大河ドラマ「どうする家康」での三方ヶ原合戦は2週にわたる壮大なストーリーでした。
私の記憶しているドラマでは、ほとんどナレーションでスルーされるような戦でしたが、感動のストーリーもこめられていましたね。
感動冷めやらぬうちに三方ヶ原の戦いに関する史跡のご紹介です。
※地元では「三方ヶ原」でなく「三方原(みかたばら)」と言うことのほうが多いので、記事内で表記の違いがあるかもしれませんがご了承ください。
三方ヶ原の戦いについて
元亀3年12月(西暦1573年2月)に起こった武田信玄と徳川家康による戦い。
上洛を目指す武田軍25000人に対して、浜松城に籠城して待ち構えていた徳川軍(11000人)でしたが、攻め込まずに浜松を通り過ぎようとする武田軍に対して、「この領地を通り過ぎるのを見過ごすわけにはいかない」と討って出ました。
しかしこれは武田信玄による罠であり、三方原台地の上に構える武田軍に大敗北を喫します。
「どうする家康」の中でも描かれたように、忠臣たちが命をかけて家康を守ったおかげもあり、命からがら浜松城に逃げ帰った家康。
生涯唯一の負け戦は、家康のこの後の生き方、戦い方にも大きな影響を与えるものとなりました。
戦場となった場所はどこ?
「三方原」という名称は町名や地区・学校名、東名高速道路のパーキングエリアとして存在しますが、戦に関しては明らかになっていないことも多く、三方原台地全体に広がるものとされています。
※図は三方原墓苑駐車場の案内板を引用
武田軍は、かつては信濃から南下してきたというのが通説でしたが、今では東(駿河方面)から来たという説になっているそうです。
史跡はどこにある?
この後に家康が関わっていく長篠設楽原(1575年)や関ヶ原(1600年)の古戦場跡には、それぞれ陣跡などが示されていますが、三方原に関しては、広大な史跡公園などがあるわけではなく、ピンポイントに石碑や案内板が残されているのと、小規模な資料館があるだけというのが現状です。
それらについてご紹介していきます。
戦のはじまり「三方原古戦場」の石碑
浜松市北区根洗町 国道257号線沿い 三方原墓苑の駐車場に古戦場跡の石碑があります。
石碑と案内板以外にはこれといったものはありません。
案内板によればこのあたりで合戦が始まったとされます。
ここより少し北の坂を下った細江町(祝田 ほうだ)辺りに武田軍が構えていたとされます。
この石碑がある場所は浜松城から10kmほどの場所です。
浜松城よりも井伊直政の地元である井伊谷のほうが近いくらいなので、井伊直政・直虎ゆかりの地を巡る途中の立ち寄りがおすすめです。
浜松城や浜松大河ドラマ館に来たついでに・・・というには遠すぎます。
もう少し手軽に「三方原の戦い」について思いを馳せることができる場所がこちら
武田軍を迎え撃ちした「犀ヶ崖古戦場」
浜松城から1kmほどの場所にあるのが「犀ヶ崖(さいががけ)古戦場」です。
市内屈指の文教エリアの一角にある小さな公園です。
敗北し浜松城に命からがら逃げ帰った家康たちですが、その夜、野営する武田軍を急襲した場所となります。
こちらの公園内には史跡に指定されている崖があり、石碑なども多く残されています。
古戦場のすぐ東側と北側は深い崖になっています。
県史跡 犀ヶ崖
崖の深さを上から撮ってみようと展望デッキにのぼってみたのですが、木が生い茂っていて迫力ある崖が撮れませんでした(>_<)
当時は深さ約40メートル、長さ約2kmほどあったそうですが、今は規模は縮小しているものの深い崖が展望デッキからちらりと見えます。
混乱した武田軍は崖にかかっていた橋(実際には白い布をかけて橋にみせかけていた)から落ちて多大な被害を出したといわれています。
この付近に残る「布橋」という地名は、これが由来となっています。
また戦に関連して「小豆餅(あずきもち)」や「銭取」といった名も残っています。
「三方原古戦場犀ヶ崖」の石碑
北側道路沿いにある石碑です。
犀ヶ崖資料館
三方原の戦いについて学べる入館無料の資料館です。(月曜日休館)
近年リニューアルされて建物もきれいになりました。
地元のジオラマ作家さんによる三方原の戦いを表した模型です。
三方原の戦いを解説した映像や印刷物も用意されています。
ボランティアガイドさんも常駐していて質問にも答えてくださいます。
浜松城天守閣もリニューアルして三方原の戦いの展示コーナーが充実したので、そちらとあわせてぜひ。
本多忠真顕彰碑
公園内南東にあります。
本多忠勝の叔父 忠真(ただざね)は、三方ヶ原の戦いでは敗走する際に殿(しんがり)を務め討死しました。
「どうする家康」では波岡一喜さんが好演されていました。
そして、もうひとり三方ヶ原の戦いで殿を救った英雄の碑があります。
夏目吉信顕彰碑
犀ヶ崖公園を出てちょっと北 「さいががけ」バス停横にあります。
※交通量の多い道路なので横断や撮影にはご注意ください
三河一向一揆では一向宗側につきながらも家康の寛大な処分で再び仕えた家臣です。
その忠義を忘れず、敗北した家康の退路で身代わりとなって討死した武将として、地元では語り継がれています。
石碑には「夏目次郎左衛門吉信」とされています。
「どうする家康」ではなかなか名前を覚えてもらえない家臣 夏目広次 という設定で、甲本雅裕さんが演じられていました。
この石碑を知っていた地元民としては「名前が違う!」と悶々としていました。
呼び名が違う(変わる)というのは歴史ではよくあることですが、まさかこの伏線がしっかり回収されるとは・・・ 感動の展開に涙した方も多かったと思います。
最期に殿にかけた言葉、「殿は、きっと大丈夫」に久々に大河ドラマで涙腺崩壊しました。
こういうのが見たかったのですよ!お子ちゃまシーンはいらないので今後もこの路線でお願いします。
2週にわたる壮大な「三方原合戦」の前哨戦として浜松市内で開催された騎馬武者行列
※「騎馬武者行列」に当選した身内がゴール地点付近で撮影してきた画
下に甲本さんが映っています。ずっと殿のお側に寄り添う家臣。また泣けました。
ミーハーついでにもうひとつ
松潤家康と有村瀬名が記念碑設立のために鍬入れ
つい先日、4月末に松潤家康と有村瀬名さんが”夫婦”でお越しになり、この犀ヶ崖公園で記念碑の鍬入れをされたという報道がありました。
大河ドラマオタクとしてはこれは見逃せない!ということで様子を見てまいりましたが・・・
あれれ?それらしい形跡はありませんでした(>_<)
記念碑の完成は今年の7月頃になるそうなので再訪してみたいと思います。
【2023.8追記】
7月に記念碑お披露目が行われました。
設置されているのは犀ヶ崖公園入口。資料館前です。(予想していた場所と全然違いました)
正面には「平和への祈りを込めて」
裏面には大河ドラマ「どうする家康」の出演者が記載されています。
犀ヶ崖公園には10台ほどの駐車スペースが用意されています。
が、今までは余裕で駐車できたのに、大河ドラマ効果で休日は駐車待ちでした。
浜松城、浜松大河ドラマ館からも徒歩圏内なので、お時間に余裕のある方はぜひ散策してみてください。途中には風情ある鉄道トンネル跡もありますよ。
圧倒的な強さの武田軍。
阿部信玄怖いっっっ。最強すぎる。でも運も強さのうち。
来週はどうなる?
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