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【どうする家康】佐鳴湖周辺 築山殿最期の地へ

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すっかりアップするタイミングを逃してしまいましたが・・・

浜松での徳川家康最大の悲劇といわれる「信康事件」「築山殿事件」について。

大河ドラマ「どうする家康」では、涙なしでは見られない・・・という方もいれば、史実と違い過ぎるという意見も聞かれたりします。

この記事では「築山殿事件」の舞台となった佐鳴湖周辺の史跡をご紹介します。

 

※ドラマでは「瀬名」でしたが、この記事内では岡崎城居住以来の呼称である「築山殿」で統一しています。

佐鳴湖について

佐鳴湖は、浜松市中心部から西に5kmほどの位置にある湖です。

写真は西岸から撮影

浜名湖に比べたらずいぶん小さい湖ですが、周辺は浜松市内屈指の住宅街になっており、佐鳴湖公園は市民の憩いの場としても人気の公園です。

 

築山殿について

築山殿は家康の正室として一男一女(信康、亀姫)を設けました。

今川家家臣の娘ということもあり、織田家の娘である信康の嫁(五徳)との確執があったともいわれますが、諸説あり真相はわかりません。

浜松城に移り住むことになく、最期は岡崎から浜松への途上で40年の生涯を閉じました。

そもそも浜松城に住んでいなかったので、唯一「ゆかりの地」として伝えられているのがこのような終焉の地というのも市民としてはなんとも寂しいものです。

過去のドラマや小説などでは悪妻だったとか、惨殺されたという描かれ方が多いのですが、今回のキャストが有村架純さんと聞いた時に、これはひどいことにはならないだろうな・・・とは予想していました。

しかし、当初からそんなにラブラブでなくてもよかったかなというのが率直な感想。

演じる女優さんのおかげ!?でずいぶん話が美しくなっていきそうです。

 

築山殿の終焉の地 小藪(こやぶ)

この地域に伝わる話では、岡崎から浜松方面にやってきた築山殿は、佐鳴湖を船で渡り、北東岸にあるこの付近に降り立った後に徳川家家臣の手によって斬られたと伝えられています。

ドラマの設定では家康が船でやってきて再会して・・・と位置関係がちょっとおかしいゾと地元民のツッコミがけっこうありましたけど。

地名は現在もバス停の名として残っています。

 

小藪船着き場

昔からあった看板も外れていたので、とっくにボート乗り場はなくなっていると思っていました(;'∀')

奥に行ってみると、曜日限定で遊覧クルーズ!?が運航されているようです。

 

平日なので人の気配はしませんでしたが、船の向こうに見える桟橋は、松潤が立っていたところかな?

Google Mapによると、「築山御前上陸終焉の地」というポイントがあるのですが、ここからの立ち入りは遠慮することに。

反対側に道があるようですのでまた後日行ってみたいと思います。

私がここに行った日が、築山殿の命日(新暦8月29日)の前日だったというのは後で知りました。

 

なおこのあたりは車の往来が多く、道も狭いうえにカーブしています。

駐停車できませんのでご注意ください。(公園の駐車場などを利用しましょう)

 

佐鳴湖東岸は、春になるとこのような桜のトンネルが見られますよ。

 

大刀洗(たちあらい)の池

船着き場から1km弱のところにある浜松医療センターの敷地内。

築山殿がこの付近で斬られたという説では、その刀を洗った池がこの付近にあったと伝えられています。

駐車場があった場所に石碑と案内板がありましたが(過去形)

2023年8月現在、病院の新棟建設中。

(2023.7 ドライブレコーダーの映像)

石碑なども撤去されているようなので、この先どういう扱いになるのでしょう。

 

築山殿墓所 西来院(せいらいいん)

場所は広沢町。

浜松城から1kmほどなので徒歩圏内。(小藪の船着き場からは3kmほどあります)

閑静な住宅街にあり、道は細いので通行に注意が必要ですが駐車場はあります。

 

正式には高松山(こうしょうざん)西来院(せいらいいん)は曹洞宗の寺院です。

15世紀前半に、月窓義運禅師が開創。

築山殿を祀るお寺として知られています。

本堂

(2017.6撮影)

正面に見える一風変わったエキゾチックな建物が本堂になります。

 

徳川の三つ葉葵の御紋が輝いています。

私が訪問したのは2017年。拝観受付のようなものはなく、扉も開いていたので、中に入りお詣りさせていただきました。

ご本尊は 釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ=釈迦如来)です。

 

築山御前 月窟廟

本堂向かって左手に墓地への入口があり、進んでいきます。

「月窟廟」と彫られた石碑の奥に小さな廟があります。

17世紀後半に廟堂が造られたものの、1945年に戦災により焼失。

その後1977年に再建されています。中には石の墓標がありました。

 

また、徳川家康の異父弟である松平源三郎康俊のお墓もこの寺院にあります。

松平康俊は、母 於大と再婚相手の久松俊勝との間に生まれ、甲斐国に人質に出された後救出されました。

 

観光向けの対応はされておりませんので、ご注意ください。

 

浜松家康の散歩道

(2017.6に撮影した看板)

浜松市では、家康ゆかりの地を巡る「家康の散歩道」というマップが用意されています。

大河ドラマ「どうする家康」の番組最後”紀行潤礼”の中で紹介され、松潤さんも巡ったスポットなども多いので、ぜひ巡ってみてください。

hamamatsu-ieyasu.com

 

 

www.momoyorozu.net

 

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