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【和歌山】徳川御三家の城 日本100名城「和歌山城」を歩く(後編)

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2023年3月の和歌山の旅。

豊臣秀吉が築き、のちに紀州徳川家の居城となった和歌山城の訪問記です。

西の丸から天守閣を見学後は、石垣や堀などを巡っていきます。

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まもなく桜という時期でしたが、今回は初訪問なので桜よりも城の内部や石垣を見るのがメイン。

天守をあとに、城の南側を攻めていきます。

和歌山城は北東側に大手門があり、南側は裏手にあたります。

 

新裏坂から南の丸へ

新裏坂

裏坂といっても天守まで登った坂は石垣や天守の眺望もよかったのですが、こちらは「新」がつくので後付けで作られたと思われ、下るだけなら楽ですが、ルート的にはあまり楽しくない道のりです。

南側には駐車場もあるので、地元の方の利用が多いルートのようです。

 

南の丸石垣

石垣散策MAPによると、新裏坂を下りて南の丸に向かう途中の石垣は、城主が変わるごとに改築などが行われた跡がわかる場所となっています。

戦国時代の代表的な石垣である野面積みに、江戸時代になって手が加えられた打ち込みハギのようすが見られます。

 

さらに東側に進んでいくと、なんと!「お城の動物園」

南の丸跡は動物園になっています。

規模は大きくありませんが、なんと入園無料。クマもいるようですが、石垣見てるほうが私には癒しなので、入園しませんでした~(>_<)

お城に動物園とはビックリですが、かつて浜松城内にも動物園があったんです。

 

松の丸櫓台の高石垣

南東にある岡口門をめざしていると

キターー!高石垣

松の丸櫓台の石垣は、吉宗が藩主時代に改修されたという城内では新しい石垣です。

隙間なく積まれた切込ハギといわれる石垣が、石積みの進化を感じさせます。

そして、この石垣は熊本城で有名な「武者返し」と同様の造りで、上にいくほど急こう配で敵の侵入を防ぎます。

高さは15メートル近くあり、もう1か所同様の石垣が不明門跡で見られます。

2つは無理でも和歌山城に来たらみておくべき石垣です。

 

岡口門から大手門へ

岡口門

戦災などでほとんど建造物が現存していない和歌山城内でも貴重な現存建造物。

築城時はここが大手門でしたが、その後、搦手(からめて)門という裏門的な役割になりました。

1621年に造られた二階建ての門は重要文化財に指定されています。

岡口門越しに見える天守。

このショット、100名城スタンプのデザインになっています。

 

再び城内に入り大手門に行くのが一般的ですが、岡口門を出て堀を見たらあまりにも立派なので、ぐるりと堀沿いを歩いてみました。

内堀(東堀)

和歌山城も例に漏れず明治以降次々に堀が埋め立てられていったそうですが、こちらの堀は市民の要望によって再びかつての姿に戻されたそうです。

近代まで地域の人々に愛されたお殿様の居城は保存運動が盛んでうらやましい限り。

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内堀の外、いわゆる三の丸跡は、他のお城と同様に官庁街になっています。

北側に来ると堀が狭くなります。

 

大手門と一の橋

このあたりに来たら人も多くにぎやか。

橋の下に何か珍しいものでもいるかとのぞいたら鯉がうじゃうじゃ泳いでました。

手前は一の橋、奥の門が大手門です。

 

ずいぶん遠回りしましたが、やっと正面から入城です(^^)v

桜さくらまつりに向けて準備が整っていましたが、「つぼみかたし」でした。

 

伏虎像

また動物園?と思ったら違いました~(笑)

和歌山城のある場所は、上から見ると虎が伏せたような姿から虎伏山(とらふすやま)と呼ばれ、和歌山城は別名・虎伏城とも称されます。

シンボルとして造られた 伏虎像(ふっこぞう)ですが、初代は銅製だったため第二次世界大戦時に資材として駆り出されてしまい、現在のこちらは二代目なんだとか。

 

一中門の石垣

大手門からまっすぐに進むと現れる石垣。

桝形(ますかた)になっているこのエリアは、かつては櫓が建ち、敵の侵入を防ぐ役割がありました。

熊野地方産の花こう斑岩を使った切込ハギの石垣。とにかく石がでかい!!

緻密で完成度の高い石垣は、17世紀後半から18世紀前半に積まれたものと考えられています。

 

この先、天守へ向かう表坂です。

さすがに疲れたのでもう登りませんけど・・・(苦笑)

 

まだ行かねばならぬ場所があるのです。

再び城の西側に向かいます。ブラタモリを見ちゃったらここは絶対!と思う郭です。

 

砂の丸へ

護国神社入口

和歌山城へ到着し、最初に見た入口がこちら。

和歌山城内とこの奥にある護国神社への入口となっています。

 

砂の丸と西の丸の間(鶴の渓)にある石垣は、この地にあった巨石をそのまま生かして作られているとブラタモリでも解説されていました。

 

砂の丸

参道を外れて右手に上るとそこは砂の丸といわれる郭(くるわ)。

徳川頼宜の時代に拡張されたものです。

柵が石垣の上です。(タモリさんたちがいたのはもっと南側のエリア)

かつてこのあたりまで海が迫っていて、ここが砂丘だったことからこのような名前になっています。全国でも「砂の丸」の名を持つのはここだけです。

西側一帯と南側まで広がっていて、江戸後期には勘定所、御薬園もおかれていました。

 

ホントに砂丘?と疑り深い私はチェックしてみましたよ。

なるほど~(私も砂丘のそばの住人なので)近所にある砂と一緒だ。

ここに砂丘が残っていたら素晴らしい観光資源だとタモリさん激推しでしたね。

 

この石垣の外側がどうなっているのか気になったので国道沿いを歩いてみました。

石垣に食い込むように建物があり、ちょっとびっくりですね。

追廻門(おいまわしもん)

砂の丸の西側にある門は、赤い色も印象的ですが、名前が物騒!?(苦笑)

かつて、この外側に馬場があり馬を追い回していたことからこう呼ばれたとか。

赤い理由は、ここが裏鬼門に当たることで「鬼門除け」として塗られたという説。

こちらの門も現存する江戸時代の貴重な建造物です。

ここよりさらに南に行けば、タモリさんたちが立っていた15メートルの高さの石垣があります。(砂の丸南端の不明門跡)

私はさすがにここでギブアップ。ということで和歌山城散策終了です。

 

まとめ

なかなか行きにくい和歌山なので、なんとか一度で巡ろうと欲張りすぎました。

西の丸庭園入口に到着してからほぼ3時間休憩なしで歩き回ってしまいました。

さらにこの後、バスに乗ろうか迷いましたが、待っているよりも歩け!というわけで、また1kmほどの道のりを和歌山市駅まで歩きました。

毎度こんな旅なので、ホテルは大浴場でしっかり足を伸ばして疲れをとれるようにしているんですけどね~

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今回は、直前に予習していった「ブラタモリ」と、案内所などでいただいたパンフレットを頼りに歩きました。

石垣散策MAPはおすすめです。(公式サイトからダウンロード可能)

願わくば、次はボランティアガイドさんに案内していただき、もっと石垣のことや砂の丸の歴史などを深く知りたいとも思うのでした。

紀州を制覇したので、次は残る御三家のひとつ水戸城を制覇してみたいと思います。

 

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