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【滋賀の旅7】井伊家の象徴はやっぱり直弼?

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滋賀の旅 つづつきです。

彦根城周辺をぐるりと一周して思ったこと・・・

彦根藩で井伊家といえば、やっぱり直弼(なおすけ)なんだなぁ・・・と。いたるところに直弼に関する史跡が点在していましたのでまとめてみました。

彦根城周辺にある直弼ゆかりのスポット5選プラス1

井伊直弼 銅像

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台座だけでも3メートル以上はありそうな立派な像です。

 

大河ドラマ「花の生涯」の碑 

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1963(昭和38)年に放送された大河ドラマ第1作目だそうです(生まれてないよ、私) 

主演は尾上松緑という方だったそうです。

 

歌碑 

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生誕の地の石碑

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埋木舎(うもれぎのや)

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直弼が17歳から16年間過ごした屋敷。14男であり、母親を早くに亡くした直弼は、跡継ぎになることはないと失意にくれながらも学問や芸事にいそしんだ結果、13代の藩主となります。 

その後の活躍は有名で、幕府の大老にまで登りつめました。

しかしその名を歴史に残すことになったのは、江戸城の桜田門近くでその権力に反対する勢力によって暗殺された「桜田門外の変」です。

その”犯人”は水戸の藩士でした。

彦根藩の”出世頭”でもある直弼が暗殺されたわけですから、水戸藩に対する敵意は相当なものだったと思います。

そんな歴史上の怨恨から和解の道へ!? こんなものがありました。

 

水戸市から贈られた梅の木

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重要文化財の馬屋の庭にあります。

さらに桜田門外の変から100年を機に水戸とは親善都市にもなっているそうです。城内には梅林などもあるそうで、すっかり水戸とは仲良しのようです。

 

いや~、こうしてみると、直弼、直弼、み~んな直弼(笑)

江戸時代末期までに17代ほど(数え方は諸説あり)の当主がいたにもかかわらず、直弼以外のそれらしいスポットはないですね。

彦根城を築城した直継や直孝、玄宮園などを整備した「土木の祖」でもある4代藩主・直興とか・・・もうちょっと評価してあげてもいいんですけど。 

 

井伊直政を評価してほしい(静岡県民の気持ち)

ここで直弼よりさかのぼって井伊家を振り返ってみましょう。

何より彦根藩初代 直政がいなかったら彦根井伊家はなかったのです。

徳川家康の重臣「徳川四天王」のひとりとして活躍するまでに育った直政の紆余曲折の歴史は、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」で描かれました。

一歩間違えば、井伊谷(現在の静岡県西部)の地で、井伊家の家督は途絶えていたわけですよ。

ということで、静岡県民として声を大にして言いたい!

 

彦根はもっと直政を評価してくださぁぁぁい!!!

 

でも、佐和山から彦根に移る前に直政は亡くなっちゃったから「彦根城には関係ない」といわれれば、何も言えなくなっちゃうんですけど(泣)

 

しかし、実は彦根駅前に馬に乗った凛々しい直政像があることをさっき知りました(-_-;)

井伊直政の銅像

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(借りものの画像です)

彦根駅を利用したことがない私が知らなかっただけです(-_-;)

直政あっての彦根だということがわかってちょっと安心しました。

次回はぜひ記念撮影をして来ようと思ったのでした。