愛知県豊田市の山間にある徳川家康のルーツ 松平家発祥の地 松平郷 続編です。
松平東照宮参拝の後、松平家の菩提寺である高月院へ向かいました。
大河ドラマ「どうする家康」の第23回の紀行の中でも紹介された寺院です。
松平東照宮から高月院へ
こちらの車道兼歩道を進みます。
車でも行かれますが里山の清々しい空気の中を300メートル弱なので徒歩がおすすめ。
冠木門(かぶきもん)と室町塀
初代となった松平親氏(ちかうじ)がこの地に来た室町時代の風情を再現した門と塀があります。
東照宮の前にある親氏の像の奥からこの冠木門までつながる散策路もあります。
松平家菩提寺 「高月院」
【名 称】本松山 高月院
【ご本尊】阿弥陀如来
【創建年】1367年
【開 基】寛立上人
【文化財】松平氏遺跡
【所在地】愛知県豊田市
1367 年足助次郎重宗の子、重政(寛立上人) が松平郷主 在原信重の援護を受けて「寂静寺」として建立したのがはじまりと伝わります。
1377 年に松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進し「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となりました。
のちに徳川家康から100石の寺領を与えられるなど徳川幕府からも厚い保護を受けました。浄土宗の寺院です。
高月院の境内
総門
高麗門の形をとる総門は、三代将軍 徳川家光の命により1641年に造営されました。
自分を将軍に取り立ててくれた おじいちゃん大好き♡な家光さん。
豪華絢爛な日光東照宮を造営したことは有名ですが、家康公の故郷 三河の寺社の造営にもかなり力(お金も)をかけ、寺社は後々徳川幕府に厚く保護されています。
こちらの高月院は10年前に訪れましたが、前回とイメージが変わった印象なので写真を比べてみました。
周囲の木々が手入れされて、東照宮から歩いてきて建物が見やすくなっていました。
塀と石垣に囲まれた境内の中は、まっすぐに参道が伸びています。
正面階段の先の山門をくぐると本堂です。
本堂
本堂も総門と同様に1641年の建造。入母屋造りです。
三つ葉葵がたくさんあってテンション上がります。
10年前ズームで撮影した瓦屋根を見直したら瓦の三つ葉葵もすごかった!
御本尊は阿弥陀如来。本堂内にあがって参拝させていただきました。
松平家墓所
本堂左手にあるこの石段の先には松平家初代 親氏、2代 泰親らの宝篋印塔があります。
なお、徳川家康(当時は松平元康)が桶狭間の戦の後に前途を悲観して先祖の墓の前で自害しようとしたけれど、住職に止められ、その時に「厭離穢土 欣求浄土」という言葉を賜ったという話は、岡崎の大樹寺にある松平家墓所のことです。
梵鐘の横には、家康(当時 松平元信 )が立ち寄った際に植えられたと伝わるしだれ桜がありました。
弁財天
徳川家の方のお手植えと書かれた樹木がいくつかありますが、高松宮殿下妃(喜久子さま)は徳川慶喜のお孫さんだそうです。
この松平郷は徳川家にとって大切な場所なのですね。
高月院の御朱印
御朱印と竹千代の書
対応してくださったご住職に「御朱印は(御本尊の)阿弥陀様と徳川家康のどちらがいいですか?」と聞かれ、「徳川家康」と即答。
珍しい朱墨で書かれた文字は「花月一窓」
これは徳川家康が8歳の時に織田から今川へ人質(交換)に出される道中、この寺に先祖の墓参りに立ち寄った際に残したと伝わる掛け軸に書かれた文字。
本堂内にこの額が飾られていて撮影も可能でした。
(SNS公開については不明なので・・・ぜひ現地でご覧ください)
令和5年限定 大樹寺と高月院コラボ御朱印(第2弾)
シールタイプの今年限定の御朱印。
第1弾は間に合いませんでした(T_T)
ご住職さんがとても気さくで、参拝者の心をすっと開くようにお話をされる方でした。
先客の御朱印対応がずいぶん長引いているな~と境内をうろうろしながら様子を見ていましたが、私もすっかり長話になってしまいました~(笑)
講和をじっくり聞きに(できればヨガも)再訪したいお寺です。
朝の勤行やヨガ、季節のイベントも開催されています。
「天下茶屋」名物 天下もち
高月院への道中の冠木門をくぐった奥に「天下茶屋」があります。
ここの名物は「天下もち」
三英傑を例えた江戸時代の風刺のこんな歌。
「織田がつき、羽柴がこねし天下もち
座りしままに、食うは家康」
徳川家康が天下を横取りしたといわんばかりの、あまり気分の良い歌じゃないけど・・・
大河ドラマ「どうする家康」を1年通して見ていれば、徳川家康が楽をして天下を取ったわけではないことがよ~くおわかりですね?
ということでこの天下餅を食べる予定でしたが・・・
満席だったのであきらめました。
写真は10年前にいただいた時のものです。
ネット上での情報によれば、餅の見た目や金額(お抹茶とセットで600円ほど)はほぼ変わっていないようです。
最後にもうひとつ史跡のご紹介です。
松平城跡
松平親氏が築いた山城。居館のあった松平東照宮からは500メートルほどの場所になります。
空堀の遺構などが残っています。
実は今回は先を急ぐためスルーしました。
10年前にこの写真を撮っていたようですがまったく記憶にございません(笑)
松平城跡へは国道301号沿いにある松平郷の観光駐車場からのアクセスがおすすめです。
さらに、西に3キロのほどのところにも松平家の拠点となった大給(おぎゅう)城跡があります。
里山の自然を楽しみながら史跡巡りのできる松平郷 おすすめです。