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【どうする家康】佐鳴湖周辺 築山殿最期の地へ

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浜松での徳川家康最大の悲劇といわれる「信康事件」「築山殿事件」について。

大河ドラマ「どうする家康」で描かれましたが、涙なしでは見られない・・・という方もいれば、史実と違い過ぎるという意見も聞かれたりします。

この記事では「築山殿事件」の舞台となった佐鳴湖周辺の史跡をご紹介します。

(2023年8月末現在のようすです)

 

※大河ドラマでは、徳川家康の正室を「瀬名」と表現していましたが、この記事内では岡崎城居住以来の呼称である「築山殿」で統一します。

佐鳴湖について

佐鳴湖は、浜松市中心部から西に5kmほどの位置にある湖です。

写真は西岸から撮影

浜名湖に比べたらずいぶん小さい湖ですが、周辺は浜松市内屈指の住宅街になっており、佐鳴湖公園は市民の憩いの場としても人気です。

 

築山殿について

築山殿は家康の正室として一男一女(信康、亀姫)を設けました。

今川家家臣の娘という出自から、織田家の娘である信康の嫁(五徳)との確執があったともいわれますが、諸説あり真相はわかりません。

浜松城に移り住むことになく、最期は岡崎から浜松への途上で40年の生涯を閉じました。

そもそも浜松に住んでいなかったにもかかわらず、唯一「ゆかりの地」として伝えられているのが、このような終焉の地というのも市民としてはなんとも寂しいものです。

過去のドラマや小説などでは悪妻だったとか、惨殺されたという描かれ方が多いのですが、今回のキャストが有村架純さんと聞いた時に、これはひどいことにはならないだろうな・・・とは予想していました。

しかし、当初からそんなにラブラブでなくてもよかったかなというのが率直な感想。

演じる女優さんのおかげ!?でずいぶん話が美しく描かれてしまいました。

 

築山殿の終焉の地 小藪(こやぶ)

この地域に伝わる話では、岡崎から浜松方面にやってきた築山殿は、佐鳴湖を船で渡り、北東岸にあるこの付近に降り立ちました。

その後、徳川家臣の野中重政、岡本時仲によって斬られたと伝えられています。

地名「小藪」は現在もバス停の名として残っています。

ドラマの設定では船で渡ってきた位置関係がおかしいゾと地元民のツッコミがありましたね。

 

小藪船着き場

昔からあった看板も外れていたので、とっくにボート乗り場はなくなっていると思っていました(;'∀')

奥に行ってみると、曜日限定で遊覧クルーズ!?が運航されているようです。

 

船の向こうに見える桟橋は、松潤が立っていたところかな?

Google Mapによると、「築山御前上陸終焉の地」というポイントがあるのですが、ここからの立ち入りは遠慮することに。

反対側に道があるようですのでまた後日行ってみたいと思います。

私がここに行った日が、築山殿の命日(新暦8月29日)の前日だったというのは後で知りました。

 

なおこのあたりは車の往来が多く、道も狭いうえにカーブしています。

駐停車できませんのでご注意ください。(公園の駐車場などを利用しましょう)

 

この付近の佐鳴湖東岸は、春になるとこのような桜のトンネルが見られます。

 

太刀洗(たちあらい)の池

船着き場から1km弱のところにある(大規模病院)浜松医療センターの敷地内。

築山殿を斬った刀を洗った池がこの付近にあったと伝えられています。

かつて駐車場だったところに石碑と案内板がありました(過去形)

池はこの写真撮影時点では存在していませんでした。

 

その駐車場跡地に(2023年8月現在)病院の新棟建設中。

石碑などは撤去(退避)されているようでした。

 

【2026.9.4追記】

新病棟完成後、連絡橋の先に石碑とリニューアルされた案内板が移設されました。

 

築山殿墓所 西来院(せいらいいん)

場所は広沢町。

浜松城から1kmほどの場所にあるお寺です。(小藪の船着き場からは3kmほどあります)

閑静な住宅街にあり、道は狭いので通行に注意が必要です。

境内には駐車場があります。

 

正式には高松山(こうしょうざん)西来院(せいらいいん)は曹洞宗の寺院です。

15世紀前半に、月窓義運禅師が開創。

築山殿を祀るお寺として知られています。

本堂

(2017.6撮影)

正面に見える一風変わったエキゾチックな建物が本堂になります。

 

徳川の三つ葉葵の御紋が輝いています。

私が訪問したのは2017年のこと。

拝観受付のようなものはなく、扉も開いていたので、中に入りお詣りさせていただきました。

ご本尊は 釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ=釈迦如来)です。

 

築山御前 月窟廟

本堂向かって左手に墓地への入口があり、進んでいきます。

「月窟廟」と彫られた石碑の奥に小さな廟があります。

17世紀後半に廟堂が造られたものの、1945年に戦災により焼失。

その後1977年に再建されています。中には石の墓標がありました。

 

また、徳川家康の異父弟である松平源三郎康俊のお墓もこの寺院にあります。

松平康俊は、母 於大と再婚相手の久松俊勝との間に生まれ、甲斐国に人質に出された後救出されました。

 

こちらでは観光向けの対応はされておりませんので、ご注意ください。

 

浜松家康の散歩道

(2017.6に撮影した看板)

 

家康ゆかりの地を巡る「家康の散歩道」というルートが用意されています。

大河ドラマ「どうする家康」の番組最後”紀行潤礼”の中で紹介され、松潤さんも巡ったスポットなども多いので、ぜひ巡ってみてください。

hamamatsu-daisuki.net

 

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