2017年7月に訪ねた三重県の神社とお城をめぐる旅 つづきです。
松阪城跡の南東、城をぐるりと囲む石垣からほど近いところに(旧 三ノ丸)に武家屋敷跡 御城番屋敷へ向かいました。
今も武士の子孫たちが景観を守り続ける美しい武家屋敷 "御城番屋敷”
幕末の1863年に造られた長屋屋敷の「ごじょうばんやしき」は、国の重要文化財に指定されている史跡です。
松坂藩には徳川御三家のひとつである紀州藩の出先として江戸初期より城代がおかれました。城内警護のために紀州から移り住んだ武士(御城番)が家族とともに暮らせるように用意されたのがこの屋敷。いわば「官舎」ってところでしょうか。
組屋敷(長屋型式)になっているこの建物は幕末に建てられたもので、ここに住むに至った武士たちにはひと騒動あったようです(田辺与力騒動)
とはいえ、150年近く経過した今も、整然と延びる石畳に、きれいに手入れされた槇垣は風情たっぷりです。
槇垣の切れ目からちらりと失礼しますm(__)m
20件(石畳をはさんで左右に10件ずつ)あるうちの1棟を除いて、現在も武士の子孫の方々が住まわれています。景観を大切に守りながら暮らしている様子が伝わります。
お城に向かっての景色です。
石垣がこんな近くに見えるということは・・・あの石垣の上からこのお屋敷の全景が望めたということに後で気づいてしまったのでした。
上の写真、左に青い看板が見える1件が、一般公開されている住居。
入館無料なのでふらりと立ち寄ってみました。(急に降った雨除けにもなりました)
御城番屋敷の内部(無料公開)
意外とシンプルな間取りですが、平屋で4部屋以上あります。
これなら家族でゆったり住めそうですね。なかなかいい御身分だと思われますが、時は幕末、その後の明治維新で武士の職を失ってどんな暮らしをされたのか気になります。
城内の米蔵を移築した土蔵もあります。
御城番屋敷の入口にあります。
再び石垣沿いに進んで行きます。
「古事記伝」を記した国学者 本居宣長の功績を知る記念館
難読人名!?の 本居宣長(もとおりのりなが)ですが、日本史の教科書ではお馴染み。松阪出身の国学者です。
8世紀に編纂された古事記を訳した「古事記伝」の著者で、後世の研究にも多大な影響を与えた人物です。
元々は商人の家に生まれながら、若いころに自身は商売には向いてないと悟り、医者の道に進みながらもその傍らで国学者として功績を残しています。
記念館の内部はリニューアル直後とあってとてもきれいでした。
1階は、本居宣長の功績や系譜を紹介するエントランススペースと木材を多様した学習スペース。
2階は、主に著書や書状、使用していた道具などが並びます。全国の学者たちとの交流も深いようでした。伊勢に通ずる交通の発達した地域に居を構えていたことも交流や研究を支える要因となったようです。
階段に展示されていた地図は、宣長が17歳の時に作成したものだそうです。測量の発達していない時代にここまで精度の高いものができたとは驚きです。
入館料は、おとな400円です。駐車場も10数台分あります。
周辺地図
城跡だけではなく、歴史資料館や松阪市出身の偉人ゆかりの資料館が集まるスポット。2~3時間あれば足腰を鍛えながらじっくりと散策が楽しめると思います。
この後は、松阪散策最後の目的地、商人の足跡をたどりに向かいます。