彦根港から40分で到着した竹生島。拝観料を支払うと、その先には宝厳寺に続く急階段が待ち受けています。
神仏習合の名残が各所に残る宝厳寺
鳥居をまっすぐ登ると宝厳寺、右に進むと竹生島神社なのですが・・・
まっすぐ進んでもまた鳥居があります。先の鳥居の扁額は「竹生島神社」でしたが、今度の鳥居には宝厳寺の山号でもある「厳金山(がんこんさん)」の表記。
2時間ほど前に彦根城天守の階段を登ったばかりの足にはキツいですわ~
100数段ということでしたが、途中で息を整えながら300段近く登ったような気がします。運動不足を激しく反省。
やっと到着です・・・ふぅ
宝厳寺の歴史
神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により行基が開基した真言宗の寺院。弁財天と千手観音が祀られており、古くから西国三十三所観音霊場として信仰されています。
厳島神社(広島)と江島神社(神奈川)と並ぶ日本三大弁才天であり、最古の歴史を持つこちらでは大弁才天とされています。
※「財」の文字を使う金運の神様ではなく、学問や音楽を司る「才能」の神様です。
宝厳寺本堂(弁材天堂)
本堂(弁材天堂)は、朱塗りの建築に茅葺屋根という平安様式の建物ですが、昭和時代につくられたもの。
古くから信仰されていた宝厳寺ですが、明治政府が神仏分離令(廃仏毀釈)を発令したときに危機を迎えました。都久夫須磨(竹生島)神社と宝厳寺が分離され、それまでの本堂は都久夫須磨神社の本殿となります。ご本尊の弁才天像は宝厳寺に移されますが、その後60数年塔頭の仮堂に安置されていたそうです。
昭和初期には本堂造営に着手するも日中戦争がはじまり中断。戦中の昭和17年に私人の私財により現在のお堂が完成しました。
ちなみにご本尊は秘仏で、60年に1回の御開帳だそうです。
今年は明治維新150年。富国強兵や文明開化など功績ばかりを私たちは教えられてきたような気がします。世界遺産も然り。しかしその一方で、教科書ではさらりと言葉だけ流してきた「廃仏毀釈(きしゃく)」や「廃城令」など、日本人が長年にわたって信仰してきた宗教観や伝統建造物を破壊した残念な一面もあったということを忘れてはいけないですね。
弁天様の幸せ願いダルマ
小さなかわいらいダルマの中に、お願い事を書いた紙を入れて封印したものを納める願掛けのひとつ。きれいに並べられているところもあれば、こんな山積みも(@_@)
宝厳寺の御朱印
御朱印は本堂に向かって左手にある建物でいただけます。
私が訪ねた時は(3連休最終日の最終便のため)さほど混雑もなくスムーズ。書き手の方は3名いらっしゃいました。
ご本尊の弁天様か、西国三十三所の御朱印か悩みましたが・・・
記念モノに弱い私は、記念朱印のついた西国三十三所をいただいてまいりました。
登りきったと思っていましたが、本堂のあるエリアからさらに階段は続きます。
三重塔
2000(平成12)年に造営された新しいものです(内部には入れません)
この隣には、宝物殿(有料)がありますが、さすがに今回の上陸時間(70分)ではゆっくり見てまわれないと思い断念しました。
三重の塔からは眼下に桟橋が見渡せます。拝観ルートではここの標高がいちばん高いと思います。
ここからは観音堂や都久夫須磨神社に向けて下っていきます。
国宝・重要文化財が集中するエリアは平成30年度末まで工事中
現在、国宝の唐門及び観音堂は工事中(平成31年3月末まで)
観音堂への入口となる唐門は、豊臣秀吉の築城した大坂城の唯一の遺構建築物(移築)とされています。
そんな貴重な建造物とは知らず事前チェックを怠っていました・・・トホホ
普段は工事中現場も楽しんでしまう私ですが、残念ながら(姫路城や名古屋城本丸御殿のような)「見せる現場」にはなっていません。
が、ちょっとだけ工事が完成している極彩色の扉らしきが公開されていました。
唐門(国宝)修復工事完成部?
う~ん、極彩色が新品なのもね~ 色が落ち着く10年後くらいに再訪かな?
観音堂でお詣りをしたその先には私が楽しみにしてきた建造物があります。
舟廊下(重要文化財)
※表記には「国宝」とありますが現在は重要文化財だそうです。
宝厳寺観音堂と都久夫須磨(竹生島)神社本殿を結ぶ渡廊。
こちらも豊臣秀吉ゆかりの建造物で、朝鮮出兵の際に使用した御座船を再利用して造られたものだそうです。船底を天井にしたつくりになっています。
梁(はり)の部分が汚れているのは千社札をはがした跡のようです。
内部だけでなく、この舟廊下の外側も必見。斜面に建てられているため、清水の舞台のような懸け造りが見られます。
この先、都久夫須磨(竹生島)へ