2021年2月に訪れた岡崎城。
前回の記事では王道コースをご紹介しました。
- 石垣発掘と整備が続く岡崎城
- 菅生(すごう)曲輪からスタート
- 龍城堀周辺の石垣
- 本丸南側の石垣
- 本丸天守台の石垣
- 本丸西側の石垣
- 持仏堂曲輪の石垣
- 本丸東側の石垣
- 石垣巡りパンフレットはどこでもらえる?
- 岡崎城(岡崎公園)の駐車場
- まとめ「いざ!岡崎へ」
石垣発掘と整備が続く岡崎城
実は今回はこのルートではなく、いつもとは違うルートで石垣巡りをしました。
狙っていったわけではありませんが、駐車場からのルート沿いだったことと、天守閣内で石垣巡りのパンフレットを見つけたのが理由です。
岡崎城は徳川家康の在城した16世紀後半から、江戸時代を通して廃城までの間、譜代の家臣による改修などを繰り返し、時代の異なる石垣が楽しめるのです。
木々の葉が落ちている冬の間は石垣がよく見える上、訪れる人も少ないのでじっくり巡るには最適でした。
ちょっとマニアックなコースではありますが、二度目以降の訪問ならおすすめしたいコースです。(記事内に石垣めぐりマップの番号を表記しました)
利用した駐車場がすぐ横だったというだけのことですが・・・
菅生(すごう)曲輪からスタート
本丸の西にある曲輪。
かつて武家屋敷があったエリアで、堀石垣などが見つかっています。(22)
10年ほど前に復元された東隅櫓とそれに続く塀は、東曲輪との境界で、ここからも石垣が発掘されています(いずれも今は埋め戻されて見られません)(21)
写真右端には東曲輪に通じる南切通し(通路)と石垣があります。(20)
思いっきり余談ですが、「菅生」という漢字、正しく読めませんでしたが、今では菅田将暉さんの本名として有名になったおかげで読める人多くなりましたよね!?
二の丸南東石垣
自然石を利用した石垣で、間詰(まづめ)石には川原石が利用されるなど古い石垣です。(19)
伐採された後に残る木の根っこがなんとも不思議な雰囲気を醸し出していますが・・・
龍城堀沿いの散策コース入口の看板です。地図内 左上の部分を歩きます。
龍城堀周辺の石垣
隠居曲輪
お食事処が建つ場所にある石垣。(15)
カーブを描くような隠居曲輪を支える石垣は、幕末までの間に何度も崩れ、修復した跡が残ります。(現状もちょっと危うい感じがします)
龍城堀沿いの石垣
木々の葉が少ない上に、堀の水位もかなり低く、石垣見物には最高の季節です。(16)
多分、この1か月後には桜満開となり誰も石垣なんか見ちゃいませんけど(笑)
南側には乙川(菅生川)が流れています。
絶賛工事中で、堤防沿いに全長400メートルに及ぶ石垣も発掘されたそうです(17)
川端の石垣はまたの機会に。
本丸につながる赤い橋が見えてました。
神橋
神橋の上から見た龍城堀のようす。もう少しで堀が干上がりそうです。
本丸南側の石垣
風呂谷曲輪と石垣
橋を渡り切ると正面に立ちはだかる石垣がド迫力。
風呂谷曲輪は本丸南側にある細長い曲輪で、防御性にすぐれた構造になっています。
本丸脇多門櫓台石垣
石垣は自然石をそのまま積んだ野面積み。(6)
家康時代か、その後の秀吉家臣の時代の改修かわかりませんが、個人的にはこの無骨な石垣がいちばん好きです。そして岡崎城と浜松城の石垣の様子が似ていると感じます。
風呂谷門付近
風呂谷曲輪の階段を登りきると本丸へ入ります
本丸天守台の石垣
城内でも最も古いと伝わる天守台も野面積み。(9)
東面と北面に巨石である鏡石も配されていて、北面は清海堀側から見られます。
天守閣を出て、えな塚のある板谷曲輪へ下ります。
本丸西側の石垣
本丸埋門石垣
本丸に4か所ある虎口のうちのひとつで、西側にあり板谷曲輪に通じています。天守以上!?の大きな石が利用されています。(8)(11)
通年、このルートを歩く人は地元民かお城マニアくらい・・・です(笑)
持仏堂曲輪と本丸の腰巻石垣
ここ注目!
