2022年9月の淡路島・鳴門の旅行記です。
「道の駅 あわじ」で腹ごしらえをした後は、いよいよ淡路島の観光へ。
ブラタモリでのルートに沿って震災遺構のある「北淡震災記念公園 野島断層保存館」に立ち寄りました。
淡路島では多くの観光客は飲食店や宿泊施設の多い東海岸沿いの一般道、あるいは神戸淡路鳴門自動車道をを走って洲本市などに向かいます。
私が今回走ったのは、それとは反対方向の西海岸へ向かう道です。
片側1車線ですが、のどかで気持ちよく走れる海岸沿いの道です。
明石海峡大橋を振り返ったショットです。
この道沿いにはブラタモリの冒頭に登場したお台場(砲台)跡などもありますが、それはスルーです。
地質に詳しいわけではありませんが、ブラタモリに登場する前から震災遺構ということもあり野島断層記念館の存在は知っていました。
北淡震災記念公園
1995(平成7)年1月17日に兵庫県南部を震源とする地震(阪神淡路大震災または兵庫県南部地震)が発生しました。
その規模はマグニチュード7.3。最大震度7を記録し、死者は6000名を超えました。
野島断層と呼ばれる断層が大きくずれたことが要因の断層直下型地震で、甚大な被害が発生しました。ここ北淡町(現.淡路市)にはその断層が10km以上にわたって地表に露出しています。
自然の脅威を後世に残すために断層の一部を保存する施設として造られた施設です。
敷地内には天然記念物である野島断層を展示保管する施設の他、研修施設やギフトショップ・レストランがあります。
敷地の奥には海が臨める公園的なスペースもあります。
野島断層保存館
入館料はおとな730円です。
館内に入って最初に目に入るのがこちらの模型
映像で最初に見た時に「こんなことが日本で起こっているのか」とにわかに信じられない光景でした。
パネルなどでその当時の様子を伝えるものがある他は、シンプルな館内。
奥の扉を進むといよいよ施設のメイン展示でもある断層です。
野島断層(国指定天然記念物)
破壊された道路、側溝や生垣のズレなど当時のままの状態で残されています。
入口のところで案内の方がざっくり説明してくれましたが、専門知識がないとちょっと難しいかも。
最大で1.2メートルの段差(隆起)と、2メートルの横ずれが発生しています。
断層のズレによる陥没
この力がもっと大きく働いてできたのが現在の明石海峡や諏訪湖なんです。
と偉そうに言ってみましたが、録画したブラタモリで復習して理解しました~(笑)
保存館の出口のほうでは、地面を掘り下げた断面が見られます。
野島断層保存館から外へ出ると、震災に関する展示がまだあります。
屋外展示
神戸の壁
神戸市長田区の若松市場の防火壁として昭和初期に造られたこの壁。
第二次世界大戦の神戸大空襲の爆撃と阪神淡路大震災での火災という2つの大きな災害に耐えました。震災後に市民の保存運動によってこの地に移設されました。
メモリアルハウス
敷地内を断層が横切った住宅の被害のようすを保存展示しています。
塀やレンガ、建物内のサッシのズレが確認できます。
住宅内には地震の被害で散乱する台所の再現、またVTRで当時のようすが語られています。
また、「語りべ」から直接お話を伺える企画も開催されているようです。
震災体験館
揺れを体験できる装置があるそうですが、現在休止中となっていました。
最後に他人事ではないこの映像に身を引き締められ展示館を後にしました。
***蛇足な話***
ちょっとここで阪神淡路大震災当時のことを。
直下型の地震発生後にテレビに現れた被害映像は衝撃的でした。高架の道路が倒壊し、バスが危機一髪で落ちずに助かった映像、駅舎がペシャンコにつぶれた映像、そしてその後、町が燃える映像など・・・ これが日本国内で起きているとはしばらく信じられませんでした。
というのも私はこの当時、能天気にもカナダにスキー旅行に行っていました。ガイドさんから「日本が大変なことになっています」と聞いたものの、当時はインターネットもまだ普及しておらず、テレビと現地新聞くらいしか正確な情報源がありませんでした。
その後、倒壊した道路の写真がトップになっている現地の新聞を購入して辞書を片手に詳細を把握しましたが、帰国するまで自宅にたどりつけるのかも不安で仕方ありませんでした。
そして、地震とは無関係ですがこの直後に地下鉄サリン事件が起こりました。
1999年も近づいていた当時(映画も小説も見ていないのに)「ノストラダムスの大予言」のとおり人類滅亡が起こるのも時間の問題かと真剣に怖くなりましたが、2000年を迎えた時に、ちょっと吹っ切れたような・・・
物産館「ほくだん」
淡路島名物が揃う物産館(おみやげ店)とレストランがあります。
淡路島に来たらおみやげは「玉ねぎ」ということで、オニオンスープ、オニオンドレッシング、オニオンプリッツなどを買い込みました。
見事なくらい「玉ねぎ三昧」のおみやげが買えます(笑)
そして、入口にでかでかとPRしてある「びわソフトクリーム」いただきました~
美味でございましたよ(^^)v
まとめ
大きな災害があっても数年もすれば当事者を除いて記憶は薄れてしまいます。
震災遺構を残すことに賛否両論ありますが、税金を投入しても必要なものだと私は思っています。
私が訪れた時は、コロナ禍ということで訪れる人は個人客がちらほらという感じでしたが、通常に戻れば小中学生などの団体が訪れるのだと思います。
私が住む地域は昔から東海地震が来るといわれる場所で、物心ついた頃から学校の椅子には防災頭巾(座布団兼用)を常備し、頻繁に避難訓練もしていました。
当時は全国のどこよりも防災意識は高かったのではないかと思うのですが、幸いなことに大きな地震を経験していません。(最大でも震度4くらい)
しかし今度は南海トラフを震源とする「東南海地震」が警戒されています。
いずれにしても備えは必要。一方で、自然の力には逆らえないのが人間であるということも覚悟しておかなければいけないと思うのでした。
北淡震災記念公園へのアクセス