2017年7月に訪ねた三重県の旅 つづきです
通常は鈴鹿から伊勢に向かう道路は、新名神との分岐付近で「亀山渋滞」にはまるのですが、日曜日というのに松阪インターまでスムーズに進んでしまいました。
松阪といえば、真っ先に「牛」「牛肉」が浮かぶ方も多いと思います。インターを降りてから走る道路沿いには「牛肉」の看板だらけ(笑)
しかし、今回は牛肉が目的ではなく、お城と街並みを訪ねます。
豪商を生んだ町 松阪は、お城も見ごたえあり!
松阪城は市民病院や市営野球グランドがある町の中心に近い場所にあります。城跡に隣接する(市営グラウンド横)無料の市営駐車場を利用できます。
登城口
史跡としてのメインエントランスっぽいところです。高さのある野面積みの石垣が立ちはだかっています。
表門跡の石碑
史跡案内の看板です。
現在の市名は「松阪」ですが、城址の石碑には「松坂」 。読みはいずれも「まつさか」です。
明治時代に表記が変更されたそうで、「大坂」から「大阪」と同様の扱いのようです。
本記事では、現在の市名である松阪で統一します。
この松阪城跡は、日本100名城城に指定されていますが、正直、そんなに名が知れている感じではないお城なのでさほど期待はしていませんでした。
ところが、実際に歩いてみると高く立派な石垣が城内へもずっと続いているのです。
野面積みの石垣
戦国時代を象徴する野面積みの石垣です。隅には、算木積みといわれる技法も採り入れられています。まさに戦国時代を象徴する石垣です。
誰ですか?こんな立派な石垣を作らせた城主は・・・
蒲生氏郷の手による見事な石垣が残る松阪城
松阪城は藩主 蒲生氏郷(がもううじさと)によって1588年に築城されました。
近江国出身の蒲生氏郷は、織田信長の城である安土城の築城にも関わった縁から、築城にあたって故郷近江から穴太衆(あのうしゅう)といわれる石垣づくりで有名な職人たちを呼び寄せたそうです。どおりで立派なわけです。
その後、秀吉の家臣時代に移封された地 会津で築城したのが鶴ヶ城です。あの戊辰戦争にも耐えたことで有名なお城です。
短命だったのであまり知られていませんが、私はこの方も”築城の名手”の一角に加えても良いかと思うのですが・・・
ただ、蒲生氏郷は築城以上に城下町づくりでも大きな成果を収めています。それはまた後の記事で触れたいと思います。
歴史民俗資料館(旧飯南郡図書館)
明治末期に造られたという雰囲気の良い建物がありましたが、時間がないので、こちらはパスです。
7月なのでそこそこの暑さでしたが、階段や坂道をひたすら進みます。 たまに観光客らし人がいたりしますが、こういう時期に城を歩いているのはマニアな人間だけです(笑)
月見櫓跡
遮るものがなく、お月見もできたかもしれない・・・というよくある櫓の名前ですね。
ルートが若干入り組んできました。きっとこのあたりにも櫓があり、侵入者を上から攻撃したの、かも。 熊本城の複雑なルートを思い出しました。
この辺りは石垣も低いので、その上を歩いてみると・・・
ひぇ~! 柵がなく真下が覗けてしまいます。
本丸跡
登城口(表門跡)からのんびり歩いて10分ほどで到着です。
天守台跡
本丸の中の一段高いところにあります。
本丸をぐるりと囲む石垣の上を歩けるのですが、やっぱり柵はありません。
際まで行けるので景色は良いのですが、その先は崖です。
そのかわりに、このような看板が随所にあります。
「立入禁止」ではなく「注意」ということなので登ってしまいましたが・・・
外国の観光スポットなどにありがちな、「この先、自己責任で…」という解釈でよろしいのかと。
こちらは修復したばかりの様子。
城内の案内図があるわけではないので、詳しい場所がお伝え出来ず残念ですが、規模も大きく、立派な石垣が残る城跡です。
一部しか歩けませんでしたが、城を取り囲む石垣がこの上なく素晴らしい!
城跡に隣接する本居宣長(もとおりのりなが)記念館へ行く途中に見た石垣。
まるで熊本城(二様の石垣)に匹敵しそうな急こう配の石垣です。
正直、松阪城をナメてました。建物がないとがっかりする方もいらっしゃいますが
石垣好きなら必見の城跡です。100名城入りに納得です。
久々に惚れ惚れ♥するような石垣に出会えました。いつか気候の良い時期に時間をかけて城壁一周したいと思うのでした。
松阪城の100名城スタンプ
本居宣長記念館でいただきました。
この後は、美しい武家屋敷跡が残る史跡・御城番屋敷を訪ねます。