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【続日本100名城】天下分け目の戦い 幻の舞台「大垣城」

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岐阜県の西にある大垣城に行ってきました。

美濃と近江との国境に近いこの地は、現在も東日本と西日本の境界でもあり、天下分け目の合戦となった関ヶ原古戦場から近い場所にあります。

大河ドラマ「麒麟がくる」とは時代が違いますが、岐阜県を訪れた流れで、足を延ばしてみました。 

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大垣城の概要

岐阜県西部 大垣市の中心部にある平城で、別名・麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)。

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築城は1535年宮川氏によるものとされています(諸説あり)

水門川を天然の堀として利用するなど、豊富な水資源を活かした防御態勢をとり、その後入れ替わった城主により土塁や天守などが次々に築かれていきます。

江戸時代には松平忠良により天守の改築が行われ、1635年以降は戸田氏のもとで城下町が栄えました。

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初代大垣藩主の戸田氏鉄(うじかね)の騎馬像 

戸田氏は三河国(現.豊橋市)出身の武将で、父親の代から家康に仕える家系です。

 

幻に終わった”大垣城決戦”

関ヶ原の戦いといえば、壮大なる原っぱ山の谷間で行われた戦。

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わずか半日足らずで東軍勝利という決着が着いたことは歴史上に有名ですが、大垣城はそれほど歴史の舞台には出てきていないと思います。

西軍の石田三成が東からの徳川家康を迎え撃つために大垣城に入ったのが決着の着く日からおよそ1ヶ月前。

大垣城に籠城することで、徳川軍がそれを包囲。その背後から南宮山などに配置された西軍が挟み撃ちするという”後詰決戦”を企てていました。

戦が最終的に関ヶ原に持ち込まれたことについては諸説ありますが、城攻めより野戦が得意な家康が、”(三成の居城である)佐和山城から大坂城に向けて攻撃する”というウワサを流し野戦へおびき出したという説があります。 

大垣城と関ヶ原古戦場(決戦地)の位置関係はこんな感じ。

ほぼ直線で15kmほど。当時を想定して徒歩ならおおよそ3時間の距離です。

今なら車なら約30分ほどで行かれます。

 

決戦の場とならずに大垣城は保たれ、江戸時代は前述のように徳川譜代の戸田氏により栄えていきます。 

戦前までは国宝だった大垣城

明治時代の廃城令で城郭が次々に取り壊される中、大垣城は取り壊しも免れて現存していました。昭和の初期には国宝にも指定されましたが、第二次世界大戦の戦火により焼失してしまいました。

現在の天守などは1959(昭和34)年に再建されたものです。

名古屋城も第二次世界大戦がなければ、姫路城をしのぐ規模で現存していたと思うと残念です。 

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なお、平成の大改修で瓦や窓などを焼失前の写真などをもとに、国宝当時のものに近づけているそうです。 

 

大垣城の建物

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現在は大垣公園の一角に復元された天守と櫓などがあります。

江戸時代にはこの3倍以上の敷地に、10以上の櫓のある大規模な要塞だったそうですが、現在はその一部に再建された櫓や天守が建っています。

 

上記の看板のある公園の北(水之手門跡)からも入れるのですが、やはり”正面”から攻めたいので北東にあるこちら。

東門

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旧柳口門を移築した門

 

大垣城の建物は復元ですが、天守台の石垣の遺構は当時のものが残っています。

が、雨が降り出したこともありほとんど石垣を見る間もなく・・・写真にほぼ写っていませんでした(T_T) 

天守閣 

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あとで気づきましたが、スタンプの絵柄はこのアングルのようです。

 

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四層四階の天守閣は、修復されてまだ10年ほどのため漆喰も白くきれいです。

なお、郡上八幡城、墨俣一夜城は、この大垣城をモデルにして造られています。

 

西側の公園は櫓と天守閣を一望できるフォトスポットです。

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桜が咲く季節には素晴らしい眺めになるそうです。

西門

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こちらは現存しなかった門ですが、再建整備により造られました。

乾隅櫓(水之手櫓)

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石垣の土台部分には野面積みが見られます。

東門から入って水之手門から出るというルートをたどりました。

 

天守閣内部(歴史資料館)

入場料

おとな200円です。このチケットで天守閣と近くにある郷土館に入館可能です。

入口では、来館者カードの記入と手指の消毒の準備がありました。

 

展示について

私が訪ねた時は、関ヶ原合戦420年特別展示「石田三成~幻の大垣城決戦~」が開催されていました。(~2021.1.11)

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関ヶ原の東西陣営の紹介や大垣城籠城戦のことなどがパネル展示されています。

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モニターが小さく、座るスペースがないのは残念な限りですが・・・

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大河ドラマ「麒麟がくる」とは時代が若干違いますが、戦国好きで岐阜県を訪れるなら見ておいて損はないと思います。

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焼失前の城郭写真や古地図などみごたえある資料もあります。

 

展望室からの眺め

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岐阜城や墨俣一夜城などと比べると見劣りする風景。

大垣城周辺の街並みが若干廃墟化しているのも気になりました。

 

100名城スタンプ

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天守閣入って左においてあります。

 

大垣城周辺の駐車場

大垣城専用の駐車場は用意されておらず、周辺のコインパーキングを使用しました。

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徒歩2~3分の駐車場での相場は30分100円。最大料金は500円ほどです。

郷土館にも行きたかったのですが、駐車料金が気になって早々に退散です。1時間強の見学で300円でした。

 

町の規模を考えると無料駐車場があって然るべきと思うのですが、それが無理ならせめて上限300円くらい(岐阜市営でもこの相場でした)の駐車場を用意していただければありがたいと思うのです。

(大垣駅が近いから「電車で来い」なスタンスなのでしょうか?)

大垣城にプラスして、城下町の風景を楽しみながら名物の”水まんじゅう”食べ歩きも堪能できるように整備してくれたら女性観光客も訪れやすいのではないかと思うのです。