11月末に訪ねた鎌倉 鶴岡八幡宮のようすです。
大河ドラマ館、周辺のゆかりの地などと共に訪ねました。今回ははじめて、一の鳥居からまっすぐ延びる若宮大路を鶴岡八幡宮まで歩いてみました。
今回は、熱海に立ち寄った後、全国旅行割を利用して藤沢市で宿泊。
2日目は藤沢から久しぶりに江ノ電の乗車を楽しみながら鎌倉まで向かいました。
鎌倉駅で荷物をロッカーに入れた後、和田塚に立ち寄り、そこから一の鳥居へ出ました。
左:和田一族の墓
右:路地を歩いて偶然通りかかったロシア大使館 鎌倉別荘の塀(こんなところでくつろいでいる場合じゃないと思うんですけどね~)
一の鳥居から若宮大路を北上
若宮大路とは
若宮大路(わかみやおおじ)は由比ガ浜から鶴岡八幡宮までまっすぐつながる参道。
1182年に源頼朝により整備されたもので、国指定史跡。一の鳥居は重要文化財(建造物)にも指定されています。
一の鳥居から鶴岡八幡宮の本宮までは約2kmです。
一般的には鎌倉駅から鶴岡八幡宮へ向かうには二の鳥居あたりから参道を歩くことになるかと思います。
鶴岡八幡宮は4~5回は訪れていますが、わざわざここの地点から歩くという機会はありませんでしたが、今回は和田塚を訪ねた後Google Mapで鶴岡八幡宮までのルートを検索していたところ偶然「一の鳥居」の存在を知って、ここから歩いてみることにしました。
一の鳥居越しにも社殿が見えますが、歩道橋の上から見るとバッチリ。
当然、鶴岡八幡宮の社殿から見下ろせばこの道が海に向かってまっすぐのびているのがわかるのですが・・・撮り忘れました。
若宮大路沿いは、鎌倉駅手前までは官公庁や学校が多く、二の鳥居を過ぎると観光客向けのお店が増えてきます。
若宮大路沿いの景観
こちらは鎌倉警察署の庁舎。近くには寺社も多く、建物も環境に配慮したデザイン。
コンビニやケータイショップの看板も京都などと同様、色調抑え目の”古都バージョン”です。
その割にはこんなド派手な自販機も。
義時が完全に”ブラックバージョン”の顔つきです。これいつまで置くんだろう。
二の鳥居をくぐり段葛へ
ここから一気に観光地といった雰囲気に変わります。
鳥居の先、道の中心は車道より一段高くなった 段葛(だんかずら)と呼ばれる歩道ですが、ここも境内の一部になっています。
この段葛(Wikipediaによると)まっすぐ北ではなく、少し東にずれているそうです。そのラインを鶴岡八幡宮と結ぶと、その先は、頼朝が先勝祈願をした浅草寺につながるのだとか。
これ、徳川家康の久能山東照宮-富士山-日光東照宮ラインと同じようなものでしょうね。家康は武家政権の祖である頼朝を尊敬していたので、なるほど~と思いました。
なお、この段葛のベストシーズンはやっぱり桜の時期でしょうね。
(2013.4撮影)ちょっとピーク過ぎてます...
三の鳥居に到着
(人がたくさん映り込んでしまったので)鳥居のみの写真です。
信号待ちしている間に、鶴岡八幡宮のシンボルでもある鳩がすごい群れで飛んでいました。(これはこれで、何か”降って”くるんじゃないかと怖いです)
すると、そのうち鳥居の上に落ち着いてしまったようすが、これこそ”鳥居”!?
段葛も境内の一部ではありましたが、三の鳥居をくぐってやっと境内という感じです。
一の鳥居からここまで、ゆっくり写真を撮ったり、説明書きを読んだり、コンビニへ立ち寄りながらののんびり歩きで所要時間は40分でした。
晩秋で歩くにはちょうど良い季節でした。一の鳥居から二の鳥居の間の歩道は日陰が少ないので、真夏は注意が必要かと思います。
鶴岡八幡宮の境内
太鼓橋
現在渡ることはできません。橋越し正面に社殿(楼門)が見えます。
太鼓橋の両脇の道から進みます。
奥に見える白い建物は鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム。2022年は大河ドラマ館として利用されています。
橋の左右には池があり、右が源氏池、左は平家池と呼ばれています。
源頼朝の時代に造られた池で、右の源氏池には3つの島(産=繁栄をあらわす)、一方で平家池には4つの島(死)で平家の滅亡を願ったのだとか。
右の池には弁財天社もあります。
鶴岡八幡宮は社殿がまっすぐに見通せる配置になっているので、参拝するのにも距離感がつかみやすいですね。
手水舎(菊手水)
最近は各地の神社を参拝する際に、このような花手水を見るのも楽しみのひとつです。
大階段と銀杏
ちょうど銀杏が色づき見頃を迎えていました。
大河ドラマで”実朝の悲劇の舞台”となった社殿へと続く大階段がそびえています。
続きます。