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【愛媛】姫路城に匹敵!連立式巨大城郭 松山城・後編

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GoToトラベルを利用して2020年10月に訪ねた愛媛の旅は松山城からスタート。 

www.momoyorozu.net

 

リフトを降りてから歩くこと30分(さっさと歩けば15分ですが)

石垣や櫓などに圧倒されながらまるで迷路のようなルートをたどってやっと本壇へ。

 

 

本壇へGo!

ここからが有料エリアとなります(おとな520円)

あまり他のお城では耳にしたことのない本壇という表現が松山城では見られます。本丸の中でも天守がある曲輪、いわゆる本丸の中枢部分ということになります。

 

松山城の本壇

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天守を多くの門や櫓(やぐら)が取り囲む防御力にすぐれた連立式天守は、天守にたどりつきまでが迷宮感満載なルートになっています。

 

松山城は度重なる戦災や火災などにより多くを焼失し、天守そのものは江戸時代後期に造られたものです。

図ではピンク色で示された東側が現存部分、西側は昭和以降に復元された建造物。

 

順を追って紹介したいところですが、撮った写真を振り返ったらどれがどれなのかもはや識別不能(>_<) 

 

三ノ門(重要文化財)

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多分・・・です。ニノ門だったらごめんなさい。

 

筋鉄門(すじかねもん)

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この門をくぐるといよいよ天守の玄関。ここが最後の砦。

実際歩いてみると、江戸時代の建造物(重要文化財)と復興建造物の見分けがつきません。

近年、各地の城跡を巡っていると明らかに”最近作ったな”と思わせるものも多く、モノによっては興ざめしてしまうこともあるのですが、この松山城は現存と復元の建造時期が100年くらいしか違わなのでしっくり馴染んでいてすべてが一体化していることに驚きます。

 

そして、本壇の内側の石垣に多く見られるのは切り込みはぎ

江戸時代以降の新しい石積み技術で、加工された石が隙間なく積まれているのが特徴です。

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脱線しますが、日本では17世紀初頭に造られた城に多く見られた石積みが、南米のインカ帝国ではすでに15世紀には確立していたのにはビックリです。

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マチュピチュで石積みを見て「切込みはぎだ~」「ここは野面積みだな」と感心していたのは私くらいかもしれませんが(笑)

 

www.momoyorozu.net

 

話を松山城に戻します!

 

筋鉄門を入るとそこは四方を建物に囲まれた空間です。

そのイメージを360度でお伝え出来ないのは残念ですが・・・想像してください。

 

玄関と内門

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(小天守内から撮影)

唐破風の屋根があるのが玄関(見学の入口ではありません)。その右側が内門。

このあたりの建物は昭和初期の放火により焼失し、再建されて築50年ほどになります。

 

松山城は現存天守(12城)の中で唯一徳川家の三つ葉葵の紋が許されていたお城です。

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築城は関ヶ原の戦以降に徳川家に仕えた加藤嘉明(三河出身)ですが、その後蒲生氏に続いて藩主となった久松松平家が代々藩主をつとめ明治を迎えます。

 

天守

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櫓などの建物群に圧倒されてきたので、天守が意外にも小さく見えてしまいました(>_<)

天守は加藤嘉明が築いた当初は五重だったものを松平家により三重に改築されたそうです。一説には徳川幕府に遠慮したともいわれています。

 

小天守

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これもなんだか小さく感じます。これらの建物は本壇の外側から見た方が美しいです。

 

前置きが長すぎましたが、やっと天守の中へ入ります。

 

現存天守の内部を見学

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鍵付きの下駄箱があります。軍服衣装の体格の良いスタッフさんが構えていてビビりますが、口調はやさしい方でした~

 

階段

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現存天守には"お約束”の傾斜60度以上の階段です。

この手の階段がある松本城や彦根城は大渋滞でしたが、こういう時期ということもあって待つことなく追われることなく登ることが出来ました。

愛媛で巡ったお城はこんな階段続きでしたが、日ごろまったく鍛えていない割には筋肉痛にならない私(^^)v (城を歩くための筋肉だけは発達しているかも!?)

 

天守

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天守からはじまってぐるりとつながった櫓などをほぼ一周するようになっています。

こちらも外の門と同様に、現存部分と復元部分の差があまり感じられませんでした。

 

十間廊下などには城主の紹介や甲冑、刀剣といった展示物がずらりと並んでいます。

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天守最上階からの眺望

乾櫓などがある西方面

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馬具櫓、本丸広場がある南方面

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天守建物内の見学はこれにて終了です。

 

通常はこれで満足して帰る方も多いと思いますが、城好きにとってはここからが本番!

マップで見ると、まだ重要文化財を制覇していないのです。

 

と、ここで大変良いタイミングで(ガイド業務が終わったばかりの)ボランティアガイドさんがチケット売場の近くにいらっしゃったので、いくつか質問をしてみたところ、お願いしたわけではないのですが話が盛り上がりそのまま移動しながら案内をしてくださいました。ラッキー!!

