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【どうする家康】松平信康最期の地「二俣城跡」と墓所「清龍寺」

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すっかり秋めいて・・・というより一紅葉らしい紅葉見ないまま冬になりそうだっ。

大河ドラマもとっくにクライマックスですが、まだ書きかけていた記事がありました。

徳川家康の浜松時代に暗い影を落とした出来事のひとつ、嫡男 松平信康が自刃したことで知られる二俣城と墓所 清龍寺をご紹介します。いずれも浜松市の北部 天竜区にある史跡です。

信康・築山殿事件とは

徳川家康の正室である築山殿と嫡男である松平信康が、(武田への内通など)謀反の疑いから死に追いやられた事件。

1579(天正7)年8月末、徳川家康の正妻築山殿は、岡崎から浜松へ向かう途中の佐鳴湖畔で徳川家家臣によって殺害されました。(ドラマでは自害でしたが)

これに続いて9月15日には、信康も切腹を命じられ二俣城にて自害しました。

その理由には諸説あり、信康の正室 五徳(織田信長の娘)が、信康の素行の悪さを信長に伝えた説、また五徳と築山殿の仲が悪かった説などがあります。

また織田信長の命という説が有名ですが、築山と不仲であった徳川家康が命じたという説もあります。

 

正室の築山殿が命を落とした地としての佐鳴湖畔についての記事はこちら。

www.momoyorozu.net

 

信康は、岡崎から遠江の堀江城(舘山寺近く)に移り、その後最期の地となった二俣城へ。

ドラマでは家臣が逃がそうとしたが断るという描かれ方でしたが、実際はどうだったのでしょうか。

二俣城跡

二俣城(ふたまたじょう)の歴史

築城年は不明ですが、16世紀初頭の築城と伝えられています。

天竜川と二俣川の合流点という天然の要害に築かれた山城で、当初は今川氏の城でしたが、後にこの地を巡り武田と徳川が幾たびも争っています。

武田にとっては遠州を抑える北の拠点として重要なポイントでもありました。

 

現在、二俣城跡の一帯は城山公園として整備されています。

二俣城跡の遺構

北曲輪

日清・日露戦争などの戦没者が祀られた神社です。

 

本丸

奥に見えるのが天守台跡

天守や石垣は、家康が関東移封後(信康切腹後)、浜松城主となった豊臣家臣 堀尾吉晴により造られたものともいわれています。

天守台に上る階段が整備されています。

石垣は浜松城とよく似た野面積み。

二俣城石垣

浜松城石垣

なお、浜松城に残る石垣も家康時代のものではなく堀尾時代のもの。

あまり目立たない武将ですが、実は浜松から出雲国に移封後、松江城を築城しました。

現存12天守のうちのひとつで国宝にも指定されている松江城です。

戦ではパッとしないかもしれませんが、もう少し注目してあげても良い武将かと。

 

天守台上から見た本丸

ちょっと見にくいのですが、土塁のようすも見えます。

 

虎口

 

位置関係が自分でもわからなくなっちゃいましたが・・・そのうち再訪して整理します。

二ノ丸

 

蔵屋敷・南曲輪付近

行ってみましたが、夏で草ぼーぼー過ぎてヘビや蜂でも出てきたら困るのでここまで。

本丸付近はきれいに整備されていますが、ちょっとここまで手が回らない様子。

 

ということで、ここまでが二俣城でした。

「一城別郭」鳥羽山城へ続く道

もうひとつ、この二俣城から南に500メートルのところにある鳥羽山城があります。

家康の時代に武田に奪われた二俣城を奪還するために作られた砦のひとつです。

この城は、堀尾吉晴の時代に枯山水庭園や大手道などが整備され迎賓館的な機能を持ちました。一方、二俣城は強固な石垣や土塁、天守台が整備され要塞化されます。

それぞれの機能を補完し合う「別城一郭」という城郭の形です。

二俣城から鳥羽山城へのルートがありますが、この日はやめておきました。

そのうち行く機会があれば更新したいと思います(;^_^A

二俣城へのアクセス

浜松の中心部から北へ約20km。国道152号線をほぼまっすぐ、車で約1時間。

駐車場は下の写真看板の前に10台ほどあります。

こちらの道ですが、登り口がわかりにくく、すれ違いもギリギリなので、心配な方はこの後紹介する清龍寺の駐車場から徒歩で行くことをおすすめします。

 

