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【公開日でなくても境内見学可】新しい今川神廟を訪ねて静岡 臨済寺へ

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5年ぶりに静岡市の臨済寺を訪ねてきました。

摩利支天祈祷日の10月の公開日に訪ねた記事はこちら 

www.momoyorozu.net

 

臨済寺は今川家の菩提寺であり、人質として幼少時代を徳川家康が過ごしたお寺としても知られています。

修行道場であるため年2回の公開日以外は拝観できないと以前聞いていましたが、なんとそれ以外の日でも境内に立ち入りできました。(私の勘違いだったのかもしれませんが・・・)

今回は新しくなった今川神廟の見学もできましたのでご紹介いたします。

 

 

 

特別公開日でなくても境内に入れます

前回に続き、地元発のツアーに参加し、静岡のボランティアガイドさんの案内付き。個人でも境内に立ち入ることは可能とのことでした。

 

山門

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仁王像

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これらはかつて、南に1kmほどのところにある静岡浅間神社の楼門に安置されていました。明治の神仏分離により臨済寺に移されました。この後、静岡浅間神社にも行ったのでその関連性などをじっくりと拝見できました。

でも臨済寺に移されなかったら現存していなかったかも・・・です。(今に思えば、明治政府の神仏分離、廃城令は貴重な歴史遺産を破壊した罪な施策だった思いますよ、ホント)

 

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山門をくぐると、本堂に向かってまっすぐに石段が延びています。もちろんここから登ることもできますが、今回は右手の通用門から入ります。

 

通用門

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右側の小さな入口には「御朱印は一般公開日でのみ承ります」と書かれています。5月19日と10月15日以外の日にはいただけないのでご注意ください。
 

今回こちらから入ったのには理由があります。

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2018年に落成した今川神廟

今川義元と氏輝の廟で、2018年5月に落慶法要が行われたばかりの建物です。 

今川神廟

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優雅に羽を広げたような軒先が特徴的な建物です。

かつては、境内の東南の端にひっそりと建っていたそうですが(写真右端に少しだけ屋根が見える建物)にあったそうですが、今川義元の功績をもっと評価するべきだという住職さんの熱い思いからこのような立派な建物になったそうです。

本堂へつながる歩道沿いに建てられ、以前より高い位置にあります。

 

石塔(首塚)

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中には石塔と位牌があります。中心の大きな石塔は今川義元、右の小さなものは氏輝(義元の兄)のものです。ちなみに氏真の墓所は都内にあります。

 

今川義元は桶狭間の戦い(現在の愛知県豊明市付近)で敗れその亡骸は織田信長の元にわたります。多くの家臣たちが逃げてしまう中で、古くからの家臣であった岡部元信は主君の首を取り戻そうと、自身が城主を務めていた鳴海城の開城を条件に信長にかけあいます。この忠誠心に感服した信長は丁重に義元の亡骸を送り届けたと伝えられています。冷血なイメージの信長ですが、若かりし頃は人情味もあったのですね。

当初は静岡市内の天澤寺に廟が造られましたが、明治時代に臨済寺に移されました。この廟は3代目となるそうです。

扁額の文字は今川家最後の当主の書。明治時代に書かれたものです。

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今川家って、義元が桶狭間で負けて終わったんじゃないの?と思われがちですが、義元の子である氏真(うじざね)以降は北条氏、その後は徳川家康、幕府に庇護され明治時代まで存続していたそうです。氏真は、ドラマでは歌を詠んだり蹴鞠をしているお公家さんのイメージで描かれていますが、文化人としての評価は高かったようです。 

 

神廟をじっくりと見た後は、本堂へ向かいます。正面の階段のほうが近道ですが、このルートから向かうと神廟に立ち寄ることができます。また、スロープやゆるやかな階段が整備されていますので足に自信がない方はこちらがオススメ。

 

徳川家康が再建した臨済寺本堂(重文)

本堂(方丈)

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建物は入母屋造り。こけら葺きの屋根。左手には唐門様式の玄関があります。

武田信玄と徳川家康らによって二度焼失しますが、この建物は江戸時代初期に徳川家康によって再建されたものです。正面の賽銭箱には徳川の三つ葉葵。

徳川家康は「人質」という立場ながらも自分を大切に育ててくれた今川家に義理を果たしたということになりますね。

本堂の扉は閉ざされていますが、公開日には内部も公開されます。

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(2015.10.15撮影)

 

開祖は大休宗休。二代目住職の太源雪斎によって勅願寺の寺格を授かります。

扁額には勅願寺(天皇の発願によって創建あるいは同等に認められた寺院)であることを示した「勅東海最初禅林」の文字。

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本堂の右手にある書院には、徳川家康が今川家に人質として預けられていた幼少(竹千代)の頃に、住職で今川家の軍師でもあった太源雪斎から手習いを受けたという「竹千代の間」が復元されています。 

禅堂

軍神である摩利支天(まりしてん)像が安置されています。

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摩利支天像は、もともと静岡浅間神社境内にある八千戈(やちほこ)神社にあったものが移されたものです。

10月の公開日にはこちらで摩利支天の祈祷が行われます。

 

境内は木々の手入れも行き届き、仏像やお地蔵さまもいらっしゃいます。

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土塀も御所にあるような雰囲気です

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大勢の人でにぎわう公開日とは違って、ゆったりした境内が歩けます。

なお、公開日以外は御朱印はいただけません。また、摂心という厳しい修行の期間は境内への立ち入りができなるそうですのでご注意ください。

 

前回は徳川家康が幼少期を過ごしたお寺として、今回は今川義元が眠るお寺として異なる視点で臨済寺を拝観することができました。

戦国好きには、一ヶ所で二度おいしい?お寺ですのでぜひ訪ねてみてください。 

 

しっかり説明を聞きながら歩きたいという方には、ボランティアガイドさんを利用しましょう。

今回お世話になったのはこちらのガイドさんでした。博識ながら、とてもわかりやすく説明してくださいました。

sumpuwave.com