おでかけ ももよろず

日本全国北から南、たまには海外へ・・・”よろず”な旅をご紹介

【京都】しば漬け発祥の尼寺 大原「寂光院」

スポンサーリンク

2020年3月中旬に訪ねた京都 大原。三千院に続いて、悲劇の女性のお寺としても知られる寂光院に向かいました。

www.momoyorozu.net

 

市街地から車で40分ほどなのにまるでタイムスリップしたかのような風景が広がる大原の里。

お天気と時間に余裕があれば歩きたかったのですが、雨は降り出し、時間もなかったので車で10分ほどの移動です。移動しているうちに雨はすぐに止みました。

  

寂光院について

f:id:momoyorozu:20201002233257j:plain

 
寺 概略

【名 称】寂光院 (清香山 玉泉寺)

【ご本尊】六万体地蔵菩薩立像

【創建年】6世紀末頃

【開 基】聖徳太子

【所在地】京都市

 

天台宗の尼寺で、推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提寺として建立したと伝えられています。

初代住職は、聖徳太子の御乳人(乳母)であった玉照姫。

第二代は建礼門院の女官で「大原女」のモデルにもなった阿波内侍(あわのないし)。

第三代は建礼門院。平清盛の娘であり、高倉天皇の妻、そして安徳天皇の母。壇ノ浦で平家が滅ぼされた際に安徳天皇たちと海に身を投げながらもただ一人生き残った悲劇のヒロインとされる女性です。

その後、江戸時代には徳川家康や豊臣秀頼らが寺の再興に尽力しました。

しかしながら、鎌倉時代に制作されたご本尊とこれらの建物は、2000(平成12)年の火災(放火と思われる)により建物と共に焼失してしまいました。

現在の建物はその後再建されたものです。

 

拝観料と拝観時間

・おとな600円

・拝観時間は9:00~17:00(季節によって若干変動あり)

 

寂光院の境内のようす

受付

冒頭の写真の門を入ってすぐ右手に受付があり、そちらで拝観料を納めます。

御朱印帳をいただく場合は、ここで預けておきましょう。

 

入口から山門のようす

f:id:momoyorozu:20201002233720j:plain

ゆるやかな階段が山門へと続いています。境内はさほど広くはありません。

春本番までまだちょっとの季節ですが、きれいな花が咲いていました。

f:id:momoyorozu:20201003010448j:plain

 

階段の途中、右手に風情ある苔に覆われた門をくぐります

f:id:momoyorozu:20201002234834j:plain

 

茶室(孤雲)

f:id:momoyorozu:20201002234756j:plain

小さな池に面した茶室は、京都御所で行われた昭和天皇の即位の御大典で使われた木材を下賜され建てられたもの。

 

山門

f:id:momoyorozu:20201002235445j:plain

 

書院

f:id:momoyorozu:20201002235556j:plain

雪見燈籠

f:id:momoyorozu:20201003000424j:plain

豊臣家寄進の燈籠です。

このPR力は流石 豊臣だわ~。再興には徳川家も同じなのでどこかに痕跡があっても良さそうなのですが、謙虚な徳川家の痕跡は見当たりませんでした(T_T) 

 

本堂 

f:id:momoyorozu:20201003000714j:plain

本堂右側、燈籠を過ぎた先に本堂への入口があります。

2000年の火災により建物は焼けてしまいその後再建されたものです。

鎌倉時代に作られたご本尊さまに代わって、復元された鮮やかな彩色の地蔵菩薩が安置されていました。

f:id:momoyorozu:20201003004649j:plain

パンフレットより

 

本堂内では女性の方がご本尊さまの説明をしてくださいました。

奇跡的にご本尊は焼損しながらも残っており、さらにその胎内にあった約3000の小地蔵菩薩や経文などは無事だったそうです。

本当に残念なことですが、ご本尊の形が残されているのが唯一の救いだったそうです。

【2022.7追記】

先日放送された「ブラタモリ」では、通常非公開の焼け残ったご本尊の姿が公開されました。真っ黒の炭のような状態でも形を留めていました。また小さなお地蔵さんの彫刻も紹介されていました。

 

本堂前の庭園

西側にある庭園はこじんまりしていますが、「平家物語」当時のままを残しています。

汀(みぎわ)の池と諸行無常の鐘

f:id:momoyorozu:20201003002809j:plain

千年の姫小松

f:id:momoyorozu:20201003002742j:plain

左の切株が姫小松ですが、私自身「平家物語」に通じてないもので、写真のみですみません。

 

