山梨県の恵林寺、甲斐善光寺に続き、2022年のGWに長野県内にある武田信玄終焉の地といわれている地を訪ねました。
徳川家康がもっとも恐れていたといわれる武田信玄ですが、戦国最強といわれながらも病には勝てずにこの世を去りました。
終焉の地と伝わる史跡を2回にわけてご紹介します。

武田信玄像(甲府駅前)
武田信玄の最期
武田信玄は、1573年4月12日に53歳で亡くなりました。
遠江の三方原(三方ヶ原)で大暴れしてからわずか4ヶ月のことでした。
浜松城を攻めずに西進した武田軍は、年明けには三河の野田城を攻略したものの、長篠城で療養後に甲斐国へ戻る道中に亡くなったと伝わります。
遺言では、自らの死を「3年間秘せよ」とし、それは守られたものの、結局のところ早々に家康たちに滅ぼされたというのが史実。
信玄が亡くなっていなければ、徳川家康も織田信長もどうなっていたことやら・・・そして、どんな世になっていたのでしょうね。
諸説ある信玄「終焉の地」
武田信玄の死因と亡くなった場所には諸説あります。
死因としては肺結核、胃がん、肝臓系の病という説があります。
亡くなった場所、いわゆる終焉の地は主に下記の場所があげられます。
・信州駒場(御宿監物書状)
・根羽(甲陽軍鑑)
・浪合(徳川実記)
これらの場所は現在の長野県の南部 下伊那郡(30kmほどの範囲)に位置します。
武田軍は療養していた長篠城から三州街道(江戸時代には中馬で荷を運ぶ道として栄える)を通って自国へ戻っていました。
現在このルートは国道153号として名古屋市から長野県飯田市を経由し、塩尻市を結んでいます。
今回は上記3つのうち、長野県根羽(ねば)村にある信玄塚の訪問記です。
史跡 信玄塚に行ってみた!

ここは、信州方面のスキーや妻籠方面へのアクセスに何度通ったことか・・・
あっという間に通り過ぎるので壁画の内容まで知りませんでしたが、「信玄塚」の看板は記憶に残っています。

愛知県方面から北上していくと目印になる「信玄橋」(写真は反対車線から撮影)
かつては歴史オンチだった私は、関心のないまま時が過ぎ・・・
それがまさか信玄本人の塚だった(と伝わっている)なんてビックリです。
車を停めたらすぐ階段です。(駐車場については記事の後半にて)


上の写真にある建物は地元の集会所のようでした(囲炉裏や台所がありました)
史跡案内板

目的のものは「八幡神社」と記された鳥居をくぐった先にあります。

この鳥居、大人は首を下げないと通れないミニサイズです。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)

塔は花崗岩でできていて、その高さは1.8メートル超。
武田信玄没後100年の頃(1661~1673年の寛文年間)武田家ゆかりの人たちが建立したと伝わります。
宝塔の後ろには武田信玄の肖像画。またすぐ横にはパワーありそうな大木が伸びていました。


解説によれば梵字(ぼんじ)が彫られているそうですが認識できませんでした。
宝塔がしっかりした木の建物で覆われていること、隣には小さな祠(ほこら)もあることから地元の方に大切に守られている地であることがうかがえます。
【2026.5追記】

宝篋印塔の前には、訪問帳が置いてありました。
また私が訪問した時は空っぽでしたが、ダンボールの中にお賽銭を入れるといただける「何か」があったようです。

5分くらいの滞在で鳥居を出ようとしたところで地元の方とすれ違いました。
「こんにちは」に対して「ようこそ」と声をかけてくださった初老男性。
多分地元の方。これはラッキー!というわけで質問交え、お話させていただきました。
国道が拡張整備された(昭和60年頃)の発掘調査のようすや、実際にどのあたりに埋葬されていたかなど地元の方から直接聞くと、やはりじわりとその信ぴょう性が増すような気がします。
信玄塚がかつてあった場所
広い意味では、宝篋印塔などがある史跡として「信玄塚」となっています。
一方で実際に信玄が埋葬されていたとされる本来の信玄塚は、国道153号線の工事によって、埋没してしまったとのことです。
案内板や地元の方の話をまとめると、ちょうどこの写真を撮っている足元くらいかな?
※騎馬隊の壁画東方国道敷に埋没とのこと

発掘調査で遺骸らしいものは見つからなかったそうですが、何かを埋葬した形跡は少し見つかったているそうです。
また、この付近には武田家関連の供養塔もいくつかありましたが、国道を下った集落に移設して祀られているとのこと。(案内もないので結局行けずじまい)


国道から谷側へ下る道と集落のようす
地名に残る信玄ゆかりの地
信玄塚のある地区は「横旗(よこはた)」という地名(字名)。
武田信玄が亡くなった時に「風林火山」の旗を横に寝かせたことに由来すると伝わっています。
工事中の古い橋の銘板にうっすらと「横旗橋」という文字を見つけました。

また、この下を流れる川は、堂之入(どうのいり)川。
この「堂」は「胴」を表している(当て字)ともいわれています。
【2026.5追記】
橋がリニューアルしていました。

信玄塚の駐車場
愛知県方面から向かった場合、この看板が見えたら左折することをおすすめします。

神社の前に少し停車するスペースがあります。
こちらに停められない時は、国道の向かいにある駐車場を利用しましょう。

国道153号は交通量は多くありませんが、道幅が広く、けっこうなスピードで走る車が多いので急停車には注意しましょう。
国道を横切る際にも(横断歩道あり)お気を付けください。
なお、Google Mapで検索すると愛知県新城市の「信玄塚」もヒットします。
そちらは(信玄没後の)長篠設楽原の戦いでの戦死者を供養するために造られた塚だそうです。
もうひとつ終焉の地として有力なのがこの先の駒場(阿智村)にあります。
そちらには火葬したと伝わるお寺や灰塚といったものが残っています。
あくまでも推測ですが、ここ根羽付近で信玄が亡くなり、この先の長距離(駒場まで30kmほど)を運んでいかれないので、この地で何かしらの処置があったのではないのでしょうか?
地名や史跡、地元の人たちのなどのお話をもとに想像を膨らませてみてはいかがでしょうか。
信玄塚にはトイレや自動販売機はありませんので、車で5分ほどのこちらへどうぞ。
根羽村立ち寄りスポット「ネバーランド」
道の駅ではなく、森の駅です。

ネバーランドってアメリカの某アーティストの豪邸のような名前ですね。
地元物産販売施設にレストラン、宿泊施設などを併設しています。

建物の奥へ進むと、お弁当などを広げてピクニックできそうな芝生広場もあります。ちょうど花桃が見ごろを迎えていました。

おすすめテイクアウトグルメ
「カフェ リーナのたいやき」と「鹿まん」


伊勢志摩発祥の人気のたいやきのお店です。外はパリッパリ、中はもちもちの皮に、カスタードクリーム入りをいただきました。
ご当地まんの「鹿まん」は地場産品販売の建物の中で販売されています。
鹿肉のクセも感じず、大きくて食べ応えのあるビッグサイズ。
どちらもおいしくいただきました~
◆7年に一度の御開帳 元善光寺の記事(2022年6月29日に終了)