古地図同様、右の本丸の石垣は曲線状、左の持仏堂(じぶつどう)曲輪は直角になっています。石垣の造られた年代の違いをはっきり感じられるスポットです。(12)
さらにここからは2つの曲輪をつなぐ石橋もきれいに見えます。
橋自体は明治以降に造られたものですが、曲輪をつなぐ廊下橋というしくみ(本丸から脱出できるように懸けられた木橋があった)はそれ以前から存在し、国内唯一現存するのがこちらです。
なお2015年8月に撮影した写真と比較してみました。
季節と整備状況でこんなに石垣の見え方が変わります。
南方面を見たようす


私はオフシーズンや平日にお城巡りをする機会が多いので、整備や工事現場によく遭遇します。木々の整備や発掘調査をされる方々のご尽力に感謝です。
まあ、好んで工事現場に行っているという節もありますが(爆)
板谷曲輪からぐるりと二の丸広場をまわって本丸の北側 持仏堂曲輪へ。
持仏堂曲輪の石垣
太鼓門跡の石垣
二の丸から持仏堂曲輪への入口の門で、かつては櫓が建っていました。ここには時を知らせる太鼓があったことからこう呼ばれています。
持仏堂曲輪は、本丸北側にあり、二の丸から大手虎口につながる曲輪ですが、ここも防御性を考えられたつくりになっています。
今は家康&竹千代ベンチが設置されています。
持仏堂曲輪という名前は、家康が所持した阿弥陀仏を安置したお堂があったことに由来します。家康関連の名称や遺構が少ない中、貴重な名称です♡
なお、ここから見えるはずの天守台北側の石垣(鏡石)撮影できていません(1)
清海堀石垣
本丸と持仏堂曲輪の間にある空堀を支える石垣(3)
石垣は田中吉政時代のものとは伝わりますが、この土塁を含めた縄張りは家康時代のものともいわれます。家康の手がかかった貴重な遺構と思うとテンション上がります。
上記の写真から反対方向の眺めです。左が本丸裏手
こちらもビフォーアフターな写真がありましたので比較してみました。
(2015.8撮影)
土塁や石垣を覆っていた木や下草をバッサバッサとやったようです。
以前はあまり印象に残っていなかった清海堀ですが、このように整備されるとじっくり石垣周辺を見たくなりますね。
持仏堂曲輪の雁木(がんぎ)
石垣めぐりマップがなければ素通りしてしまう案内板もない石。(2)
雁木とは石階段のことで、一部に墓石が転用されています。(墓石がどれかよくわかりませんでした)
ここから本丸方向へ向かう途中、巽閣という建物の手前を左手に坂を下ります。
本丸東側の石垣
辰巳櫓下石垣
坂を下りながら石垣を振り返ると高さを実感。(14)
ここは江戸時代以降に発達した石加工技術が駆使されており、城内でも完成度の高いつくりになっています。
が、ここに急いだばかりにもうひとつ大事なところを撮り忘れました。
実は写真右奥、下り坂に入ってすぐのところがマップで案内されている(4番) 高さ11メートルの本丸直下の石垣になります。
本丸大手東袖石垣
Googleさんのストリートビューにヘルプをお願いしました。(4)
これについては、近いうちにリベンジ訪問して写真を差し替えたいと思います。
この後は、隠居曲輪をぐるりとまわって龍城堀入口でゴールです。
ご紹介したルートは石垣巡りパンフレット内「本丸ルート」+「龍城堀ルート」をあわせたものになり、所要は40分ほど。これに天守閣の見学を入れるとおよそ1時間。
さらに三河武士のやかたを見学するとプラス30分くらいといえます。(休憩時間は考慮していません)
冬(といっても温暖な地域)なので快適に歩けましたが、季節や天候によってペースを考慮していただきたいと思います。
石垣巡りパンフレットはどこでもらえる?
今回参考にした石垣巡りパンフレットは、発掘調査に基づく情報も盛り込まれたもので、大変よくできています。
私は天守閣1階のチケット売り場付近でいただきました。
2021年2月の情報なので、このパンフレットが今も置いてあるかわかりませんが、岡崎市教育委員会が平成30年8月に発行しているものでした。
下記のリンクからダウンロードも可能となっていますので、訪問前に予習にぜひ。
岡崎城(岡崎公園)の駐車場
隣接した岡崎公園の駐車場は30分100円の有料駐車場となっています。(写真は菅生曲輪東にある乗用車専用の駐車場です)
長時間滞在となりそうな場合は、周辺にある民間の上限付き(500~1000円くらいが相場)の駐車場などもありますが、城内もたっぷり歩くことを考えると隣接の有料駐車場がラクです。
まとめ「いざ!岡崎へ」
家康出生の城ということで長年手厚く整備されてきた岡崎城。
残念ながら現存天守ではありませんが、石垣や土塁から家康の足跡を少しでも感じ、開運スポットとして訪ねるも良し、史跡として訪ねるも良しの100名城です。
近年は家康公没後400年などのタイミングもあり岡崎、浜松、駿府・・・と家康関連のお城が競うように!?発掘調査していましたが、その流れを加速させたのが2023年の大河ドラマ「どうする家康」の放映決定です。
戦国時代の覇者が主役な上に、嵐の松本潤さん主演ということですでに熱~く注目が集まっています。ドラマの予習にも必見!
近隣には、家康も好んだという八丁味噌(岡崎城から八丁(約870メートル)の距離にある)の工場見学もできる施設があって楽しめます。