細い路地を挟んでゆるやかな坂を登ると建礼門院の庵室(すまい)の跡があります。

 

建礼門院御庵室跡

f:id:momoyorozu:20201003003400j:plain

井戸遺構

f:id:momoyorozu:20201003003441j:plain

ここで、わずか6歳で世を去った娘の安徳天皇や夫である高倉天皇、そして平家の菩提を弔っていた建礼門院。

60歳くらいまで生きたとのことで(諸説あり)、約30年この地でひっそり暮らしたことになります。悲しすぎる人生です・・・(泣)

しかし大原の里の人々との交流も少しはあったと聞くと救われます。

進んできた道を振り返ると、苔むした庭が見えます。湿気の多い大原ならではの風景です。

f:id:momoyorozu:20201003004147j:plain

 

収蔵庫

f:id:momoyorozu:20201003004354j:plain

奥に見えるのが収蔵庫。火災の後に建てられ、焼損したご本尊(重要文化財)などがここで厳重に保管されています。

 

このお寺はその歴史的背景も考えると、人の少ない季節に行くことをおすすめします。平家物語も知らない私があまり偉そうなことは言えませんが、歴史や文化をきちんと理解していけばさらに楽しめると思います。

寂光院の境内はここまでですが、時間があればぜひ足を運びたいのがこちら

建礼門院のお墓 大原西陵

寂光院入口向かって右に隣接して、建礼門院の御陵(お墓)があります。

f:id:momoyorozu:20201003004900j:plain寂光院を先に拝観してから向かおうとしていたところ、すでに門が閉ざされてしまいました(泣)

f:id:momoyorozu:20201003010016j:plain

皇族の御陵というとなかなか近くまで行かれないことが多いので、階段の奥に神秘的な雰囲気がただよっていたのですが残念・・・

寂光院の閉門が午後5時に対し、こちらは一足先4時半頃には閉じられるようです。

 

気を取り直して、この寂光院はもうひとつ名物があるというので・・・

f:id:momoyorozu:20201003010410j:plain

 

寂光院は「柴葉漬け」発祥のお寺

この寂光院は「紫葉漬け」の発祥(命名)の地。

里の人が献上した夏野菜の漬物に感動した建礼門院が、柴葉漬けと命名したのがはじまりだそうです。冬の間に雪に覆われるこの地では、保存食としてこの地でとれる赤紫蘇を使って漬けものが盛んに作られていたとのこと。

この周辺には現在もたくさんのお漬物屋さんがあり名産になっていますね。

門前にある小さな小屋をのぞいてみました。

f:id:momoyorozu:20201003010257j:plain

風情ある建物のお漬物屋さんです。

世の中はコロナ禍が広がろうとしている時期で、試食もあるのですがためらっていたところ・・・

おばちゃんが小皿に手際よく漬物を盛り始めました。

そして、なんとご飯まで盛られているそのお皿が私の前に差し出されました。

f:id:momoyorozu:20201003011747j:plain

ちなみにご飯は店内の炊飯器からほかほかのものを都度よそっていました。

差し出されて、これをしっかり平らげたら買うしかありませんよね~(笑)

f:id:momoyorozu:20201003134056j:plain
f:id:momoyorozu:20201003134114j:plain

刻みタイプで味加減もGoodなしば漬けでした~  

 

寂光院の御朱印

f:id:momoyorozu:20201003004802j:plain

 

寂光院までの車の乗り入れと駐車場

寂光院までの道は、狭い上に徒歩の方も多いので注意が必要です。

門前に駐車場がありました。すでに午後4時で、駐車場の管理人もいないようなのでラッキー・・・と思ったのもつかの間。

営業終了したと思われた茶屋の中からすかさずお店の方が出てきてあっけなく300円を徴収されました。そこまで商売熱心でなくてもいいのに~(苦笑)

まあ、ここがいちばん近い駐車場なので仕方がないのですけど。 

10数台の駐車スペースがありますが、この先は行き止まりになっています。

混雑シーズンは若狭路沿いの駐車場において徒歩で移動するか、あるいは寂光院手前の駐車場で早めに手を打ったほうがよいかと思います。