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【大分】続日本100名城「中津城」~天守・奥平家歴史資料館~

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2021年秋の宮崎・大分旅行記です。

宿泊した別府市からまたまた山間の道を抜けること1時間強。

最終日は大分県の北部の町、中津市と宇佐市を訪ね、空港へ向かいました。

ずいぶん開けてきたなと思ったら中津市は福岡県との県境の町と聞いて納得です。近年はからあげの町としても全国区になっています。

 

中津城の場所と駐車場

中津市北部、中津川の河口付近にあります。

駐車場をさがして走っていたら路地の先に天守が突然あらわれました。

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ナビのおかげで城跡の東側にある本丸すぐ横の駐車場(5~6台ほど)にたどりつけました。

城跡は中津城公園となっており複数の神社もあります。公園の駐車場も無料なのでいずれかを利用して周辺を散策することができます。

 

中津城の概要

豊臣秀吉の命により黒田官兵衛(孝高、如水)が九州を平定し、豊前国中津16万石を拝領して1588(天正16)年に築城しました。完成したのはその後城主となった細川忠興の時代です。

周防灘に面した中津川河口に築かれた平城で、堀には海水が引き込まれました。

別名 中津川城、扇城とも称され、高松城と今治城と並んで三大水城に数えられています。

1632年には小笠原家が城主となりますが、1717年には、徳川家の譜代である奥平家が城主となり明治維新を迎えます。

 

奥平家について

歴史好きの多くは、”黒田官兵衛の城”と記憶していると思います。私もつい最近まではそう思っていました。

が、直前になって調べていたところ”奥平”という名にピピっと反応してしまいました。

ご近所!?で聞いたことがあるような武将の姓だと思ったらやっぱりそうじゃんねえ~(←三河弁)

奥平家は奥三河を発祥とする豪族・武士で、1575年、織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠設楽原の戦いで、長篠城を守り一躍全国で知られるところとなりました。

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長篠城址(愛知県新城市)

先祖は今川や武田に味方していましたが、その後徳川方となります。奥平家が徳川方についたことは家康の奥三河制覇に大変な力となりました。

2代目信昌(貞昌)は、正室に徳川家康の長女・亀姫を迎えるなど、家康からの信頼も厚く、その後重臣として徳川家を支えていきます。

長篠設楽原の戦から約150年後。徳川吉宗が将軍の時代に奥平家は西国の抑えとしてこの地に領地替えとなり、第七代の昌成が藩主となります。

 

ついつい三河武士の紹介に力が入りすぎてしまいました(^^ゞ 先に進みましょう!

 

中津城天守閣

明治維新まで奥平家が城主を務めた中津城は、明治維新後も小倉県中津庁舎として御殿が利用されますが、西南戦争で焼失します。

その後、1964(昭和39)年に模擬天守が建造されます。

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この時代の”復元ブーム”で建てられたものといえば、多くは自治体主導か、市民の寄付などによるものですが、こちらの天守は奥平家の寄贈(一部市民の寄付も)。

ご先祖さまは三河武士の奥平家。三河武士といえば武勇にすぐれ、忠義にも厚いけれど、君主(徳川家康)とともに貧乏&苦労の時代が長く、基本ケチなのですが(苦笑)

というわけで、この城の名称は奥平家リスペクトで、奥平家歴史資料館となっています。

 

城内へ進みます。入館料はおとな400円。

ですが福沢諭吉記念館との共通券が600円でしたのでそちらを購入しました。

天守閣に入ってすぐに続100名城スタンプをいただきました。

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天守内のようす

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奥平家所有の甲冑や刀などの貴重な展示が並んでいます。

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奥平家重代の家宝「白鳥鞘の鑓(やり)」

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徳川家康が織田信長から拝領し、徳川家の家宝とされていたものですが、晩年の家康を見舞った当時6歳の奥平忠昌(家康の曾孫)が所望して拝領したもの。

太刀 大般若長光(レプリカ)

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鎌倉時代に作られ、足利家から織田信長へ、そして姉川の戦いの戦功により徳川家康へ。その後、長篠設楽原の戦功で奥平信昌に贈られました。

ホンモノはお宝過ぎて東京国立博物館に所蔵されているそうです。

三河の史跡を巡るより、ここに来た方が奥平家の功績がじわじわと伝わってきますね~

 

そして歴史的合戦であり、奥平家を世に知らしめたこちらも必見!

長篠合戦図掛け軸

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長篠合戦で使われたという法螺(ほら)貝も・・・

長篠城の戦いの勝敗を決定づけた功労者 鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の画もありました。(長篠城の入口にある超インパクトのある知る人ぞ知る”あの絵”です)

 

とにもかくにも三河&遠州人を中心に「家康推し」が泣いて喜ぶ豪華ラインナップ(笑)

奥三河のお宝がごっそり九州にお引越しというのは残念でしたが、奥平家がこの地に根付いたおかげでお宝も散らずにすんだわけです。

徳川家康没後400年の記念という展示もあります。(もう5年くらい過ぎてますけど!?)

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しかし、ここを訪れる近隣の方々はアンチ徳川も多いのでは?と察します。

そんなわけて、ところどころに”黒田色”がちらほら見えたりはしていますね。

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まあ、多くの方は黒田官兵衛あるいは細川忠興の城と思って訪れるわけですからね。

奥平家には興味がないという方には、別の建物に用意されているこちらへ。

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黒田官兵衛は、家康に従属する形にはなりましたが、関ケ原後にこの地から天下を狙っていたという話もありますから。

 

天守最上階からの展望

最上階からは市内を一望できます。

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眼下には中津川、その先は周防灘が広がります。

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若干埋め立てられているのか海から距離がある感じを受けますが、潮の干満で堀に水が入り込んで水位が変わるという水城です。

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南は市街地、その先には耶馬渓などの景勝地がある山並みでしょうか。

天守を出た後は、公園内を一周してみます。

天守は模擬天守ですが、石垣の遺構は黒田官兵衛の時代からのもので、九州最古です。

珍しい石垣の競演も見られます。

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この他にも境内には奥平家の祖先を祀る神社などみどころがたくさんあります。