鉄道を利用する場合は

(浜松からは)遠州鉄道で浜松から終点西鹿島で下車。天竜浜名湖鉄道に乗り換えて1駅の「二俣本町」が最寄りとなります。

(掛川からは)天竜浜名湖鉄道で「二俣本町」下車。

 

松平信康の墓所がある清龍寺

清龍寺へのアクセス

二俣城から1km弱。歩いて15分くらい。車なら2~3分のところにあります。

隣は旧二俣町役場の建物です。

現在はこの地出身のホンダ創業者 本田宗一郎氏に関連した資料館「本田宗一郎ものづくり伝承館」(入館無料)となっています。

ここの駐車場を利用して清龍寺に向かいます。

こちらが満車の場合は、二俣小学校横の観光客用の駐車場へ。

www.momoyorozu.net

 

清龍寺について

浄土宗のお寺で、正式には信康山 長安院 清龍寺といいます。

1579年に二俣城で自刃した信康(享年21歳)はここ清龍寺に葬られました。

それから2年後にこの地を訪ねた家康は、滝から流れ落ちるようすを見て「清龍寺」と名付けたと伝えられています。

その滝が写真左手。今は、ちょっと残念な感じの水の流れしかありませんが・・・

正面にある建物は、塩地蔵尊。右側は諏訪神社です。

 

上記の写真向かって左手の坂を上ると清龍寺です。

井戸櫓(復元)

この井戸は二俣城跡に関連して再現されたものです。

断崖絶壁に立地している二俣城は、川に櫓を立て水を引いていましたが、これに目を付けた武田軍が上流から筏(いかだ)を流して櫓を壊滅。これにより落城しました。

 

山門

本堂

立派な三つ葉葵がついたガラス格子です。

何度か足を運んでいますがいつも本堂の扉は閉まっています。

しかし、境内には墓地があり檀家さんもいらっしゃるようで、法要などが行われていた様子には遭遇したことがあります。御朱印の対応は不明です。

 

本堂向かって左手に階段から信康廟へ向かいます。

信康廟

50段くらい上った右手にあります。(階段の両脇は一般の檀家さんのお墓です)

扉は閉まっていますが、その隙間から奥をのぞくことは可能です。

赤い扉は閉ざされたままです。

そして、未確認ですがこの境内には、二俣城主をつとめた大久保忠世(のちの小田原城主)や三方原の戦いで戦死した徳川家臣のお墓もあるそうです。

ゆるキャラ「信康さん」

ゆるキャラ 信康さん

「キモカッコイイ」がコンセプトの信康さん。

写真は浜松城公園で撮影したものですが、非公式キャラのため地元以外ではなかなかお会いできないレアキャラです。

 

清龍寺では見るべきところは少なく、二俣城と本田宗一郎ものづくり伝承館をあわせて訪ねることをおすすめします。

余談ですが境内にある梵鐘もぜひ。

説明書きによると、この近くあった二俣尋常高等小学校に通っていたホンダ創業者である本田宗一郎氏が、早弁するために30分早くこの鐘を鳴らしたという逸話が残っています。

 

こちらもあわせて訪ねたい「天竜二俣駅」

史跡の最寄りは二俣本町駅ですが、もう一駅先の天竜二俣駅もおすすめ。

駅舎や転車台、乗務員用の施設など重要文化財の宝庫で、風情あふれる駅です。

週末には転車台の実演も行われており、子供さんだけでなく大人もしっかり楽しめる内容になっています。

そして、2023年は運が良ければ、どうする家康のラッピング列車に遭遇できるかも~

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