 

重要文化財の櫓と初期の石垣を巡る

紫竹門(重要文化財)

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紫竹門(しちくもん)は小天守の真下に建ち、防衛上本丸への侵入を防ぐ重要な役割を果たす門です。脇戸付き高麗門という形式になっています。 

 

乾櫓(重要文化財)

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本丸北西にある隅櫓。櫓としてかなりの規模で防御力の高さがうかがえます。

 

野原櫓(重要文化財) 

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築城当時(17世紀初頭)に造られ現存する場内で最も古い建物。

望楼型の櫓としては国内唯一の現存。この望楼型という構造は安土城をはじめとした初期の天守に多く見られました。犬山城と同時期のものと伝わります。

 

軒裏の漆喰の形が波型と角形のコラボレーションになっています。

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見た目も美しいのですが、実は建物内への延焼を防ぐという役割を持っています。

 

加藤嘉明時代の初期の石垣

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天守周辺は江戸後期に改修されていることもあり石垣も組み直されている部分も多いのですが、本壇の北側、天神櫓下の石垣は、築城当時のものが見られる貴重なエリア。

朝鮮出兵に出陣した際に半島で築いた手法と共通するものがあるそうです。

石を埋め込んだというより、まるで貼り付けたような独特な美しさがあります。そして見上げるとうっとりするような傾斜です。ここで寝転んで石垣眺めていたい!

 

熊本城を築城した(築城の名手といわれた)加藤清正を彷彿とさせますが、加藤嘉明と清正とは血縁はないそうです。

一方で、犬猿の仲といわれたこちらも築城の名手である藤堂高虎へのライバル心がこの松山城を作る原動力になったのでしょうか!?

国もお隣同士ですからね(旅の後半は藤堂高虎ワールドに突入します)

 

それにしてもこのあたり、見学する人は本当に少ないんです。

マニアしか足を踏み入れないような場所なので、ガイドさんの説明も熱が入っていました。

 

お城ガイドさんおすすめのフォトスポット

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本壇西側から見た建物群 天守が”ひょっこり”頭を出しているのがミソなんです(笑)

 

もうひとつはこちら

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屏風折の石垣を下からド迫力で撮影できます。

 

にわか歴女ですが、最近は徳川家康石垣にはまっている私は、ガイドさんとすっかり意気投合してしまい約1時間も説明してもらいました。

松山城の築城主加藤嘉明は三河の生まれですし、幕末にこれらの天守を整備した久松(松平)家は家康の母親の再嫁先というご縁もあります。

家康つながりといいますか、私もDNAの半分は三河の人間なもので血が騒ぐのです(笑)

 

黒門口登城道から下山

行きはリフトで楽をしたので、帰りはルートを変えて石垣などを楽しみながら二ノ丸方面へ下りました。

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10月というのに汗ばむ陽気だったので、このルートは涼しくて快適。

下りでよかった・・・と思いつつも油断していると転びそうなので慎重に歩きます。

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子どもの頃から歴史に親しむ子って将来楽しみですわ~

 

リフト乗り場方面の石垣も見事ですが、こちらも負けずに美しいです。 

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二之丸史跡庭園

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今回は時間がなくて立ち寄れませんでしたが、藩主の邸宅跡を復元した庭園だそうです。

ここへ下りてやっと城めぐりが終了です。  

このルート、ハイキングを趣味にされている方には良いコースだと思いますが、普段歩きなれていないとかなり足腰にきそうです(特に上りは)。

城内もかなり歩くことを考慮し、体力にあわせてリフト(ロープウェイ)と上手に組み合わせて登城を楽しみましょう。

 

愛媛県庁舎

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1929(昭和4)に完成した愛媛県庁本館。設計は木子七郎氏。

玄関前にある車は、ゆるキャラ”みきゃん”のキャランバンカーでした~

 

まとめ

松山城に行くまではここまで大規模な城郭が残っているとは想像していませんでした(単なる勉強不足ですが・・・)

四国は現存天守が多いことは知っていましたが、それぞれの規模は大したことないかと正直舐めてました。

本州にいるとどうしても大きな天守のある姫路城や松本城、(現存ではないけれど)名古屋城、大坂城といった城に目を向けがちです。

アクセスしにくい地なので知る機会がなかった(周囲にも行ったという人の情報が皆無)というのが正直なところですが、幕末の建築とはいえ徳川(松平)の流れを残す貴重な天守が現存していること、そしてそれらを囲む壮大な城郭のつくりが大切に保存されていることに感銘を受けました。

親切なガイドさんの案内もあり、時間も忘れてどっぷりと楽しむことができました。

私の中ではリピートしたいお城として、熊本城に次ぐものとなりました。

 

休む間もなく、城めぐりミッションがもうひとつあるため道後温泉方面へ向かいます。