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【日本100名城】熊本地震直後の2016年12月の探訪記

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熊本城の記録 続編です。

この記事は、熊本地震から約半年後に復興応援として熊本城を訪れた記録です。

2014年と2023年の記録と比較していただけるように編集しています。

地震前の熊本城探訪の様子

www.momoyorozu.net

 

 

2016年4月14日、熊本県を震源とする震度7の地震が発生しました。

熊本県を中心に大きな被害が発生しましたが、遠方の何の資格もない人間としては、ただテレビでそのようすを見守るしかありませんでした。

しかし半年ほど経過して少し町のようすも落ち着いてくると、経済を動かすために現地を訪れるというのも支援だといわれるようになりました。

被害の大きかった地域はともかく、都市である熊本市ならそれもありだと思い、1泊2日で熊本の旅へ。

 

地震から半年後の熊本城へ

復興城主に申し込み

まず最初のミッションは復興城主への申し込み。

復興城主制度は、熊本城復興のための寄付制度で、2016年11月1日にスタートして、わずか半月で2億円近く集まったそうです。

寄付をすると「城主手形」がもらえ、市内の施設への無料入場や特典もあります。

ふるさと納税と同様に寄付金控除も受けられます。

寄付は振込でも可能でしたが、現地で申し込みをした場合のみいただける冊子があり、これが目的で現地まで足を運んだといっても過言ではありません。

 

被災した熊本城を見学するツアーに参加

熊本城は石垣や建物が崩壊するなど甚大な被害を受けていました。

まだ足を踏み入れられるような状況ではありませんが、当時現在(いま)の熊本城をさるく」(”さるく”はぶらぶら歩くの意味)というガイドツアーが開催されていました。

このたくましさに、復興応援になるならと城好きな私は参加しました。

2014年のガイドツアーと同様、ひとり500円の参加費でグッズのおみやげ付き。

ボランティアガイドさんとともに、2時間ほどのコースを歩きます。

城内には立ち入ることはできませんが、外周から被害や復旧が進むようすを見学します。

なんと、この日は私ひとりにガイドさんがつきっきり。申し訳ないですm(__)m

ルートは上記の反対まわりに近い感じです。

 

地震から半年後の熊本城周辺の様子

清正公銅像と石碑

2014年にはこちらへのご挨拶できていませんでした(;'∀')

清正公は無事なご様子。

一方、川越しに見える熊本城の名を記した石碑は、倒壊こそしていませんが、上部が大きく回転していてずれていました。

 

馬具櫓

ガイドさんによると、本震以降の度重なる余震で被害が大きくなっていったそうです。

 

飯田丸五階櫓

テレビ映像でもたびたび目にしていた「一本足の石垣」で建つ櫓がこちら。

 この時には、すでに支えるための鉄骨が入っていました。

下の写真は2014年に櫓の中で撮影したものです。

2005年に木造で復元されたばかりの櫓でした。

 

長塀

約240mの塀は、江戸時代に造られたもので国内最長。重要文化財です。

一部倒壊していますが、周囲の石垣は無事のようです。

※2021年1月に復旧工事が完了しています。

 

この後、お城の全体像を見るために市役所庁舎へ向かいます。

これもコースの一部となっていて、この計らいはありがたいです。

高層階から見る熊本城の姿

14階の展望フロアからは、地上ではわかりにくい全貌を見ることができました。

「一本足の石垣」のようすがはっきり見えました。

本丸御殿と思われる建物も外見からは無事のようですが、その奥の大天守が・・・

ズームMAXで撮影。

砂煙が上がった地震の瞬間のテレビ映像を見て「まさか、燃えてないよね」と心配になりました。瓦が崩れ落ちた時の砂煙だったんですね。

 

東十八間櫓と北十八間櫓付近

市役所を出て城域の東から北側にまわります。

熊本城稲荷神社の鳥居には大きなヒビが入っていました。

 

