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【愛媛】復元天守と現存櫓が調和する日本100名城「大洲城」

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2020年10月の愛媛の旅 つづきです。

 

www.momoyorozu.net

 

宇和島城から次に向かったのは大洲(おおず)市。愛媛県の南予地方に位置し、伊予の小京都とも呼ばれる城下町です。

 

大洲城へのアクセスと駐車場

宇和島からは車で40分ほど。

観光客向けに整備された街並みとは少し離れています。街並みには無料駐車場もありますが、お城まで歩くと15分ほどかかるので、有料でも市民会館の駐車場がおすすめ。

70台ほどのスペースがありますが平日だったのでガラガラ。

ちなみに駐車料金は1時間ちょっとで250円ほどでした。

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(ANAダイナミックパッケージでの)レンタカー フィットとともに。
 

大洲城の概要

1331年に伊予国守護の宇都宮豊房によって肱川(ひじかわ)のほとりに築城された平山城。

戦国時代には四国平定した豊臣秀吉の家臣たちが城主を務め、関ヶ原直前には藤堂高虎がこの大洲から宇和島にわたる地域を治めました。

江戸時代には脇坂安治、そして加藤貞泰と城主を変え明治を迎えます。

明治に入って天守は取り壊されますが、江戸時代末期に再建された4つの櫓は現存し重要文化財に指定されています。

2004(平成16)年に天守が再建され、現存櫓と共存した連結式城郭の姿が見られます。

 

大洲城を歩く

二の丸跡

駐車場周辺は二の丸の跡地で、市民会館があるところにはかつて内堀や大手門がありましたが今はその形跡はありません。

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しかし、ここから眺める石垣は圧巻です。

 

下台所

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4つの櫓とこの建物のみが江戸時代から現存するものです。食糧庫として使われていたようです。

坂を登ります。ちょうど葉が落ちた季節で、石垣や建物の視界は良好!

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藤堂高虎の時代に大規模に改修されているので、この石垣もその頃のものかと・・・

野面積みの粗っぽさが残る戦国末期のものかと思われます。

同じ高虎の築城でも、木々に覆われ若干険しい坂道を15分も登った宇和島城と比べるとこちらはずいぶんと開放的な景色の中を歩いていきます。

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こちらは修復中の石垣でしょうか?

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近年こういう風景を見たのは、地震で石垣が倒壊した白河小峰城や熊本城なので、ちょっと心配になります。

ところで個人的にはこのあたりがフォトスポットして映えるかなと思ったのですが、テイクアウトカフェのコンテナの設置場所をもうちょっと考えてほしいな、と。

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箱のデザインは考慮されているものの、石垣あっての天守ですからね。

 

本丸全景

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ちょっとパノラマにしてみました(^^)v

左手前に見えるのが高覧櫓 右が台所櫓(いずれも重要文化財)で、中央の天守とL字型に連結しています。

外観的にいい具合に調和しています。

先述の場所よりすべての建造物がおさまるこちらが本命のフォトスポットなのかもしれませんが、天守の角度的にはさっきのほうがよかったな。 

 

そして、これがすべて江戸時代の現存建造物ならと思うと悔しいですね(明治政府 ムカつくわ~)

とはいえ、この秋晴れっぷりに免じて良しとしましょう。

 

平日なので観光客も少なめでしたが、校外学習と思われる中学生たちに遭遇。

素晴らしい文化財を大切にするんだぞ~と心の中で伝えました^_^

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幟旗のある台所櫓の中に入館受付や100名城スタンプがあります。

 

大洲城天守と櫓へ入場

建物内のみ有料です。おとな550円ですが、大洲のもうひとつのみどころでもある臥龍(がりゅう)山荘との共通券が880円なので迷わず共通券で。

時間が許せばコスパの良い共通券をおすすめします。

 

台所櫓(重要文化財)と天守模型

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靴を脱いですぐに目に飛び込むのがこちらの天守のひな型。

江戸時代に造られた緻密な模型が残っていたことで、復元が忠実に行われました。

現存していれば四国の中ではもっとも高い天守だったそうです。それにしても四国の現存天守率すごいです(全国12の現存天守のうち4つがこの四国にあります) 

 

台所櫓から天守へ入ります。

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外観ではあまり差を感じませんが、中に入るとその差は歴然。

復元天守

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すべて木造でよみがえった復元天守は、我が地元 掛川城の方が”先輩”なのですが、規模といい、復元のリアル具合では大洲城に軍配が上がります。

明治初期の写真や天守の木組み模型といった当時の建築技術を知る貴重な資料が残っていたというのは大きいですね。

また大洲城は、すべて国産の木材を使っており、ほとんどが地元の方々の寄贈によるもの。

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近年はお城のためなら・・・と寄附する風潮も盛り上がっています。

市民が一体となって天守復元に取り組んだ写真パネルなども展示されていて、市民の方々の熱~いお城愛が伝わってきます。

 

天守は4層4階になっていて、もちろん最上階まで上がることができます。

釘を使わない伝統的な木組みの様子も間近で見ることができます。

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気を取られていると頭をぶつけそうなのでこんな警告も(笑)

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最上階からの眺めです。(東方面)

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眼下を流れる肱川は、冬になると盆地で発生した霧が川を下って雲海のような幻想的な風景が見られる”肱川あらし”で有名です。

また正面に見える山は、大洲富士と呼ばれるその名も冨士山

(ですが、読みは”とみすやま”で、うかんむりじゃないんですけど)

 

再び1階まで下りて、今度は隣の櫓へ向かいます。

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通路には築城のようすをあらわしたジオラマも展示されています。

高欄櫓(重要文化財)

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現存する建物は(地震で倒壊後再建された)幕末のものです。

 

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50年ほど前に解体修理が行われていますが、この梁は150年以上歴史を見て来た木材ですね。

 

2階の高欄からの風景。

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宇和島城は湾に面した旧 水城でしたが、大洲城は意外と内陸にあります。 

 

ここまで見学して、あれ?と疑問がわきました。

重要文化財の4つの櫓が現存していると聞いていたのにまだ2つしかお目にかかっていません。

台所櫓にいるスタッフの方にお聞きすると、川のほとりまで下りるともうひとつの櫓があるとのことでGO!

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この石垣、この先の櫓へ行かない限りはお目にかからないかもしれない穴場的なスポットかも!?

 

苧綿櫓(おわたやぐら)

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こちらも幕末に再建された2層2階の櫓です。 (中には入れません)

苧綿は布や糸の原料になる繊維のことで、その貯蔵庫だったと考えられています。

 

なお、残りもうひとつの櫓は、三の丸南櫓ということで、この二の丸からさらに歩かなくてはいけないので地図を見て断念しました。 

 

訪ねるまで詳しいことは知らなかったのですが、明治時代までその雄姿が残っていた大洲城。地域のみなさんの熱意で再びその姿がよみがえったばかりの素敵なお城でした。

見学所要は約1時間ほどでした。

 

この後は、城下町をちょっぴり散策しながら臥龍山荘に向かいます。