2021年秋の宮崎・大分旅行記です。
大分県中津市にある中津城を訪ねました。天守をひととおり巡った後は、黒田官兵衛と細川忠興が築城した石垣が見られるスポットへ。
中津城の石垣
天守を出て、本丸の堀のまわりを歩きます。
中津城の建物群は西南戦争ですべて焼失してしまったため、現存するものはありません。
本丸の北側、櫓があった後に建てられたのが現在の模擬天守です。
北側にぐるりと進みます。
この辺りに来ると奥平家よりも”黒田”色の強い史跡になってきます。
そもそもこの中津城は黒田&細川家により築城されています。


ここに石垣の必見スポットがあります。
黒田時代・細川時代の石垣の境
2人の城主によって作られた(拡張された)境界がよくわかります。
さあ、どちらが黒田でしょう?
パッと見、整えられた大きい石が並ぶ右が新しい石垣と考えますが(私もです)、実は右が黒田官兵衛の築いたもの。右が細川忠興時代のものだそうです。
この中津城は、川に近い方(右側)に本丸があり(天守があったかどうかは不明)、(左側の)二の丸に向かって拡張されていったのが細川忠興の石垣です。
現在天守が建っているのは、細川時代の石垣の上です。
中津川の堤防に上ってみました。
橋のもう少し先が周防灘です。
上流側を見ると、川に面して黒田官兵衛の時代に築かれた石垣が見られます。
堤防の看板
東海地区在住の私は、中津川(市)といえば岐阜県が思い浮かぶので不思議ですが・・・
そうそう、岐阜県中津川市にもおすすめのお城がありますよ。
この記事でご紹介しているのは大分県の中津市です。間違えないでくださいね。
今度は本丸南側へまわってみました。
本丸南側の石垣
戦後、石垣の上部は撤去され、残りは地中に埋められていたそうですが、15年ほど前に発掘調査により地中から掘り出され復元されました。
大坂城の秀吉時代の石垣やら、駿府城の天守台もこの10年程で掘り起こされていますね。今、”石垣発掘ブーム”が来てるんでしょうかね?
本丸東側には、大きく整えられた石垣も見られました。
本丸北東から南方向
コカコーラの車の先にある石垣のところが駐車スペースになっています。
そして、この城跡がある中津城公園内にはいくつかの神社があります。
天守横に建つのがこちら。
三河武士 奥平家の祖先を祀る「奥平神社」
祀られているのは、奥平家中興の祖である貞能、信昌、家昌。
いずれも奥三河で徳川家康の家臣として長篠設楽原の戦いなどで武功を挙げた武将たちです。
そして忘れてならないのが、奥平家繁栄の陰で犠牲になった仙千代です。武田家に人質に出されましたが、その後奥平家が徳川家についたことで処刑されてしまったのです。
福沢諭吉も弔いをしています。
お墓は愛知県新城市の鳳来寺参道入口にあります。
なお、奥平神社の御朱印は、天守内でいただくことができます。
中津大神宮
天照大御神、豊受大御神、倭姫命などの伊勢神宮の祭神を祀る神社。「豊前のお伊勢様」として親しまれています。
この他にも中津神社、城井神社があり、公園内には4つの神社があります。
まとめ
中津城は、西日本の人たちにとっては、黒田官兵衛の城として訪れる人が多いとは思いますが、東日本(徳川サイド)の私にとっては、奥平家の子孫が守ってくれたお城という感動が大きかったです。(←かなりレアなケースですね)
貴重なお宝があるのも徳川家康の信頼を得た譜代であったからこそです。
現存する石垣など築城については、黒田家と細川家に感謝いたしますm(__)m
中津川の堤防や河口付近の埋め立てにより(今治城と比較すると)水城という名残はあまり感じられないのが残念なところでした。
中津市といえば、ここで唐揚げを食べて行こうと張り切っていたのですが、お城の周辺には飲食店はほとんど見かけませんでした。
マップを見ても駅周辺にお店が集中しているようで、そこまで時間がなかったのが唯一の心残りです。いつか”唐揚げリベンジ”に再訪したいと思います。
中津市のマンホールの蓋はお城のデザインでした~