さらに隣の熊本大神宮の被害は甚大でした。

隣接する熊本城の東十八間櫓と北十八間櫓が、建物・石垣ともに崩壊し、境内へ大量の土砂が押し寄せていました。

本殿と拝殿は無事ですが、奥にあった社務所が全壊したそうです。

すでに建物は撤去されており、これ以上の崩落を防ぐためにモルタルなどで固める作業が行われていました。

その先にも、撤去しきれていない崩れた櫓と石垣が続きます。

2014年に熊本に来た時は、このすぐそばのKKRホテルに宿泊したのですが、(天守や石垣など派手な構造物ばかりに注目し)一見地味なこの櫓群は写真も撮らず・・・後悔。
これらも重要文化財なので時間をかけて修復される予定です。
 

棒庵坂(ぼうあんざか)付近

城の北側にある坂で、KKR熊本ホテルのすぐ前から加藤神社を経由して城内に入ることができます。

崩れた石垣が仮置きされています。

はめこまれている時には感じない大きさ。築城時には人力だけでこれを積み上げていったと思うとすごいわ・・・

 

番号がふられた石垣は、この後本格的な復元に使われます。

昨今はどんな仕事においても「職人さん」と呼ばれる人が不足しています。

城の修復に必要な石工(いしく)や漆喰を塗る左官職人さんも然り。ただでさえ時間のかかる復旧工事に人手不足も大きく影響するといわれています。

激しく倒壊する櫓や石垣がある一方で、棒庵坂から見た石垣と天守

 

加藤神社

坂を登った先にある加藤清正を祀った神社があります。

ガイドツアーに参加する前に、ここまで車(レンタカー)で入ることができたので立ち寄ったのですが、その時には見られなかった足場が組まれていました。

社殿に大きな被害はなかったようでホッとしました。

 

城内に立ち入ることができなかったこの当時、天守がいちばんよく見えるスポットがここでした。

 

社殿は無事なものの神社周辺の被害も甚大でした。

奥に見えるのは戌亥(いぬい)櫓です。

 

 

石垣が崩れてしまったことは大変残念ですが、石垣の内側の構造(小さい栗石-ぐりいし-というものが中に詰まっています)が見られるのは貴重なこと。

 

さらに、崩れた石垣から見つかったという観音さまが彫られた石もありました。

※側面の円の中に彫り物があります

 

宇土櫓(うとやぐら)

手前に見える建物は「天守」じゃなくて「櫓(やぐら)」です。

「第三の天守」といわれるのにも納得。

さらに築城時(17世紀前半)から現存する重要文化財というのにも驚きます。

櫓本体や石垣は無事ですが、続櫓(つづきやぐら)は倒壊しています。

下は2014年に城内から撮影した宇土櫓です。

西南戦争の時にも焼け落ちず、その後の取り壊しも免れた「不屈の櫓」です。

そんな宇土櫓も内部は大きな被害を受けており、とうとう2023年に解体修理がはじまりました。

その直前の雄姿がこちら(2023年4月撮影)

※解体修理は2032年頃まで行われる予定です。

 

ガイドツアーも終盤です。

二の丸広場からのぞむ天守閣と宇土櫓

 

2014年に撮影した二の丸から塀越しの天守

 

西大手門から未申櫓付近

塀も石垣も激しく崩壊しています。

その近くでは、石垣と栗石を分類して調査しているところでした。

不謹慎ではありますが、地震がなかったらこういう現場を見ることもありません。

 

こちらの観光案内所に戻ってガイドツアー終了となります。

桜の馬場城彩苑

2時間たっぷり歩いて、じっくり説明していただきました。

ノンストップで、丁寧に解説してくださったガイドさんどうもありがとうございました。

地震からわずか半年後で大変な中、このようなガイドツアーを企画してくださってありがとうございました。

12月という時期でしたが、熊本城の復興を応援したいと訪れる観光客が多く見受けられました。

 

何より倒壊せずにその姿を残してくれた天守や宇土櫓に勇気づけられました。

そして復興に向かって頑張っておられる熊本のみなさんから感動をいただきました。

 

復興城主の登録時にいただいた冊子の中にこんなことばがありました。

 

 崩れただけ。

 だいじょうぶ、ぜんぶ失ったわけじゃない。

 

 

復興へむけて応援します

石垣も含めた熊本城の復興には、20~30年かかるともいわれています。

熊本城の復興が熊本県のみなさんの復興の証のひとつともいわれています。

これからも熊本城の復興を微力ながら(ふるさと納税などで)応援していきたいと思います。

 

2023年に再訪。限定公開ルートで蘇った天守を見学しました。

www.momoyorozu.net